21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

水瓶座讃歌29 パート4

FUJI日本・・・霊的、極限的、UFOの為の知識を自由に得、霊的にも物質的にも共存・調和をとって成長していくために役立つと思われるものを自由に提供することを目的とする編集部

 

こうも言われています。

FUJI日本に関わった人たちは皆、ただ者ではありません。一筋縄では括れない人達ばかりです。裏を返せば、それだけ強大なエゴの集団なのです。

そして、四次元から「創造」まで、巨大なエゴの塊、これが宇宙なのです。「創造」のエゴに比べれば、あなたや私たちのエゴなど塵に等しい。裏を返せばそういうことです。

 

[目次]

・紫日記

 

神奈川県 仙田むらさき

 

想念観察を再び始めました。でも、しょっ中忘れてしまってハッとしてま

たやる・・・という感じです。

 

想念観察をしていて気付いたことがあるのです。

 

私は想念観察をする時、とてもやさしい暖かい気持ちになります。自分が

愛しく思えるのです。それで次々に出てくる想念に対しても愛しく思えま

す。思えば私は今まで自分を嫌っていたように思えます。

 

私は髙慢で、ずるくてそのくせ気が弱くて虚栄もあって・・・というよ

うに、自分はとても悪い人間、人からは本当の心をみせたら絶対に好きに

なってもらえないんだと思っていました。だから少しでも心のきれいな人

間になりたくて、心の中に悪い面が浮かび上がってくると“こんなこと考

えちいけない”とおさえつけていました。でもそのやり方は間違ってい

たのですね。

 

 

 

 

それらの悪い面も自分の一部です。自分がそれを愛し、受け入れてあげな

ければ、それは行き場がなくて、ずっと私の中にくすぶり、何度も何度も

自己主張をしてくるのではないでしょうか?

 

何の批判もせず、主張をやさしい気持ちで受け止め( 認め) ・・・私の

場合、そういう自分への愛が足りなかったのかも知れません。認めると気

持ちが楽になって、そうすると逆に悪い面がすうっとその都度消える気が

します。想念観察に感謝します。

 

一昨日のことですが、買い物に行ました。人混みの中にいたら、周りの

人たちが自分の一部のように思えました。みんな別の自分なんだと感じま

した。そうしたら、とても心の中が暖かくなりました。(本当にポカポカ

としてきたのです)あの人もこの人も、おじいさんもおばあさんも、子ど

ももみんな目の見えない人も,派手なに一ちゃんね一ちゃんもみんな

みんな、もう一人の自分、自分の片割れ、自分の一部だと思ったのです。

 

 

 

 

多くさんの人をみていると、その人の分だけ、私の知らない世界が存在す

るということを教えてもらえます。自分のいろいろな面を知ることができ

ます。みんな自分なので較べることはできないことを教えてもらえます。

自分はなんて限りない可能性と多面性をもっているのかと驚かされます。

この「自分」はそれまでの自分の意識とは違うもののようです。不安定で

少し理屈っぽいことを考えていると、どこかへ粢を消します。

 

でも、私の中に今住んでいて「個としての自分の意識と重なり合っ

て区別がつかなくなっています。どんな人も自分の一面のあらわれなんで

すね。

 

人を見ると自分の失くした部分に出会ったような懐かしさと喜びと親しみ

を覚えます。多面鏡をみている気分です。こういう形で自分の部分を教え

てくれる創造に感謝します。本当に外に存在するものは自分の中に存在し

ているんだと実感しました。

 

 

 

 

でも、私のこの意識はまだようやく芽生えたばかり・・・その拡がりの範

囲はせまく、草木や土や、宇宙人には及んでないので、それらも自分の一

部という実感はしてません。宇宙の方々も同じ人間だと頭ではわかってい

ても会ったことがないので想像するしかないのです。なんだかまだまだ宇

宙人には生まれ変われないことを実感します。

 

でも私はクリエさんが大好きなので、会ってお話できたら楽しいだろうな

と思います。それが私の夢です。

 

いつかそれが叶いますように、自分の霊的認識を深めて造に近づくよう

に今は努力するだけですね。

 

