こんにちわ!
ハテナちゃんを落としてしまいましたので、よろしく治療して下さい。
ハテナちゃんが壊れた時、私の中でずう一っとくすぶっていた気持ちに決
心がつきました。3 5才で、一人で又別の道を行くのは不安なんだけど、・・・何かワクワクしています。
送って戴いた健康水、いろいろ使用しています。
手をナタで誤って切った時、1液2液で処理し、カットバンを貼っておい
た・・・1時間後、傷口がピタッとくっついていました。回復がとても早
いようです。
野菜の苗を畑に植えた後、B液を(編集部・注 40 0倍から600倍にしてかけると良い)かけてあげると太陽の光にも負けずにシャキッとしたまま根が出る。B液をかけなかった苗は頭を垂れていた。
多分切り花を長持ちさせることもできると思う。
銀のアクセサリーなどが美しい光になる。1液か2液のどちらかで光るの
かはまだワカラン?
顔はテカテカつるつる血行が良くなるなど、ほんとに広範囲に使用できて
おもしろいです。
ネコの下痢にも良い。
きっと全てが同じもの(創造のエネルギー)からできているからだと思う。
私は石を洗うときにも使用しようと思う。多分模様が美しくクッキリ出る
ような気がします。(石ころを拾うクセがある)
以上が近頃の感想ですが、普通石鹸を使うとアカが出ますよね?
1液を使うとサッパリしますが、垢が出ない。垢はどこに行ってしまうの
ですか?空気中にでも弾きだすのカナ? !
** 又又研究熱心? 好奇心旺盛な・・・・ネコの下痢にも良いとは、
ネコに飲ませたのですかネ?
きっと全てが同じもの(創造のエネルギー)からできているからだと思う・・・I津さんの意識が、何にでも力を出させるのでしょう。
次のような話があります。
或る聖者が、思想的に危険だと思われて牢屋に入れられ、次のよう
に言われました。
「お前が本当に聖者なら、この毒杯を飲み干してみろ。」
すると聖者は何の躊躇も無く、その毒を飲んでしまいました。
そして何も起こりませんでした。つまり毒は効きませんでした。
後日、この不思議な出来事に、毒杯をすすめた人間は狂い死にした
そうです。
聖者は、正に全ては一つであり、分断されていないことを体得して
いたのでしょう。
1液が石ころからすてきなお花や蕉りを洗いだしてくれそう・・・
きっとそうなりますよ! 編集部
前略
アランの最終メッセージを有益に読ませていただきました。
特に「エゴについて」の一文の中に、「エゴは絶対存在から送られた環境
の一つである。理解以前の生命体の宝なのである」という一文には、深く深く考えさせられました。
全ての人間に送られた宝「エゴ」・・・この宝を「創造からの愛」と理解
しました。
この宝「エゴ」が理解以前の生命体の進化の原動力とは、夢にも思いませ
んでした。絶対存在である「創造」に対して、感謝するばかりです。
アランさんのメッセージに触発されて、「般若心経」を読むようになり、
いつも心にひっかかっていた題目「色即是空、空即是色」の理解を得るこ
とができました。
想念観察については、極力、客観視するよう注意し始めた結果、「内なる
声」によって、感情が昂ぶったときなど、元の平静な状態に戻るのが早く
なりました。又在るがままの状態を、そのまま受け入れやすくなり、結果
が悪いときも、クヨクヨしなくなりました。以上 北海道 M子
お変わりありませんか?
