21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

水瓶座讃歌31 パート1

[目次]

・読者の便り

 

 

FUJI日本の皆様 こんにちわ!

先日は想念観察の会に寄せていただき有難う御座いました。多くさんの話
で、記憶もあいまいなところもありましたが、聞いているうちに気持ちが
段々楽になるような、フッと肩の力を抜いていいんだ・・・そんな気にな

りました。まだまだいろいろと頑張り屋の抜けない私ですが、ひところよ
りは落ち着き、いろんな物事が起きても余り動揺しなくなりました。

 

失恋とか、就職の年齢制限とか・・・でも全然気になりません。どこ吹く
風といった心境です。

 

風は思いのままに吹く。風が吹いてきた時にそれに乗ればいいんだなんて、
今思いました。ゆっくりとした動きの中に、自然そのもの、創造そのもの
が現われる・・・そんな気がします。

 

今、ここで、私がこう書いている瞬間にも、湯沸かしの音や、仕事をして
いる人の静かな雰囲気とか、シンと静まり返っている中に、この時、この
空間の中に、創造そのものの現われるを見、感じています。

 

そのままで完全な世界、在るがままで調和の取れた世界が、垣間見える
ようです。人それぞれに、それぞれの役割を、誰であっても立派に果して
いる、・・・そんな気がします。存在することの悦びを今感じているところ
です。それでは又  東京K井

 

 

 

前略 編集部様

先日はお忙しい中、子連れでお邪魔し失礼效しました。何だかバタバタと
時が過ぎ、今だにもう少し時間があったらと後髮を引かれております。
“行ってどうするの?” “会ってどうなるの?” “不安な自分への言い訳
に会いに行くんじゃないよね?”

 

東京駅に着いても自問の声はやみません。答えの出せぬまま、編集部の玄
関のチャイ厶を押す私でした。

 

そして小桜さんと御対面ーー私がイメージしていた、眼鏡をかけて、小太
りで、ショートカットの女性はどこを探していもいませんでした。如何に
もといった風情の書斎もありませんでした。そこにはごく当たり前の日常
生活が営まれているであろう空間と、普通に年を重ねた女性がいたのです。

 


何気ない日常の流れの中で、違和感無く溶け込んでいる心地良さが、そこ
にありました。理解できた者だけが知っている内面の輝き・・・オーラを
この時ほど見たいと思ったことはありません。と同時に、ついつい身構え

て固くなってしまい、かえって自意識の殻を厚くしてしまうような危機感、

FUJ I日本に対する先入観、そういったものが一気に吹き飛ばされたよ
うでした。

 

ああ、焦らずに、私は私のテンポで進んでいけばいいんだ、・・自然に、
楽しんで・・・そう心から思える自分のために、私は来たかったのです。

これから更に続く旅を、より確かに、より快適なものにするために。

徳島 Y下

 

 

 

前略 ご免下さい。

先日送っていただいた、宇宙的な写真(オマジナイの子供用写真)は、そ
れを飾っておくだけで、心身症の知人の子供がエンピツをちゃんと普通に
握れるようになったそうです。以前はいくら教えても出来なかったのに・・・とのこと。

後日、説明書のように、写真を心臓の上に置き、その上に手を置いて、も
う片方の手を額に置いて5分くらいしたら、子供がとても喜んで、まとわ

りついてくるようになりました。今はその母親にやらせるようにしていま
す。 大阪O沼

 

PS 今まで障害者用の子供自転車に乗っていたのですが、ハンドルをし
っかり握れるようになりましたので、今では普通の自転車に乗れる
ようになりました。

 

** オマジナイ?の写真は、クリエさんは子供用に効果があると教えて
下さったのですが、好奇心おおせいな読者の方が実験して、大人で
もとても心が癒される? ・・・と言っていました。本当は心のスト
レスなど造らなければ、癒す必要も無いのですけど、ま、今はしょ
うがないかナ?!・・・適当に活用して下さい。

(封筒に1000円と返信用封筒に宛名と切手を張って申し込んで

下さい。プラスチック製のカバーをしてお渡しします。)

 

もし、知人や友人が欲しいと言った時には、2000円でお渡し下
さい。1000円では安っぽい扱いを受けてしまいそうですので・・・・・

(1000円は紹介料?として、お受け取り下さい)