想念観察を始めてから、常にいろんなものから学ばせて頂いているという

ことと、それと同時に感謝の気持ちを教えていただいてます。

 

自分にとって良いことも悪いことも、全て何かを教えてくれているのです

ね。悪いものは、そう見えるだけ、あるいは表れ方がたまたまそうだった

だけで、とっても大きな意味(大きいも小さいもないんですけど)がある

のですね・・・とは言っても、やはり時々「納得できない・・・とプ

ンプン怒ったり落ち込んだりしてしまいます。

 

 

 

 

物事の本質をすぐに見抜ける目を養う必要性を感じます。

 

そうそう「浮気について認識暝想をしてみました。いつも不思議に思っ

ていたんです。

 

宇宙の方々も浮気をするのか、その時は嫉妬しないのか・・・とか。

 

それで最初しばらく書いていたら『相手の人を知ることで自分に足りない

ところを知ると出て、又書き続けていたら、最後には浮気は存在しな

い』と出て、そこで気持ちがすっきりしました。

 

存在しないということはつまり、そういう捉え方をするのが間違っている

ということでしうか。

 

先程書いた人混みの中で他人は自分だと感じたとき、この認識瞑想のこと

を思いだしました。すると新しい自分の意識にその時はなっていて、その

自分は“相手に愛という感情を与えた(芽生えさせた)という意味でよい

ことなのだ”と勝手に納得して満ちたりた気分になったのですが、頭の隅

で、“それで離婚になったらどうするのよ”とか“ドロ沼状態で別れる結

果の方が多いのよ”と抗議する自分もいて、結局よくわかりませんでした。

 

 

 

 

認識瞑想で浮気は存在しないと出たのだから、自分の言葉でそれを言

えるくらい自分の心が成長したら、そのとき解決するんでしようけど・・・

それではまたお手紙書きます。 114日 むらさき、

 

拝啓

 

先日機関紙No 28が届きまして、それからずっとレペルの詩の意味を考

えておりました。それで・・・今の私の理解では結局、固定観念を捨てろ

と言っているのではないかというところにたどりつきました。

 

何かを感じるには、感じる素となる観念があると思います。そして何かを

感じると同時に対象を判断し、その観念の枠に閉じこめます。そしてそれ

に従って行動が生まれるのです。私はそう思います。

 

何かを考え何かを行動するには自分の中にそれを生み出す何らかの観念

がある・・・感情もその観念によって生まれるのでしう。

 

 

 

 

対象をありのままに捉えなさい。判断するな!その判断に依存するな!

と言っているのかなーーと、今の私が思考できるのはここ迄です。

 

あらゆる出来事の現われ消えていく様を、ただその通りにみることができ

るように・・・と。これが最近の私のテーマです。

 

この間そういう状態になれた時があって、それ以来、その時の状態を求め

ています。・・・これも捉われですね。

 

こうして私は今、手紙を書いていますが、実は手紙を書くという行為につ

いてさっきまで、どういう意味があるのか考え込んでいたんです。

 

私が自分の考えを編集部に届けることで、何か役に立つことがあるのかな、

 

 

 

 

文章として届けられた私の想いは、それを読んだ人の心に入り、その後ど

うなるんだろうか? ・・・又、書くという行為の結果として、どんなもの

が生まれ、私は受け取るのか・・・

 

ひとしきり、その事について意識を集中したあと、フッと意識をそらし

ら、心の中に次々と言葉が流れ込んできました。

 

私は編集部というもう一人の私を通し私自身に私の考えをしゃべっ

(書いて)いるのです。その後こう続きました。

 

“あなたの与えた情報は、それを受け取った個々人の心の中で、その

人の受け取り方によって様々に変化し、その人に新たな認識を導く

きっかけとなります。貴方の与えた情報は、ただ一つの意味しか持

たない訳ではないのです。それは千変万化し、他の情報と結びつき、

新たな認識を導きます。だから貴方も、貴方の得た認識を一つの意

味とだけ捉えず、そこから新たな認識を得るよう努力なさい”

 

・・・・こんな内容のことを言っていました。

 

 

 

 