札幌のNさん宅で7名ほどの集いがありました。
いろいろな人が集まっていて、先日八紘学園( 農業従事者を育成する専門学校で千歳空港に向かう国道3 6号線沿、月寒にある)にある石庭の巨大な水晶などの写真を見せただけで、エネルギーの流れを感じたりしていました。
今回初めて来た若い女性がおりましたが、精霊界から地球に転生して来た
とのことでした。天界、魔界、精霊界の在り様を少し(彼女の記憶がよみ
かえった範囲内で)聞かせてもらいました。
加速的にこのような内容の話を聞く交流が広がっており、興味深い話を聞
くことも、単に知識として持つというだけに終わらせること無く、より認
識を深めていく為の、貴重な経験とさせていただかなくてはという思いを
新たにしています。
この中に植物と話ができる人がいたのですが、レモンバー厶の鉢を前にし
ていたら、しきりとレモンバー厶が「オカシイ、オカシイ」と言うのだそ
うです。その場に居た一同はどういうことか首を傾けましたが、彼女はハ
テナちゃんの下に居たので、きっとそのエネルギーを受けたためだろうと
納得しました。ハテナちゃん効果のおもしろい体験でした。
札幌 T中
拝啓
回覽板読ませて戴きました。いずれの文章についても心の中にズシンとく
るものがあります。瞑想に関しては準備不足で、なかなか改まった実践は
出来ません。せめても「至る所瞑想在り」というところで、車の運転中で
も集中・・・一種の瞑想に似た状態かナ?・・・とも思いたい気持ちです。
去年は準備の年で、今年が区切りの年だと聞いておりますので、早くかも
しもつけて瞑想を実行しようと思っております。
FUJ I日本の一連の本を読んでおりますと、時々円猾化現象とも言うベ
き、思いもかけなく物事がうまくいったり、結果として良かったりするこ
とがありまして、実感から理解の助けとなり、感謝へつながったりします。
又、夫婦が子供を作る意味我、この年になって判ったりして・・・つまり、
輪廻転生の場が無いと自分も困ることになるということでしょうか。
それらは人に聞いても知らない人ばかりです。
しかし、霊の数には限りがあるのでしょうか?
創造の被造物はまったく全てゆっくりと進歩しているそうですが、この辺
のところがよくわかりません。
まあこれからも落ちこんだときなどにありがちな「貧すれば鈍する」と言
う恐ろしい現象を避ける為にも、人間の真理を学ぶことにしがみ続けるこ
とでしょう。
回覧板の続き、お願いします。 埼玉県S谷
** 今年が準備期間の最後の時・・・は、精神世界に関する本には共通
して出てくる警告で、その点については皆一效しているようです。
では準備をしなかった人々はどうなっていくのか?
そのことについてエリーナさんが説明してくれたことは次のような
ことです。
エリーナ
これからの時代、表層意識(私達が日常使っている意識、エゴなど)
が削りとられて、潜在意識がもろに表面に出てきます。
この状態を肉体に例えれば、表面の皮膚が剥がれて、肉や血管、神
経が剥き出しになるということです。
表層意識を自分であるとして生きていた人々は、まったく見ず知らずの潜在意識という他人に、自分を乗っ取られてしまうことになりますので、生きた屍のような、夢遊病者のような人生を送ることになります。この状態は非常に悲惨なもので、阿鼻叫喚の世界です。
しかし、それらの人々に同情の余地はありません。何千年もの準備期間があったのですから。
とにかく、人のことはさて置き、自らを真剣に目覚めさせなさい。
その方法が結果的に、他の人に良い影響を及ぼすことになりますから。
目覚め・覚醒の定義 アメノウズメノミコト
目覚めとはな、何が何だか分からぬが、今迄の地上界での常識から離れようという思考・意識が働きだした・・・本気でそれに気持ちが向く・・・
そのような状態じゃな。三次元的意識の自我が柔らかくなって壊れやすくなる時じゃな。
覚醒となると、自らが地上に転生した目的を自覚し、それに向かって動きだす段階となろう。
真の覚醒とは、地上界での悟りを開き、自らが使命に目覚め、現人神となる事じゃ。
以上ですが、準備を怠った人間には想像出来ない状態が訪れるよう
です。数日前、北海道の奥尻島で起こった津波のように、すでに身
近に巨大な精神世界の津波が迫っているようです。
飲み込まれない為には、巨大な精神的津波(想念、エゴ)の真のメ
カニズムを理解し、決してそれらに支配されないこと・・・それは
人間としての本質は(神)であるが故に、自ら生みだした(想念、
エゴ)に振り回されることなく、生み出す者(創造、神、)と、生
み出されたもの(想念、エゴ、万物、現象、)の関係、つまり主人
と召使の関係をはっきり自覚する必要があるのです。
今までの私達は情けなくも、召使いにこき使われていた主人だったと
いう訳です。不甲斐無い主人を持って、召使いたちも悲しかったこと
でしょう。
さあ、召使たちに心から謝って、これから彼らに苦労をかけない主
人になりましょう!・・・それでこそ彼らの苦労が報われます!