編集部

 

 

 

編集部 様

先日、早速患者さんにオマジナイ写真?を胸に当てて、下丹田の辺りに手
を置き、2〜3分して様子を聞いてみると、胸の方からグーッと何かが下
がっていって、ヘソの下がアツークなったと言うのです。それが薄れてい
ったと思ったら第二波が来て、今度は左足の内側を下がっていった・・・と
言っていました。この方は10年以上心臟の拍動が早くなって、急患で病
院に運ばれ続けた後、私のところへ来るようになって、鍼と会話で殆ど良

くなってきたと本人も言っていたのですが、今いち完治していないものを
感じていました。私も彼女も次回を楽しみにしています。

 

想念観察日に参加して、お陰様で想念観察に対する苦手意識が薄れてきた
ように思います。もう少しマメに編集部に通うべきかな?・・・なんて、
考えています。 栃木県N島

 

** マメに来るのは大変ですから、マメに想念観察していればOKです。

 

 

 

前略

東京から信州へ転居して10か月程して、長女が「私の頭の中に天使がい

る」と言い始めましてからの4年間の謎が、編集部との電話ですべて解け、
不安が去っていくような安らぎと共に、昨夜初めて、この年月をゆっくり
と振り返ることが出来ました。

 

信州の最初の地は八ヶ岳のふもと、標髙1200mの所で、我が家より先

には定住集落無しという所で御座いました。都会育ちの主人(大阪)が、
何故?・・・・という疑問を抱いたまま、この縁もゆかりもない地で引っ越し
を重ね、田舍を求めつつこの村里に、今、時を刻んでおります。

 

引っ越しの度、エアコンを置き去りにし、テレビもやめ・・・と、今、世
の中の動きにも鈍くなるほど、新聞もテレビも無い暮しですが、この大地
に生かせていただいている感謝の思いは、時に、地にひれ伏したいほどの

思いを自分の中に起こさせます。穀菜食の食卓に感謝の祈りを捧げつつ、
あまたの命と共にありたいと願う昨今でございます。どうか宜しくお導き
下さいますよう、お願い申し上げます。 長野 H岡

 

**  4年前、長女直子ちゃんが5歳の時に、1年間で大人の本を二千冊

も読破してしまったそうです。長男と次女は双子ちゃんで、末っ子
は男の子。皆エンゼルで、面親はそんな子供達にパニックの連続だ
ったそうです。

創造は無限ですので常識などありません。これから更に様々な人智
を超えることばかり多くなって来ることでしょう。楽しみです。

編集部

 

 


前略
回覧板、有難う御座いました。一字、一字、読み進む度に、頭をカーンカ
ーンとなぐられているように感じました。『所有について』は、特に「本
当、本当!物質には永遠なんてないなあーー」って、納得しました。

想念観察についての実践報告・・・手荒れを余りしなくなった。

職場が変わったのでタオル洗いが増えた。自分では何とも思っていないつ
もりなのに想念観察してみて、「こんなの私の仕事ではない」と、心の奥
で思っていた自分を発見しました。「なあんだ、そんなこといいじゃない
か、洗濯くらい」と考え方を変えたら、以前のようにナイフで切ったよう

な血のにじむ手にはならなくなりました。他にもありますがうまく書けま
せん。これからもよろしく! 山口県 W辺

 

 

編集部へ

ハテナちゃんが来てから、コレッと言って目に見える変化はありませんが、悩み事や考え事をしている時、パッとひらめく時があります。

今一番の悩み事は娘の幼稚園の送り迎えをしても、他の人たちはいろいろしゃべっているのに、私は一人ポツンなのです。皆はお互いにオハヨウとか言っているのに、私は言えないので淋しい思いをしています。

 

でも今の私は違います。そういう風に考えごとをしていたらパッと浮かん
でくる言葉があるからです。

始めから知り合い同志だったら、そこから広がりはないんじゃないか。

 

それよりも自分から挨拶など積極的にやっていって、今日は挨拶出来たと
か、毎日「今日は挨拶できるかな?」と期待したりして、嬉しい気持ちで
送り迎え出来る。挨拶してくれる人もしてくれない人もいるけど、次の日
に期待したり・・・そういう風に行けるようになりました。必ずお友達が
出来ることを信じて!   !