その後も次々と何やら流れ込んできたのですが“私は貴方に情報を与えま

す。私の言うことをよく聞きなさい”というところまで聞き取れた後、な

んだかあとは早口っぽくなって追いついていけませんでした。

 

その時の気分は頭の回転が早くなってて、ウキウキ、ソワソワ、なんだか

妙に嬉しいような・・・そう、ちょうどすごく嬉しいことがあってヤッタ

ーッと飛び眺ねて廻りたいくらいの舞い上がった気持ち・・或いはすごく

お面白いことがあってアハハハ・・・と笑わずにはいられないようなハイ

な気持ちでした。心の中の言菜の主が何であろうと構いません。感謝して、

その言葉を生かして自分を向上させるだけです。

 

それと健康水ありがとうございます。まだ作っていませんがレモン水は作

りました。お義母さんと二人で楽しく作りました。

 

 

 

 

私は化学が大好きなのでPHを見たりするのはとてもおもしろかったです。

 

健康水のA液、B液の成分についても、とても興味があります。

 

私は少し前に化粧品の成分についてほんの少しですが勉強しました。その

結果、普通の化粧品は使うのが恐くなりました。でも何もしなくても荒れ

ちやうし、何か安して使えるのはないかなあと思っていたのです。だか

ら健康水に出会えてよかったです。でも・・・自分で確かめ納得できるま

ではそのまま新呑みに出来ない。この成分に興味があります。

 

「何で肌にいいんだろう? どんな成分が、どんな作用を起こし、どうい

う結果をもたらすんだろう?と考えると、とまらないのです。

 

 

 

 

科学っておもしろいです。専門的な知識はないけれど新聞のかがく棚で超

新星のこととか、がん細胞のこととか読むのはおもしろいです。科学も真

理を追及する別の道の一つであると思います。的認識の世界と科学的認

識の世界が早く一つに溶け合えば、立体的な認識が生まれるような気がし

ます。楽しみです。早くその日がこないかな

 

この私の書いた内容がひとつ残らず役に立ちますように・・・!

 

あ、肝心なこと忘れていました。自分は一体どのように行動すればよいの

だろう。これについて考えなくては・・・でも、これはきっと常に考え続

ける必要のあるものだと思います。答えは、その時々に知るのかも知れま

せん。今はわかりません。考えます。

 

ではまた、お元気で頑張って下さい。1212日 むらさき

 

 

 

 

拝啓、

 

いつもお世話になっております。皆様お風邪など召していませんか?

 

もうじき新年を迎えますね。私の手紙もこれが今年最後になると思います。

私は今、頭がバンク寸前です。レベルの詩どのように行動すべき

ということについて、もう今年中には答えが出そうにありません。

実は前回の手紙を出した後、他のことに気をとられていて忘れちゃってた

のですが、フトしたことから思い出すハメになりました。

 

きっと“いつまで忘れてるつもりだ。いい加滅に思い出して考えろ”と言

うことだろうと思いました。

 

きっかけは髙2、髙3時代のつらい時期を回想して、再びその経験の意味

を確認し直していたことに始まります。よりハッキリと、自分の何が原因

で、+、一のバランスがくずれたか分かりました・・・で、それからいろ

いろ考えております内に、あるところで完全に行きづまってしまいました。

分かったことは、私には物事について何ひとつ判断できないという事です。

結論を出した瞬間に私は偏るのです。真実の一部を語り、偽りの全てを語

ることになります。

 

 

 

 

何か判断した瞬間、私は中心からズレます。

 

「じゃあ、私はどうすりゃいいの?」と思った時、レベルの詩を思い出し

ました。エリーナさんの善と悪についての言葉も思い出しました。

 

私がどうすりやいいの?と思っていることはどう行動すべきか

つながります。

 

・・・わかりません・・・ただレベルの詩の解釈につけ加えさせて頂くな

ら、固定観念を抬てろだけじゃなくて、逆的なようだけど「ありと

あらゆる観念をもって物事をみよと言えるような気もします。

 

固定観念というのは最終的にはない方がいいのでしようけど、全く不必要

ではないと思います。大切な働きをもってると思います。それがないと多

面的な見方も理解できないような気もします。到達できない気がします。

 

 

 

 