前略
過日は早速お電話をいただきましてあリがとう御座います。25号に載せ
ていただいた「或る体験・エル・厶ーン」はかなり霊的なことでもあり、
私一人の問題でもなかったのですが、なかなか人には言えないことでした。
あの事件から長いこと、まっ暗闇の中を網渡りのように歩いてきて、その
疲れの故か、二度も腰を悪くしてしまい、その時の薬の副作用で半病人の
ようになり、病んでいく体と引替に真理を求める気持は募る一方でした。
尤も、強制的に霊性の目覚めを与えられた子供のころから、私はただ、真理だけを見詰めることしか出来なかったかも知れません。
それ以外は全て虚しいものでした。
力尽きて、命の灯が消えかかりそうになる度に、宗教によって助けられました。
正しい宗教は、創造の淀を地球人のレベルにあわせて、判り易く説いています。
しかし、いかにせん宗教には両刃の剣的なところがあって、それが人間の理解力の無さとも相まって、なかなか難しいようです。
一昨年、初めてFUJ I日本の真理に出会って、それまでくすぶっていた数々の疑問が一気に氷解、正に目からウロコが落ちるということを生まれて初めて体験しました。
真の真理の言葉とは、本当に力強く、尊厳に満ち、かつ懐かしい響きを持
つものなのですね。そして光そのものです。
私にはその言葉の一言一言が、イエスの言ったごとく、生命の泉そのもの
です。先逹の幾多の困難を経て、今の私達の至福のときがあると言うこと
を、決して忘れてはならないと思います。
遠い昔、子供のころ、多分私は迫り来る人類の危機と破壊を感じとってい
たのかも知れません。
何も知らず奈落の底に落ちていく痛ましい人間の姿を、己を通して見せら
れたのだと思います。
何という恐怖!何という悲しみ!何という罪と罰!
一体それを、そんなことを、どうしたら人に判って賀えるというのでしよ
う!
あまりの悲しさ辛さに、私の心は氷のように閉ざされてしまい、以来、私
は心から笑ったことは一度もありません。
私の瞳は、今もその説きの悲しみを深く宿したままなのです。
私はその重圧から逃れることは出来ないのでしょうか?
真の真理を正しく知るということが、いかに人間にとって重要なことであ
るか、又、それを理解できるということがどんなに素晴らしいことである
か、本当に身をもって体験しました。
これからもよろしくお願いいたします。 新潟 U山
** この手紙は去年戴いたものですので、すでに内山さんは「心の重圧」を
撥ねかえされていると思います。
想念観察によって、全ての想念を自分自身から切り離し、そしてそれを、元の光にお返しする(お納めする)ことをすれば、その瞬間から、心の重圧は消え去っているはずだからです。
様々な心の苦しみや悲しみが何故人々を襲うのかと言えば、それはまったく単純に「光に返す、お納めする」レッスンに必要なボールであるからなのです。
光に返したくても、納めたくても、品物(ボール=苦しみや悲しみ)
がなくては、つまリ、何も無くては返せないし、納められないでし
ょう。ましてそのボール(想念、感情)が楽しいものであったら、
なかなか人間は手放そうとしません。つまり、光(創造)に返すこ
とも、創造に納めることもしないでしょう。
エゴはとても自立心が強いのです。何でも自分でやろうとします。
そして未熟な自分を言い訳したり弁護したりの達人でもあります。
苦しんで苦しんで、いろいろ抜け出そうともがいて、悲しんで悲し
んで、その傷を癒そうとしても更に傷口が深くなって、何度も何度
も同じ愚かさを繰り返して、好い加減馬鹿さ加減に情けなくなって、
矢折れ、力尽きなければ、つまり、人間の知恵(エゴ)ではどうに
もならないと真から知った時(悲しみや苦しみのキャッチボール遊
びに真から飽きた時)、神(創造、光、真我)にバトンタッチする
気持ちが湧いてくるのです。そしてどのような想念も感情も、全て
を神に全託(光に返す、お納めする)することになるのです。
それ以外、どうすることも出来ないからです。
最初から一切の想念や感情を全託出来ればいいのですが、苦しみや
悲しみに飽き飽きしなければ、エゴ(想念、感情)は自分のポスト
にしがみついています。どこかの政治家のように・・・・
何故光に返すのか、何故神に納めるのか、その解読は皆様でして下
さい。とても大切なことであり、とても楽しいことでもありますか
ら。 編集部