疲労・ 痛みを和らげる
3 疲労・ 痛みを和らげる
頭や肩 ・ 腰が痛い時、「痛い痛い」と四六時中悲鳴を上げていたとしても、症状は改善しません。
痛みは、あなたの意識にどこかアンバランスな部分があることを教えてくれている警報です。
痛みが無ければ、自分の不具合に気付けなかったことをよくよく認識して下さい。
◇想念に逆らう
疲労や痛みを軽くする一番簡単な方法は、 「疲れている 」想念から「疲れていない」想念に逆らって、どんどん身体を動かしてみることです。
「痛いの痛いの飛んでいけ一!」という一種の呪文がありますが、あながち捨てたものではありません。
「疲れている」想念を「根性」でもっで押さえつけたり、否定しようとすると逆効果です。「疲れている」想念をどんどん流して対象化し、その一方で肉体を動かしてみましょう。
「疲れている 」というのはただの想念・・・ 正確には想念の山と谷のうちの片方に過ぎず、それに同意してどっぷり浸っているだけです。だいたい本当に「疲れている」 のなら、文句を言う前に身体が動かなくなっているはずです。
◇味わう
まず痛みを痛みとしてじっと味わってみて下さい。
我慢するのではありません。かといって、痛み=嫌なもの、としてむりやり排除しようと意讖すると、かえって聚張してしまいます。
痛みが痛みとして浸透していくのを許すような、なすがままの状態になって下さい。それを観察している感じです。
たとえば歯医者で歯を削ってもらう時・・・ あの音を聞いているだけで神経参ってしまいます。
ここで「お任せ」モードに入ってみましょう。どうせ削ってもらわなきゃ治らないんだし、痛いといっても別に死ぬわけでもない、と死体になったような気分で、全身の力を抜き、他人事のように観察してみます。
「何だか身体の片側がやけに硬直しているな」とか、「もし飛び上がるような痛みを感じたとしたら、その後どうなるのだろうか」と。
やってみると、意外と痛くないことが判ります。痛みの想念を勝手に増幅し、これに飲まれていただけのことです。これは、麻酔を伴わない、その他の外科治療にも応用できます。
想念と同様で、存分に味わうと、痛みは番報としての役目を終えますので、必要無くなって退場するわけです。
◇感謝する
じっと観察している余裕が無いなら、ひたすら痛みに「ありがとう」と言ってみましょう。日常的に感じる肩や腰の痛みなどにも応用できます。
しかし、「いつになったら収まるのか」などとイライラしているうちは、まず痛みは消えません。
イライラ想念や、「こんなもので治るのか」という疑い想念にも「ありがとう」を言い続け、いい加減どうでもよくなってきた時、気付いたら痛みがおさまっていますよ。