・・・こうして書き綴っ言菜達は、意味が有るようで無いもの、意味が

無いようで有るものですね・・・

 

でも、意味が有るか無いかなんて考える必要はないし、結論も出したくあ

りません。

 

・・・これ以上偽りを語るよりは、いっそ黙っていた方がいいですわね。

何か語ったその瞬間から、その言葉達は真実から離れたものとなって

れを語っている私自身も真実から離れていくことでしう。

 

頭が飽和状態です。とってもブルーな気分です。

 

 

 

 

どう行動すべきかなんてこれ以上考えられません。きっと答えを出す

ごとに真理から離れていくのです。

 

この手紙を書いているこの行為そのものも、真理から離れていますね。だ

からもう止めます。書く気が無くなりました。また来年もよろしくお願い

します。

 

PS

非常に混乱していて乱文乱筆ですみません。・・・でも何を基準に混乱し

ているというのでしう? また私は真理から離れましたわ・・・きりが

ないですね!

 

 

PS2

この手紙を出すかどうかわかりません・・・独り言のようなものですから。

--------------- とっても気分はブルー1224日 むらさき

 

 

 

 

拝啓

昨夜の続きか、今日は今朝から何にもやる気が起きなくてボーッとしてお

ります。魂が抜けたような状態です。それでも子供はいつもと変わらず元

気に家中を荒らしまわる訳で、先ほども思わず叩いてしまいました。

 

最近、子供に手を挙げる回数が増えています。とっても短気になってるん

です。手を挙げたあと必ず「ああ、この子はわざとやったワケじやないの

に。結果として、こうなっただけなのに・・・と思い、落ち込みます。

 

ストレスが溜ってるのか・・・他にこれといって不満はないし、それ程自

分ではストレスを感じていないので分かりません。

 

以前、新聞に“育児書は一様に理想的な母親像を求める。それを読んだ

親は現実と理想のギャップの中で葛藤する。一冊でも「怒ったり、子供を

叩いてしまいたくなるのは当たり前と書く育児書はないものか”という

ような内容の投書が載っていました。

 

 

 

 

私も理想に惑わされているのかも知れません。私は児童福祉科の短大で2

年間、一般の育児書以上のことを学びました。

 

してすぐ結婚して子供を産んだので、短大で学んだこと、実習で教わ

ったこと(いずれも一番良いとされている保育、育児方法)に強く影響さ

れているのかも知れません。

 

二十歳で子育てが始まり、年長の方々が親切心でいろいろと育児法を伝授

して下さりましたし、保健婦さんにもこうしろ、ああしろ、と家庭訪問の

時に言われましたが、どれもあんまり役に立ちませんでした。

 

それからは義母の言うことも聞きながら、助けを得ながら「子育ては自分

で考えて育児書には頼らないワとやってきたつもりですが、やっぱりよ

く分かりません。

 

 

 

 

義母にはいろいろと助けていただいていますが、母親と祖母とは子供に対

しての気持ちの持ち方も接し方も当然違ってくるので、お互いの立場から

しか意見を言えません。義母はかて母親であったけれど、今は祖母とし

てからの物の見方の方が強いのです。

 

子育てで悩むのはどこの母親でも一緖なんでしうね。

 

・・・この悩みは、創造からのプレゼントですよね。

 

確かに私は子供の態度やふるまいをみて「自分の創造という親に対する態

度もこれと同じではないのか?と気付かされたこともあります。

 

でも、すぐに忘れちゃうんですね。

 

お互いに創造の働きのお手伝いをして、お互いに働きかけてるとは思うん

ですが、常にそう思うのは難しいです。

 

 

 

 

何だか暗いお手紙ですね?・・・きっとすぐに元気になります。

 

今日はクリスマスなので、義母と義姉と主人と子供と私と全員でパーティ

をやるんです。もちろん家で料理持ち寄りで。

 

ではまた。元気で頑張って下さい。 1225日 むらさき、

 

 

 

 

拝啓、

 

雪が降るほど寒い日も訪れるようになりました。想念観察のおかげで寒さ

の為、朝フトンからなかなかでられない・・・という事がなくなりました。

 

