21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

水瓶座讃歌31 パート3

[目次]

・«上»と私のおしやべり(その3)  茨城県 M田幸子

 

『欲について』主人が何故あんなにも次から次へと欲しいものがでてくる
のかやっと納得。私だってそれらの物を管理していかなくていいものなら
ば欲しいかもしれないな。

ともかく主婦は家族の所有物を全部、維持・管理していかなくてはならな
いので、ついつい、維持・管理の楽なこういうことで楽しんでしまう。そ
の点では私もかなりの欲張りかな。

 

『優劣意識』無限を実感できない私はまだまだこれで苦労しそうです。で、
今後の対策としては、出てくる意識を押さえるのはなかなかめいる作業な

ので、とりあえずそれで思いっきり遊んで、無限を実感できたあかつきに
は、「あ一、ばかだったわね。」と5秒間だけ思って終わりにする。無限
を実感できてからはこれで遊べないのですからね・・・甘いかな?

 

『進化』ここに書かれてある意識体の進化みたいなことは考えたこともあ
りませんでしたが、長男を産んだ時に、それこそアメーバの状態から私ま
で一度として途切れることのない生命の流れを感じて感激したのを覚えて
います。また子供を持てたことで、未来に統くこの流れの中へ私が入れた
んだ、すごいなとも思いました。

 

『病について』「一点において矛盾の無い状態」で病にかからないという
こともすごいですが、そんな状態は、病ということを考えなくてもすごく
気分のよさそうな状態ですね。

 

 

『平和への祈り』理解以前にある者は平和を祈ることも無意味であるとは、
なんて寂しいことでしょうね。世界各地で起きている争いを、以前はなん
とかできないものかと考えていたのですけれど、あまりにもそれぞれの言
い分が多様なのと、その場で権力を持つ者の人間とは思えない行動(考え方)、

他の立場からの援助の無意味さ、何よりも子供を持ってからは、子
供たちの悲惨な状況を直視できずに避けていました。

 

でも、同じ時代、同じ星にいて、もしもそこに関わりのある人と話す機会
があった時(ないとは思いますけれど)その人にこんな状況なんですよと
言われた時、「え一!うそ!知らなかった!」では、こんな恥ずかしいこ

とはないな。せめて興味を持っていよう。知っていることしかできないか
ら知ってだけはいよう・・・なんて私にしては殊勝なことを考え出したの
ですが、一気にFUJ I日本さんの方へ流れてしまっている私にはやっぱ

り平和の祈りは無理なようです。

 

『想念と現象』・・・私「結局どんなふうになっているの?」«上»「君

の器へ入れようとすると変形してしまうから・・・」せめてここに書かれ
ていることは極力、変形しないように納めたいと思います。

感想はこんなところです。想念観察をある程度実践してからとのことです
が、次が読みたいのです。申し込み方法を教えてくださいと入力したこと
で«上»のため息が聞こえそうです。

 

 

«上»「せっかくそこに(地球)いるのに、これだけ文明をもっても・・・

がその程度で止まっている状況はそうはないよ。それを楽しまないでいる
なんてね。」私「間違ったことしてる?」«上»「だから器が小さいって

いうんだよ。」だそうです。でもやっぱり読みたい。 茨城県 S子

 

新年初めての手紙を書きます。

三年ぐらい前まで、私の中身は小学生の頃から変わらないな一。こんなも
のなのかなと思っていました。三年前から去年と違う今年の私を意識しだ
していましたが、この頃、先月と違う今月の私になっているようで、これ
が私の考えよと今日のうちに言っておかないと、明日は違うことを考えて
しまって手紙が支離滅裂になってしまいそうです。これだけクルクル変わ
ってるってことは、真理には、まだまだほど遠いって事ですね。ウフフ・・・
。(笑い事ではないのでしょうが、なぜかとても楽しい。)

 

友人(名前はヒロ)の子供が脳性マヒだとの検査結果が出ていたと聞いて、
想念観察にはまたとない年末を過ごすことになりました。ひとしきり泣い

た後で、一体、私は彼女にどんな言菜をかけることができるのだろうと

(潮来一横浜間では直接手助けできないので、せめて)一生懸命考えたつ
もりの言菜の数々も、直にその問題にあたっている彼女にとってすでに考
え実行していることばかりで、私の方が大きな課題をプレゼントされてし
まう始末でした。

 

その上、別れ際の彼女の言葉で、どんなに彼女自身努力して、無理して、

穏やかな私とのおしゃべりの時間をつくったのかに気がついたものの、

どうすることもできない自分に、余りにもどうすることも
できなさ過ぎて、私は私を演じていくしかできることはないんだわと、

何故かとっても納得してしまって、今年は思いっきりこの体を使って(演じ
て)みたいな、なんていうのが今年の抱負です。

 

