21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

水瓶座讃歌28 パート7

[目次]

(善と悪) クリエ

善と悪パート2  エリーナファミレ (優しくて科学者のエリーナさん)

執着とは何か  エリーナファミレ (優しくて科学者のエリーナさん)

想念観察 (瞑想)につい

認識瞑想のやり方

感謝瞑想につ

 

 

 

 

(善と悪) クリエ

 

道を求めている友に、老婆心ながら忠告しておこう

 

善のみを求め、悪を排斥するという下らぬ魔法から早くを覚ましなさい。

悪がそれぼど恐ろしいのか! それほど拒絶すべきものなのか!・・・

言っても、よくわからんじろう。友の心は完全に善の要求にがんじがら

めに縛られておるから、つまり心の中で、友はいつもこんな事をのたもう

ておる。

 

私は善を行います。悪を行いません。とのたもうておる。

 

それはそれで友が好きでやっていることだから、わしには関係が無いが、

ま、老婆心ながらちょっと忠しておこう。

 

のみを行いたいと・・・私は善でありたいと・・・その結果としてじゃよ、なんだ、お前のやっていることは!

 

 

 

 

 

人を無意識に傷つけおって、人に迷感をかけたくないとって、迷惑ばか

りかけとるじないか!

 

自分の心の醜さがいやだとっていながら、他人の指摘ばかりしおって、

しゃべらんでも良いときに出しゃばってしゃべりおって、人の言うことを

いた振りしながら、何一つ実行しおらん。

 

下らん時間つぶしの遊び道具ばかり探しておる・・・というようにじゃ、

 

私は善でありつづけたい・・・その程度の善ならば、全くヘドがでるわい。

猿芝居以下じゃ。

 

宗教を否定しながら、宗教の問題点を語りながら、お前の頭の中はなんじ

ゃ。盲信、偶像崇拝する、救世主熱など、お前の頭の中は形は変わったように見えても、相も変わらず腐ったウンコのままじ

 

 

 

 

 

そもそも宇宙においては、善と悪は等価のバランスによって成立している。

それが例え知識でもわかっておるのなら、その通りに勉強せんかい。

 

この馬鹿もの!

 

お前たちの時間つぶしに、いつまでも付き合っておれんのじよ。

 

自分の心の中の醜いものを見て落胆するほど、お前さん、そんなに偉い人

間か、馬鹿もの!

 

自分の恥部を見たくらいで、何慌てふためいておる。けつの穴の小さいこ

とをするな!

 

精神世界を学んでいるのではなくて、精神病世界を学んでいるのかね?

馬鹿もの!

 

自分を律しようとする人間がおるのう。そんなに良い恰好したいのか!

そんなに自分をれた人間だと見せたいのか、鹿もの!

 

 

 

 

 

宗教者の真似なんかするな・・・いつまでも。

 

悪を恐れる暇があるのなら、頭の中の灰汁抜きでもしなさい

 

自分の行動がすべて利己心(利害)から生まれているんじなかろうかと、

迷っておる人がいることを、わしはよ一く知っておる。その人に老婆心な

がら忠したい。

 

そんなことを考える暇があるなら、人の嫌がる事をするなり、

金になら無い労働に従事するなり、今まで生きてきた分の恩返しを

するなり、出来ることはいくらでもあるだろう。

 

すこしは頭を使え! 馬鹿もの!

 

今回は非常にやさしいメッセージになってしまったようだ。もう少し厳し

くしたいところだが、まあ、このへんにしておこう。

 

どちらにしても、良い人間になろうとするな・・・だからとって開き直

るな。居るんじない。

 

 

 

 

君は心の病人なんだ。病人であることを恥ずかしいと思うな。

 

心の病人を悪としとるから、絵空ごとのったればかり求める。

 

君がもし自分自身を心の病人として恥じること無く、それを受け入れるこ

とが出来たならば、君は幸福者である。

 

病気がなおって、健康の有り難さ素晴らしさを、又病気がなおるまで応援

してくれた周りの人々に対する感謝を感じるはずである。

 

その心の暖かさを与えてくれるきっかけになっのは、そもそも病気じ

ろう?・・・つまり、病気というマイナスに見えそうな現象が、君の心に

 

暖かさを、人々の励ましを感じるきっかけを作ってくれた訳である。

 

つまり、心の病人であるという自覚を持つことが、如何に大切であるかと

いうことじね。

 

この理解を得た人は、すでに善悪を超越している人であり、君もその

であることを我々は願っている。

 

 

 

 

 

善と悪パート2  エリーナファミレ (優しくて科学者のエリーナさん)

 

善とをりズ厶カルに捉え直してみましう。

 

について

 

末期癌になり、痛みが出てくる訳ですが、もし早期の状態で痛みという信

号が出てくれば末期癌の状態であのような苦るしい思いをしなくても済む

訳ですね。早期の状態に痛みが無いということは、逆に見れば非情に恐ろ

しいということになる訳です。

一般に痛みを、人生の痛み、心の痛み、痛みというものを悪意識で捉えることに皆さんは慣れ過ぎてしまっています。

 

 

痛みという信号が早期の状態にあれば、癌であのような苦しい思いをしなくて済む訳です。つまり、痛みという悪も、条件によって善になりえる訳です。わかりますか?