最近思うのですが「寒いといっては上着をはおり、胃が痛いといっ

てはうずくまり、「なんだか頭が痛いと言ってはボーッとしてる私って、

一体誰?・・・何だか朝から晩まで身体に使われて動かされているようで

す。「アンタは誰?」と言いたくなります。

 

身体があるから創造の活動のお手伝いができると思うので、たしかに身体

は大事だけど使われる覚えはありません。想念観察、想念観察・・・

 

ところで何だか書くのが恥ずかしいのですが、読んで下さい。

私、創造に対してものすごい勘違いをしてたのです・・・

 

 

 

 

私、今まで【どこかに】創造という存在、あるいは意識があると思ってい

ました。でも周りに存在するもの、宇宙そのもの、生物そのもの、全部、

全部、創造であったわけで、【どこかに】あるものじゃなかったんですね。

頭では分かっていたのに、全然分かっていませんでした。

 

夜、子供を寝かしつけている時、突然分かったんです。

(私はいも台所を片付けてる時とか、買い物の帰りとか、何でも

ない時に突然わかることが多いです)

 

周りのもの全てが急に偉大に見え始めました。

 

 

 

 

私は創造の中にいる・・・私の中に創造がいる・・・!それがはっきり

と分かりました。そして全てを存在させている創造・・・自らの中に自ら

を生みだす創造はすごい!と思いました。

 

私逹の何でもない動作、思考、それ自体創造であり、芸術であり・・・

びなのでは?と思います。そして私はあることを思い出しました。

 

この間、テレビでクイズ番組を見ていたのです。周りを私の子供が歩きま

わっていました。そして番組のリポーターがでは、ここで問題です

言った直後チャンネルが別の番組に変わってしまいました。それは絶妙な

 

タイミングでしたので、私は全く気付かずに、そのままテレビを見ていま

した。

 

 

 

 

テレビでは「海苔はガンを防ぐと言うことについての説明が始まり、私

これがクイズの問題?なんか変だな・・・」

 

と思いながらも、ためになる話しなので、そのまま聞き入っていましたが、明を全部聞き終わってから(五、六分位)番組が違っていることに気付きました。

 

びっくりしてあわててチャンネルをクイズ番組に戻しました。

 

おそらく周りを歩きまわっていた子供が、私の側に置いてあったリモコンを踏んだ拍子に番組が変わったのでしう。

 

これも、これは創造のプレゼントであることがはっきりわかりましたので「創

造よ、ありがとうと感謝いたしました・・・が、実はこの時の感謝の仕

方はちょっと間違っていたのです。私はどこかに創造がいてその創造の

意志が子供を使って私の役に立つ情報をくれた・・・と思っていたのです。

 

 

 

 

違いました!まず、私の中の創造が働き、自らを動かし(周りのもの、

この場合私の子供とリモコンと電波とテレビと・・・書き切れませんね)

自らを(海苔とその作用)見せてくれたのです。

 

私はつまり、周りのものと自分自身に感謝するべきで、それが創造への感

謝となるのでしょう。

 

ここで面白いのは子供です。おそらく子供はただ自分が歩きたいから歩い

ていただけで、そこに創造の意志など何も感じていなかったでしょう。

 

それは私自身にも言えることで、この不思議さは今の私にはわかりません。

 

それにしても・・・私はこんな当たり前のことに今まで気付かずにいたの

です。創造を一体どこに求めていたのでしう? !

 

創造の法則をどこに求めていたのでしょう? !

 

 

 

 

机もコップも雲も木も、それそのもので、創造を、創造の法則を顕してい

るではないか・・・本当におバカでした。

 

これまで創造への道を歩んでいると思っていたのが、実はその門すらくぐ

っていなかったことに気付かされました。

 

FUJ I日本に学ばさせていただいていたのに、今まで何を見ていたんで

しょうね?・・・恥ずかしいです。

 

私の創造への本当の旅はこれからです。

 

では、お身体に気を付けてお過ごし下さい。

 

* * F U J I 日本に学ばさせていただいていたのに、今まで何を見てい

たんでしうね?

 

・・・・全ては創造の中・・・ 創造でない世界はどこにも無いので

は?  編集部