こんなにも多くさんの貴重な体験をさせてくれた今回のことなのですが、
感謝しようと思うと、自分の都合だけの偽善じゃないかな?なんて思え
てしまって、ああ、私の感謝には、そんな気持ちが含まれていたのかな、
また一つ教えてもらったな。じゃ感謝できるかな?・・・駄目だわ。悲しく
て、でもこの悲しいって気持ちが含まれないって、私が勝手に考えていた
ことかもしれないって・・・・ここまではきたんですけれど、やっぱり感

謝はまだできそうにないです。

 

 

日常生活は、今までと同じように過ぎていますが、内面的には私としては
かなり変わってきています。(と思っていたら、この前夢で、いつまでそ
んなところで満足しているのよ。まだ教えたい事は山ほどあるのに。とい
うような事が書かれた手紙を小桜さんから受け取りました。勝手に出演さ
せてしまってごめんなさい。)

大体は楽しいな、面白いなと思えることなので、ウキウキと日々を過ごし
ていますが、いいのかしら? こんなにお気楽で! これから大変な事が
起こるんじゃなかったっけ!?・・・でもだからって不安になってみたと
ころでどうしようもないし・・・。

 

やっぱり今年の目標は自分を精一杯動かすです。(丑年、お牛座生まれの

我は、好きなものを食べながらゴロゴロしている時間が、とっても好きな
ので、この目標は結構髙望みなのです。)

そんなこんなで本年もよろしくお願いします。

 


こんにちわ!

久しぶりにヒロ( 彼女も« 上» と話をしています)と話をしました。

(彼女は子供のことだけでも大変なのに、同じ敷地内に住んでいるおばあ
様迄がボケ症状がある為、忙しくてなかなかつかまらないのです。)

電話で、症状が進んでしまい入院する事になった子供のことを「この子が
生まれたばかりの頃の写真を見るのが辛いの。今と全然違うから。・・・
でも進まなきゃ、進んでいかなきゃいけないんだよね。」と聞いて、ちよ
っと驚いてしまいました。私はこのごろ迷いだすと、唱える言葉がやっぱ
り「進むしかないじゃない」だったのです。彼女とはよく意見が合います
が、それは«上»という共通の話題のためだと思っていました。

 

12月に会ったときも、披女の言った言業は、私も殆ど考えていたことで

した。

« 上» と話さず子供のことで頭が一杯の彼女と、« 上» や創造や、自分の
ことで一杯の私が、ど一して同じ言葉(感想)を持つのだろう?

 

私達同じ問題に取り組んでいるのだろうか?・・・現象として違う体験を
しているから、頭から自分と他人は違うと思っていたけれど、本当に違う
のかしら?

 

今何を考え感じているかということは、普通かなり親しい人達にも本当の
ことはなかなか言えませんよね。又心の問題は何かきっかけが無いと考え
ないし、だから、違う人間が違う現実にいれば違うことを考えているもの
と思っていました。でももしかしたら、同じ問題を皆んなで解いていて、
ただ私という人間がそのことを考えるのに私の現象、他の人が考えるのに
それぞれの現象を通してって・・・つまり、一つの研究課題を多くの視点
から分担して解明しているのかしら?

 

 

 

機関誌を読んでいて、他の方の手紙にうなずいてしまうことが多いです。
あまり皆んなと同じ考えが多いので、一体、私固有の意見や考えってある
のかしら?

想念観察と言うことで、私に私がどう見えているのだろうと探検してみま
した。そうしたらテレビや映画を見ているように、ただ物や人が立体的に
触感、匂い付きで存在しているようです。まるでM田幸子なんて実際には
存在していない感じです。そう思ったらなんだか涙が出てきました。悲し
くて心細くて、真っ暗闇の中で怖くて震えてしまう・・・以前から何度か
感じてきたことですけれど、どうしてこんなに心細く怖いのでしょう?


