「わからない」という意識のバランスについて
わからない というこですが、
こちらの思わくとは別に 「的違い」のような行動をされることについてです。
相手が的違いのような行動をされることによって、自分がダメージを受けたり、ネガティブ的なことが起こったとします。
その件に関していろいろ想念観察をして、長い時間をかけてやっとわかったことのお話です。
実際にありましたが、絶版の貴重な本を貸してあげたら、他の第三者にあげてしまったり、
断捨離といって他人や会社のモノを勝手に捨ててしまったとします。
本人は悪気はありません。問いただしても自分ではよくわかっていないような状態です。
「障害者」でもなく、「○○障害という病名な人」でもありません。
「被害者意識」や「原因と結果の法則」、 「憑依」されているのか、
それとも「試し」なのか・・・ などを疑って深く掘り下げて観ましたが、原因究明には至りませんでした。
このようなマンガのような事が起きて、自分にダメージ、ネガティブな感情を受けた
原因は「わからない」ということでした。
結局、自分自身が「わからない」という事に対して理解や腑に落ちていない事、そして、なにより自分自身にもこの「わからない」ということがあったことに気付きました。
「この人、自分がやったことが、本当にわかっていないんだ~ 」そう気づいた瞬間に怒りの感情がなくなっていきました。
そして自分自身でも、過去に訳もわからないまま怒られたり、叱られたりということが思い出されてきました。
その時怒られても、叱られても私自身 「?」 の状態だったのです。
この「?」の状態を教える為、わからすために このような現実が起こったのでした。
「わからない」ということに対しての意識のバランスが取れていなかったのでした。
これに気付きまして、私は目から鱗が落ちるほどの衝撃、気付きを得られました!
なかなか文章で伝えることが苦手だったのですが、ようやく書けました。
皆様の想念観察の参考になれば幸いです。