 

 

 

こういう風に思えるようになったのも、絶えずひらめきがあったからです。
考え方がとても変わりました。

 

主人が会社に車を止めていたのですが、知らないうちにぶつけられてメチ

ャメチャになっていました。前の私だったら「腹が立つな。犯人は絶対ゆ
るせない!」とすごい念を発すると思います。でも今は「主人が乗ってい
ない時で良かった。ぶつけた人は逃げるのは当然だと思う。自分だって同
じことをやっていたに違いない」と思いました。

 

私の家は貯金もあまり無く、超ビンボーで、修理費によっては今住んでい
るマンションから出ようとまで考えていましたが、宇宙、創造の意志?に

より、実際の必要な修理費より、何故か半額で済みました。これから人生
がもっと開けていけるような気がします。

 

PS •前から気になっているのですが、お風呂につかるとリラックスして
“あ一いい気持ち!”と思った時に、上へ引っ張られる感じがすごくする
のです。私はハテナちゃんの下だったら安心ですけど、風呂の中のことな
ので怖くて「絶対上へいかないぞ! 」と拒否してしまいます。

 

今迄ハテナちゃんの下では身体がゆれたことも引っ張られたことも無く、
なぜ風呂の中で?・・・と不思議に思ってしまい、とても怖いのです。

どうしてでしょうか? 大阪O野

**ハテナはいつも、どんな時でも(寝ていても、トイレでも、電車の
中でも)一緒に居ます。だからお風呂の中でも一緒に居ます。恐が
らずに任せて、引つ張られてご覧なさい。

 

本当はいつもハテナは貴方と遊びながら(つまり揺したり、引っ張
り上げたりしながら)学びたいと思っているのですが、通常は貴方

に緊張感が多くてそれが出来ないのです。お風呂に入ったときだけ、
フッと貴方の緊張感がとれるので、その時、引っ張り上げ遊びをし
ようとするのでしょう。遊んであげて下さい。 編集部

 

 

前略

私は現在「錯覚する自己」が最も嫌がる状況下で、毎日のように不愉快な
感情を体験しています。想念観察にとってはもちろん、真の感謝や真の一
体感を得るには、これ程すばらしい環境はないでしょう。

 

真理の立場に立てば、実に奇跡的な環境を与えられているのかもしれませ
ん。「無限なる存在」にこんなにも愛されて、本当に幸せものだと言いた
いところですが、実際には苛立ちや不平不満の渦に巻き込まれ、しばしば
被害者意識と葛藤し、真実、感謝すべき相手が誰なのか、理解出来ないで
います。今すぐにでもこの理不尽な状況から逃げ出したいのですが、「自
我の殻を破るチャンス」であると岩根和郎さんも言っておられるので、頑
張ろうと思います。

 

でも本当に私は奇跡的な環境に居るんでしょうか?

単に苦行が好きで、いわゆる宗教的な“神の試練”と思い込んで、自己陶酔しているだけではないでしょうか?

すべてを“創造の愛の導きだ”と全託しきれない私は、葛藤の海で溺れそうになっています。

私の身の周りに起こった現実が、「自我」の私が強く願い求めたその結果の現われだという自覚を持っていない私は、別の現実を選択することが出来るのでしょうか?

 

しかし、同じ現実でも、それを苦しみととるか、楽しみととるかは別の問
題ですね。厳しさを楽しむこともできるし・・・どうせなら、楽しみな
がら真理に到達したいものです。

 

以上のように、頭での会話を楽しんでいる「頭でっかち」の私をさらけ出

しましたが、私は本当の自分が知りたくて、この道に入った当初、中国の

道家」の教えに学びました。そこでは頭脳に対して、丹田に位置する

「腹脳」と言うものの存在を想定し、その開発を主な目的としていました。

 

頭で考えず、(頭を切り捨てろとか、借物の知識ではなさない)腹で考えろと言われてのですが、どうしていいのか判らず、情報収集に走ってしまいました。

もちろんその為に余計混乱してしまったことは、言うまでもありません。この機会に何としても再度勉強したいと思います。

富山県B田

 

