21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

水瓶座讃歌29 パート5

[目次]

《上》と私のおしゃべり   茨城県 MS

 

 

こんにちは。マイヤーさんの本って面白かったんですね。今頃、この人は

何を言っているのかと言われそうですが、これ迄は「まあ、面白いかな。

位だったのですが、読み進んでいく内に、赤面と納得の連続で、ど一して

今迄この本を読まなかったのかと悔しいぐらいです。

 

今「精神」を読んでいます。一節づと書いてあるのでゆっくり読んでい

ます。その結果手紙を書く時間ができてしまったので書いています。

(何と言いましてもエリーナメッセージは読みたいですからね)

 

マイヤーさんの本を読んでいると、自分を否定しなくてはならない材料が

目次どん消えていくようです。

 

 

 

 

書かれている言葉は自分のしてきたことを否定しなくてはいけないのかな

と思える個所もあるのですが、自分の中に入れてしまうと肯定気分になっ

てしまうんです。もしかして自分の都合の良いように受け取っているだけ

かもしれませんし、わからない個所も多いですから、どれだけ理解してい

るのか分かりませんが、それならそれで間違えている部分や足りない部分

は、それなりの現象になって現われるでしょうから、それからゆっくり考

えて認識すればいいかなって思えます。

 

自分がどんな状態になろうとも創造の内であるということ、又どんな状態

からであろうと、そこから認識への道が開かれているということ、やっと

そこまで理解できました。

 

なぜ創造が愛なのかという疑問は、創造を認識できないから生まれた疑問

なんだなと分かり、どうして認識できないんだろうに変わり、マイヤーさ

んや宇宙の人達みたいに認識できるはずない事にやっと気づきました。

 

気付いてから回覽板を見てみれば、「反応のところにちやんと未熟な意

識体だと書いてあったりして・・・で、未熟なのだからマイヤーさんレベ

ルでは認識できない。(あまりにも当然すぎて笑えちえますけど、笑い

ながらで結構ですのでお付き合いください。)

 

 

 

 

 

でも私は思考して創造を認識する道を選んだのだから、私の認識を総動員

させて、その可能性を増やしていけばいいじゃない、と言うところ迄きた

ところで、子供達の朝食に目玉焼を焼いていたら、っとこの目玉焼は、

私が今朝は目玉焼にしようと考えて行動したからここにあるんだなと思え

て、じゃあ、この地球や宇宙を考えて、この世に出現させたものがあるんだ!

凄いな一と心から感心してしまいました。

 

テーブルの上にのった目玉焼を、誰も突如偶然として現われたなどと考え

はしない。

 

でも、宇宙や地球、人間の出現は、偶然の連続の結果だと考えることが科

学的だというなら笑ってしまえる。

 

宇宙の人達は超が付くくらいの現実主義者なのではないかしら?

 

その人逹の言う言葉が絵空事(考え方の一つ程度)に聞こえるのは、それ

だけレベルの差が大きいということ? ! ・・・・でも素敵ですよね。それ

だけレベルの髙い人達の言葉が聞けるなんて、そうあることではないです

から。

 

 

 

 

 

自分を否定しないで済むって楽ですね。今迄は、どれかの考え方を選択す

れば、自分のどれかの部分を否定しなくてはならなくて・・・でも否定し

きれないで苦しんでいたように思います。

 

「感謝と尊敬にあった「なさいに縛られて、「私は空を飛んでいる

と思いたいのに飛べない・・・ど一しよう。私って努力が足りないのか!

こんな自分とあんな自分は変えなくちゃ・・・と。

 

「感謝も尊敬も状態である。ならば、そんな状態がくるまで待てば良か

ったんだ。

 

時は無限 ならば、今の感謝も、尊敬もできない状態だって、気の済む迄とどまっていて何の不都合もない。なにも無理に思い込む必要なんてありはしない。

 

そんなことを考えていたら、昔嫌で捨てた(変えた)と思っていた自分が

ポンと出てきました。(人を人とも思わない傲慢で利己主義な自分)でも

それが嫌だとかショックだとか言うのではないんです。なんだか懐かしく

て嬉しくて、いいじやない、それが本当の私の有様ならそこから始めれば。

 

 

 

 

でも貴方の考え方の何個所かは、こういう理由で使えないわよ。なんて自

分に向かって説明したりして結構これも楽しい。

 

〜なさい。」「〜でなければならない。こんなにも自分がこの他人が

考えた考えに縛られていたなんて、その事のほうがショックでした。

 

でもそんな自分も無駄だったと思えないんです。ただその事を当然のこと

だとしている環境には腹が立ちました。

 

明るくて朗らかな性格じゃなくて、暗く陰険な性格でいいし、誰とでも仲

良くじゃなくて、必要以外は人の顔なんか見たくなくていいんだ。

 

自分が明るく朗らかな状態になって、いろいろな人と交わりたいと思うま

で、そんなことをする必要はない。

 

無理にその状態であると自分に思わせれば、本当の自分が沈んでしまい、

全くの無駄な時間を送ることになる。

 

自分の全てをかけてもいい人間( 恋愛) や仕事( 天職使命)、それらに

出会えれば、人生は素晴らしいものとなる・・・が、32年生きてきてそ

ういうものに出会った覚えがない。

 