子供を保育園に連れてゆく途中に花が咲いています。それを眺めて思いま
す。以前私は自分を一生懸命押さえようとしたことがあります。自分の中
に不満が溜ってくると「小さな花や草たちも何の文句も言わずに一つの大
きな自然を支えているのだから、私が何の文句を言えるだろう」と考えて
いました。そんな私に或る日、«  上»  が一言「うぬぼれているな」と言っ

たんです。

 

私の頭の中はバニック状態。言い返そうにも言菜も考えも出てきませんでした。

ほめられる態度、考えと思っていたのに、ほめられるどころか、

自惚れているなんて!  ・・・

でも、そうですよね。どんなに小さな花や草でも、自分を最大限に表現す
るから素晴らしい自然を造るのです。私のように全体のために個を押さえ
るなんて理屈をつけて、努力もせずに花や草のようになれているなんて考
えは、確かに自惚れですよね。それ以来、私にとっては花は自分を最髙に
表現しているものだったのですが、近頃同時に自然や地球の理に適ってい
るから、今ここに存在しているのだと思えます。

 

全体の理にかない、個を最大限に表現しているもの・・・全体と個が一つ
に存在しているもの・・・花を見る度に溜息が出そうです。

 

私たちという人間を最大限に表現させて、なおかつ全体の理にかなえさせ
る方法・・・何をどうすればいいんでしょう。

 

 

今日機関誌( No 3 0)が着いて、一日中、キャーキャー言いながら読ん
でいました。で、本当はこのあと、実感として、個としての私よりも全体
としての私を感じ、全体であるために創造としての私を感じ・・・それな
らば、不利益も覚悟で行動したいと書くつもりでした。でも自分らしくな
いことは考えるものではないですね。今日、機関誌を読んでいて、やっぱ
り、もうちょっとこのままで行ってみようかなって思えます。

クリエさんの中心に納める方法は知りたいなと思いながら一言。

 

前回の手紙でマイナス感情に舌打ちしていた私が、«上»の言葉でマイナ
ス感情も喜んで受け入れて、良い剌激でしたと書きましたが、同じころ、
お腹の辺りに穴を感じていたのです。感覚的には何かもの足りなくて、美
味しいものと口当たりの良いものとか食べたいなという感じでした。

 

で、食べてみたのですが、お腹は一杯になるのに、その感じは止まりません。

仕方なく食べて埋めるのは諦めて、«上»と埋めっこ遊びをしてみた
のです。でも、ど一しても埋まらなくて、疲れてしまって、もう今日はい
いやって思ったら、明日もいいかなって思えて、もしかしたら穴が空いて

いるって認識していれば良いのかなって思ったら、とても楽になりました。
(でもこの時、付き合わされていた«上»の方が困っていたらしく、私が

諦めたとき、ちょっと気の毒なほどホッとしていたようです)

 

その時考えたことは、私は完全ではないのだから、穴が在って当然、また
足りないと思うから求めるのだから、むしろ大切かも知れないと思います。
と言うことで、放っておいた私に、「足りないというメッセージは、埋め

ようという考えを起こさせるためにあるんじゃないのか」とクレー厶をつ
けられたのですが、そんなことを言ったって、埋め方知らないし・・・

だったのですが、クリエさんの言っている中心に納めるが、その穴の埋め方
かしら?・・・それとも別かな?・・・うーーん 楽しいですね。

 

クリエさんの言葉に「びくともしない活気凛々たる、それでいて柔らかく
水のような私」とありますよね。

私には程遠いと思いますが、この言菜を読んでいたら、«上»と会話を始
めたばかりの時に、もう嫌だ!もう疲れた!と言った私に「じゃ、やめれ
ばいい。みんな放り出して寝ていればいい。どうせ君は三日もすれば、ま
た歩きたくなるんだから。」みたいなこと言われたのを思い出しました。

活気凜々とは言えませんが、もう駄目だ!と思っても、三日もすれば懲り
ずに歩きだす私に、活気が無いなんて何故思っていたんだろう。ちょっと
自分に対して失礼な思い込みだったようです。こんなところで今日は寝ま
す。お休みなさい。 次号へつづく

 

**    穴ではありませんが、私(小桜)も十数年前、咽喉が渇いたように
クリスタルな水が欲しくて欲しくて仕方ない時が1年くらい続きま
した。それで、野や山に行ってきれいな涌き水や透明な川の水に足
を浸したり飲んだりしましたが物理療法では一向に渇きは治まりま
せんでした。それで少し判ったことは、それはどうも霊的要求が象徴的に現われたのではないかと言うことです。

 

つまりクリスタル=創造と言うことで、創造に対する求めが「渇き」

と言う感覚的な表現をとったように考えられました。

話は変わりますが、今まで掃除や整理整頓が苦手、又は嫌いな人が、
急に掃除し始めたり、整頓し始めるケースがあります。一時的気紛
れなものではなく、以後ず一っときれいにし続けます。他人の目を
意識してやっているのではなく、きれいにすることが爽やかでやり
たくなるのです。

 

このような事が起こる時は、想念観察もかなり徹底して行われてお
り、想念に対する整理整頓が出来てくると、物質世界も連動して整
理整頓に入っていくようです。それらを見ていると、想念の世界と
現象世界が密接につながっていることを感じます。面白いですね!

編集部