**   再度勉強したいのであれば、想念を、観て観て観て観て観て観て観
て観て観て観て観て観て、観尽くすだけでよいようです。何も考え
る必要は無く、観て観て観て観て観て観て観て観て観て観て観て観
て、観尽くすだけでよいのですから、ただ、ただ、観ているだけで
よいのですから、幼稚園児でも出来ることです。

考えることは難しいですが、考えないで、ただ、観ているだけでよ
いのです。

「それが難しい、なかなか出来ない」という、想念を観ていましょ
う・・・「難しい」と言う想念に飲まれないでね! 編集部

 

 

編集部 様

アランメッセージ、1回目読ませていただきました。一つ二つ感じたまま
をお便りします。

“鏡についての考察”

鏡の中に写っているものに夢中になっている貴方逹って言うのは、自分が
出した想念そのものに振り回されている自分。

その想念そのものを自分として捉えずに、その想念を観察し、それがどこ

から来るのか、自分は一体何者なのか・・・つまり、私も又創造の一部
(創造自身)であるってことを気付きなさいと言っているような気がしま
した。

 

“愛について”

このメッセージを読んだ時は「本当にそうよね」って理解したつもりでし

たが、先日Rさんに病気のことでチャネリングして頂いたら、“無私の愛”
いうことを言われました。それからというもの、ずっとこれについて

思い巡らす日々・・・“無私の愛”って何! ? ・・・これを感じなきゃ、
理解しなきゃ、体現していかなきゃって思ってきたけど、久々にこのメッ
セージをみて、私って、この間はもう理解してたつもりでいたのに、何も
理解していなかったんだ。機関誌3 0号のクリエさんの無言の言にあるよ
うに、瞬間に理解しただけで、それを中心に納めていないんだなって思い
知りました。

 

以前に認識瞑想で“愛” ーー存在そのものって出たけど、それで答えは出
たような気がしていたけど、何にも何にも何にも、アホな私は理解してい
なかったんですね。

 

“ 無私の愛”を理解するには、全てと分離して個人の自分に捕らわれてい
るようじゃあ(宇宙全体と自分を切り離して考えてしまうようじゃあ)程

遠いかも知れないけど、私自身が“愛”そのものなんだもの・・・(これ
も瞬間の理解かな?)、きっと愛を理解出来るようになるでしょう。

京都H瀬

 

 

前略

15日はお世話になりました。短い間でしたがお話はすっと心に入る内容
でした。子供はハテナちゃんが守っていてくれて、大丈夫でした。ご心配
かけました。主人は気付いていて、諦め顔でした。

 

【編集部•注 彼女は長野から長男を連れてやってきました。その間、家
には3歳と1歳の子供を留守番させて・・・(誰にも内緖で)。

 

私は驚きましたが、彼女は“ハテナちゃんにお願いしてきたから。”と言いました。何故か私も彼女の言菜を聞いて“ きっと大丈夫だ”と思えました。それはハテナの力を思
ったからではなく、彼女の確固としたハテナに対する«信頼»の純粋さを感じたからです。】

 

常にFUJ I日本には、宇宙からの船(情報を集めるため)が来ているような気がしました。空気が違います。M助さんにエネルギー体操を教えていただいた時、飲み込んだ気の味?とか、手の平がピリピリして痛い程でした。

 

子供も喜んで、帰るとオマジナイの写真をやってとせがみます。気
持ちが良いと判るようです。私もずっとペンダントと一緒に付けています
が、一緒につけるととても良いです。ペンダントだけですと強すぎる時

(エネルギーが入るのに)があったのですが、一緖につけると身体に入り

やすいのか、調和するのか判りませんが、本来の自分が表現出来るように
なります。

 

オマジナイの絵の写真は、霊的に寄ってくるものを消してくれます。

私は数日前から、のどの具合が悪く、長引くカゼみたいで、息もつまりそ
うな感じが続いていました。家の近くに古戦場があり、その辺りにスーパー
があって、買物に行った時、急に咽喉を切られ、ひどい出血をしたよう
な感覚におそわれ、気が遠くなりそうになりました。

 