 

 

 

「私は怠惰で無能なのだろう。だからそういうものに出会えないんだ。

と思っていましたけど、今は「誰よ、私にありもしないものを探させたの

は!! と言いたい。

 

縛られるといえば、過去にもかなり縛られていたようです。

 

食べることの大好きな私 おいしいものを食べている時のこの充実感

ーーーと思っていたのに、フォークの先のレタスが紙切れのように空っぽに

見える。うそ一と思ってじっ一と見ていたら、奥のほうに控えめにレタス

さんがいた。

 

一つのことを強く心に思うと «»(私とコンタクトしている存在を上と

呼んでいます。)に止められてしまう・・・ということが三度ほどあり、

 

始めは悪いことを考えていた為かなと思っていたのですが、どうもそうで

はないらしく、機会があったので、強く思った言葉を追跡してみました。

そうしたら進むは進むは、自分の奧へ奥へと止まることをしない。

 

 

 

 

「そうやって霊まで達した思いは、同じ状況の時、君の判断基準になって

いくんだよ。と言われたのが、レタスを観察した後か先かは忘れてし

まいましたが、なるほど、いつか過去(もしかしたら今世前も考えられる

わけ?)で食事をして楽しく充実した思いが、物を食べるとき出てきてい

たわけね?・・・だから一瞬一瞬が第一印象。

 

夜空の星は過去の記憶になるのかな。

 

美についてにありましたが、本当に価値があると思えるものなら、飾

る必要はないですよね。

 

マイヤーさんの本なんて挿絵の一つも無い上に、生活環境の違いやレベル

の違いからくる読みずらさもなんのその、充分に私を引き付けています。

あと今の私を助けてくれてはいるのですが、どんなふうに過去の記憶に縛

られているのか分からないこともありました。

 

 

 

 

中学生の頃、一月足らずなのですが、指先で色がわかった時期があったんです。

 

ラインマーカーがクラスではやって、お小遣い買ったのはいいのですが、入れ物(筆箱)まで買えずに机の中にバラバラに入れておいて、必要な色を取り出して使っていたのですが、その内に色によって持った時の感覚が違うことに気が付いたんです。

 

その後、次の月になってお小遣いを貰って筆箱を買ったので、そのことは

しませんでした。誰も証人はいませんし、今やってくれと言われてもでき

ないです。

 

でもその時、物には目で見る以外の判別法があるんだなと思いました。

 

このことはそう思っただけで、ずっといたのですが、半年ぐらい前に、ふ

っと、物に感じる感覚は皆んな同じなのだろうか?これが黄色よって初

めて見た時に、あの感覚も含めて黄色を覚えるのだとしたら、どういうこ

とになっているんだろう。目に見えていることだったら、ある程度は同じ

だろうけど、目に見えない部分なんて、皆別々でわかったもんじゃないな

なんて思います。

 

 

 

 

今はマイヤーさんの本や回覧板の内容を理解するときに想像力たくましく

利用したり、日常の生活をしていても、物質の現実感がないのですから

どうしても集中すると感覚でとらえようとしたり、フル回転です。

 

どれだけ縛られているのか心配です。この現実感がない(例えば、個体が

個体として感じられない?)ということも、小学生ぐらいから時々考え事

をしているとなってしまった状態なのです。

 

ど一しようと思っていると、だんだんまた元に戻るといったものでした。

ですから最初この状態になった時、別に気にもしませんでしたし、苦しか

った時もいざとなったら現実(物質)の世界だけを見つめれば元に戻れる

のだからと自分を支えていました。

 

今の状想だって小学生の頃からあったことだし、なんて私を支えてくれる

過去の記憶も、それだけに最初の楽観視?がとりかえしのつかない事にし

てしまったのかもしれないし、考えることを放棄しない限り戻れはしない

という思いに、私を縛りつけているのかもしれない。

 

 

 

 

でも、別にもうこの状態(現実感が無い)を悲観しているわけではないん

です。始めにも書きましたが、どんな状態であろうとも、そこから認識へ

の道が開けているわけですから。で、この状態と«»がなんで関係して

いるかという話しなのですが、髙校生の頃から«»とは話していますが、

24時間話せていた訳ではないんです。時には12週間ぐらいいなかっ

 

たりしてたんです。もう一人の彼女は「いつでもいるよ。日常生活をして

いる脳と、もう一つ脳があるんだ。「え一! ?頭がふたつあるの?

 

「ちがわい。」・・・などトンンカンな話だったのですが、急に「仕事

が変わったからずっといられるよ。なんてサラリーマンが言うような事

3-4年前に言ってきたんです。なんで今更と思いましたが、別にどっ

ちでもいいことですから、そのまま話していました。

 

その後この状態になった時、まず«»との会話回数が増えていたことを

考えました。

 

 

 

 

また直接会話が原因でなくても、«»と話していると考え事が増えてし

まうので、そのことが原因かもしれないと考え、この状態を元に戻すには

«»と会話してはいけないんだ。さあ、どうしよう! ・・・だったのです

が、今は落ち着いてしまったので、まっ、これはこれでいいじない、と

思えるようになったら、また«»が離れだしたようです。

 

次号へつづく