 

 

 

 

皆さんの現実生活の上に起こる様々な出来事は、皆さんの理解レベルの反映です。つまり、善と悪を本来一つの流れとして捉えず、分離思考によっ

て捉えているかぎりは、癌が期の状態において痛みという号を創造す

ることは有りえないことなのです。痛みを無くすることを善と捉えている

かぎり、皆さんはより大きな痛みの中で生きていかざるを得ないのです。

わかりますか?

 

皆さんが間違っていることは、到達点、結論を求めることを善とする傾向、

しいとするとする傾向に染まりきっています。そこのところをよ一く考

えてみてください。

 

大脳生理学において、人間はまだ数%の能力しか開発されていないと言う

ことを、さんも聞いたことが有る思います。

 

善に映るものも条件によって悪に変化するし、映るものも善に変化す

るものです。つまり能力開発とは、悪を本来一つのものとしてみなし、

善悪を超越するという思考力の開発なのです。

 

 

 

 

常に固定観念を突破することに挑戦しつづけ、自分の判断能力に自信を持

たず、全ての結論を保留にできる人間は・・・いわばその意識を保ちつづ

けている人間は、それだけ創造と一体の中において生きているのです。

常にパイオニアである人たちは、それだけでもう既に創造と一体なのです。

地球に出廻っている能力開発とは、善と悪を分離したまま際限無く広げて

いくような方向で使用しています。それは皆さんをより一屑盲にさせ、

思考する力を失わさせていることに気付いて欲しいものです。

 

皆さんに考えてもらいたいことがあります。皆さんは1の生活の中で、

一体、どれほどの時間を善悪にはまらず、善悪を超越しようということに

ついて考えているでしうか?

 

訳もわからず、間を食いつぶしているのが現実ではないでしょうか?

わかりますか?

 

 

 

 

常に考えて下さい。常に常に考えて下さい!

と悪は本来分離して理解するものではなく、

 

本来体の働きとして理解すべきものであるということを・・・。

 

が前に出れば、左足が同じように前にでます。左と右足も同じよう

動きます。善悪を分けて考えるとは、右手と右足をつのものとしてみ

なしているようなものです。これは不自然でしょう?

 

皆さんの人体の構造において、善と悪を超越するためのヒントが無限に隠されているのです。

 

皆さんはそれを解読しなかっただけ・・・ただそれだけ・・・・・

 

そのようなことをするのは、どこかの学者か、特別の人たちだけがすれば

いいんだと言う人間喪失の意識に飼いならされていたのです。

 

 

 

 

 

目覚めて下さい。皆さんんで食べて寝るだけの家畜ではないのです。

もうそのような時代は終わりを遂げたのです。

 

皆さんは無限の可能性を秘めた存在なのですから・・・わかりますか?

 

もし貴方の子供が、又貴方の友人が、又貴方の親が植物人間になったと

き、どんな感情でもいいから、出して欲しいと思うでし

 

皆さんの大切な人が、そのような状態になったとき、例えそれが憎しみの

感情であっても、それはその人が生きている証として、受け取れる筈です。

そのとき貴方は、憎しみの感情には全然意織が向いておらず、植物状態

その人が何かしらかのアピールをしてくれたと言うことで、喜ぶはずです。

例え憎しみであっても、条件によって善にも映るだろうし、悪にも映る

のなのです。

 

善と悪どちらか一方に安定すればーー、どちらか一方に依存すればーー、

どちらか一方に執着すればーー、さんの右と左手は引っ張られ続ける

のです。わかりますか?

 

 

 

 

最後に

執着とは何か・・・

 

皆さんは言葉では物質欲とか、いろいろ言って

いますが、真の理解に到達している人はいません。

 

執着とは、善にすがろうとする貴方、にすがろうとする貴方、その貴方

執着なのです。

 

執着心とは善と悪のエネルギーに支配されるなということを執着するなと言っているのであって、形に見えることを言っているのではないのです。

 

 

善と悪に執着する人間の心の中は、で塗り固められた仮面のようなものです。それはいずれヒビ割れてくるのです。

 

執着心についての話、理解できましたか?