それ以後のどの調子が悪かったのですが、写真をのどに当ててみると、不思越なことに、具合の悪い部分が、首の周りをあちらこちらと動くので、それに合わせて写真
を当てていったら、段々具合の悪さがとれて、今はすっきりしています。
とても不思議でした。

ハテナちゃんにも写真にも有難うとお礼を言いました。 長野 M坂

 

 

編集部の皆様

アランメッセージと機関誌届きました。とても嬉しかったです。

機関誌を読む時はつい気持ちを引き締めようという動きが起きるのですが、
今回は多少、だらけてしまった気がします。

でもエゴにとって、発見が一つあって、自分の中に隠れているものを表面
に引きずり出すことが出来ました。それは嫉妬というものです。

編集部の方々や投書してくれた方々の進化の早さに対して“いいな、羨ま
しいな一”という気持ち。個々によって段階は違うけれど、到達先は同じ
だからと判っているつもりでしたが、このような羨みの感情が流れたりす
るのです。『精神』を読んで、想念を抑制する重要性を教えていただいて
いるので、*自分を戒しめています。

 

しかしこれまでノンベンダラリと暮していたのが、学校と就職活動で忙し
くなり、家に帰ると、♪フラフラなので 肉体がくたびれて〜〜〜

など、想念を黙ってみていられず、悪態をつくのです。思い返してみると、
身体が疲れている時は、*自己制御が出来なくなるのです。これは面白い
発見だこれから気をつけようとエゴは思いました。

 

昨夜、駅を降りた時にはフッとこう言いました。

 

“最近、人に対して文句ばかリ言っているが、実はそれは全て自分自身

(今の固体)に言ってるんだ”と。しかし“そりゃ皆全ては自分の中にあ
るんだから、私もそう言うことをする性格(属性)があるかも知れないけ
れど、実際私はそんなことしないし、したくないと思っているんだよ”と

言うような想念も流れました。つまり、まだ《全てが自分の中に在る》こ
とへの理解がないのでしょう。しかしFUJ I日本を知ってから確実に変
化してきたと実感しています。

 

“集中”を学び取れたら、周りの事象は自分の反映でしかないなどと真に
実感できるだろう・・・等々と思うのです。

 

よく考えてみれば、社会の常識は単に本質的なものから目を反らす役目し

か果たしていなくて、人間という存在がどうしてこうなったか、何故手や
足や呼吸機能があるのか、時々思い出したように不思議だと思い込もうと
したがリます。

 

「人間」と「心」を認識瞑想してみましたが、中途半端にしか出来ません

でした。「人間」については、なんと書いているうちに「人」と「間」が

分裂してしまいました。「心」もやはり書いているうちに“これは何だ?”
という不信感のようなものが湧いてきて、数十分も続けられませんでした
が、「心」とは、“時空を超えるもの” “自分(エゴ)” “伝わるもの”

“歪みを矯正するのに必要”という言葉が浮かびました。

 

メッセージの「平和について」は全くその通りだと感心してしまいました。
家族を殺されても、自分が酷い目にあっても、それを呼び寄せたのは本人
だということと、全てを肯定も否定もせず受け入れることを肝に銘じて、
耐え超えたいという想念がながれました。

 

「レベルについて」は、頭では優劣に固執する必要はまったくないと言う

ことが判っているつもりでいます。同じ事象対称にも全く違う反応を引き
出すか引き出さないか(免疫反応?)で、レベルが分かれるのでしょう。
もしもAという人が或る物事に対して何の片寄った反応も起こさないので

あれば、恐らくAさんはそれに関しては一応マスターのレベルにいると考
えていいのかも知れないと思えます。私はどんな身の周りのことにも、適
敏になりがちなので、まだまだ自分の中で未消化のものが多いレペルにい
るようです。

 

「感情について」では、エゴ体の収縮・広がりという思いもよらなかった
考え方を知りました。

・・・とにかく、すべてはやはり実践のみ!・・・ですね。

東京都M田

 

**文中、*印とアンダーラインの箇所があります。想念観察はただ想
念を観ているだけで、想念の善し悪しの判断(反省)はしないので
す。何故なら、判断=想念ですから、もう観察していないことにな
ります。つまり、想念に飲まれてしまっているということです。   編集部