 

 

 

 

常に皆さんの中の、善であらねばならないという、身動きの出来ないような縛りに囚われていることをよく理解し、善と悪は条件によって常に変化すると言うことを、人の話を聞いてわかった振りをするのではなく、皆さんが自分の力で考えて欲しいと思います。

 

創造の声というものは・・・導きというものは、皆さんが善と悪を真剣に

超越しようと取組み始めたときに、はっきりとさりげない現実の生活の中

で、創造の姿が必ず見えてくることでしう。

 

そして、それ自体が宇宙意識であることを決して忘れないで下さい。

 

 

宇宙意識というものは本当は無いのです。

 

 

皆さんが捉えている宇宙意識とは幻想なのです。常に善と悪は本来一つで

あって、宇宙には善と悪で推し量ることの出来ない偉大なる変化の流れ、

連続性が在るのみでーー、それが無限に在るだけという、単純な真理をぜ

ひとも自分のものにして下さい。

 

考えなさい。常に善と悪について考えなさい。

その問題に24時間意識を向けていなさい。

 

常に常に考えなさい。また会いましょう。

 

 

 

 

 

 

 

(想念観察についての問い合わせが多いので、念のため再び説明致します)

 

想念観察 (瞑想)につい

 

想念、(雑念、感情、思考、心の動き)を、全く感情を入れず観察する。

 

例えば憎しみ(あいつ、死ねばいい)、うぬぼれ(私は頭が良い!、私

は善人!、私は謙虚、その他)など、様々な考え(想念)が心に去来して

も、決して自身を反省したり、喜んだりせず、ただ、それらの想い(想念)

をじっと目だけになって、観ているだけ。

 

もし自分を責めたり反省したりする想念が起こされても、それらの反省

の想念や自己嫌悪の想念じっと観ているだけにする。

 

どのようなプラスやマイナスの想念が心の中を流れても、決して流れの中

に巻き込まれずに、つまり感情の中に入らずに客観視に徹すること。

 

 

 

 

想念観察瞑想は24時間体制で行えますので、常に意識して、想念を観察

するようにして下さい。最初、この客観視は訓練を要しますが、その

うち習慣になります。

 

日中、行動しながら行いますと、かなり意識が散漫な状態ですので、出来

れば一日のうち数分でも、座禅して集中的に想念観察を行なって下さい。

 

慣れたら、なるべく多く座禅して集中的に観察を行って下さい。この「

観視」は「瞑想」本に書かれてある「純粋観察です。

 

 

 

認識瞑想のやり方

 

 (まず、紙と筆記道具を意して下さい。)

 

そして貴方が今番知りたい(意味、内容)・・・例えば、「愛とか、

とか、「人間とか、「音楽とかとか「憎悪」とか、

婦」とか・・・の文字を何百でも書くのです同じ文字、「愛なら「愛

を何百も書くのです。

 

の時、ゆっくりと一字一字書きます。そして例えば「愛」の文字を書く

時、「愛に対する貴方の考え方(概念)、一字一字、紙に書き写すよ

うに頭に浮かべながら、一字一字ゆっくり書いて行きます。(百文字書く

のに大体4 0分から1時間位かかるはずです。)

 

 

 

 

そのように書いて行きますと、突然考えてもいなかった新しい概念が浮か

んできますから、それをメモし、又、もとの概念に戻って書きつづけます。

それが貴方には未知だった新しい「認識です。

 

地球人は一面的見方しか出来ない人が多いと宇宙の人言っています。

認識限想は面的理解に人間を導きます。深い認識が人格形成の基礎であ

る事は皆様御存じのことです。座禅による瞑想が苦手な人は、この認識瞑

想を試み下さい。勿論両方並行して行っても構いません。

 

座禅瞑想等により、特別な現象や身体の変化が起こった方は、どうぞ編集

部まで電話下さい。対処の仕方をお手伝い出来ると思います。

 

認識瞑想は如何なる害も起らない、素晴らしい方法です皆様自身で確認

することお勧めします。

 

想念観察を行いますと段階段階で様々な不明点や疑問が生じてきます。そ

の時は遠慮無くお問合せ下さい。

 

 

 

 

感謝瞑想につ

 

感謝瞑想は、ただ「ありがとうございます。ありがとうございます。

言っているだけです。座禅瞑想の時も、ブありがとうございま

を繰り返します。日中も気づくかり「ありがとうございますと言

いつづけるのです。それは声に出してもいいし、心の中で言っても構いま

せん。いかなるマイナスの出来事、マイスの想念に対しても、言いつづ

けるのです。対象を選ばず言い続けるのです。

 

リーナさんの話してくれたことですが、の或る聖人は、24 時間、1

秒も休まず「ありがとうを言い続け、一間で覚醒したそうです。

 

かし一般的には、10回も続けては、「ありがとうございます言う

とが出来ないようです。脇道にそれずにどれくらい言い続けることが出来

るか・・・それが感謝をどれぼど感じているか、目安になるでしう。