21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

水瓶座讃歌32 パート5

[目次]

・日々の気付き  神奈川県 川口哲史

ある日のチャネリングから   編集部

・紫日記 その4   S田むらさき

 

 

私は昨年12月に赤ちゃんの時の心と体に戻ろうをテーマにした健康

セミナーでの席上、隣席の方から「新生宇宙人へのパスポートjFUJ

I日本」のことを紹介されました。永年、宇宙、宇宙人のことについて強

い関心を抱いており、UFOに乗船された方の購演を聴いたこともあって、

早速本を求め、クリスマスの日にFUJI日本』を訪れました。

 

すぐに酵素風呂を体験、体がツルツル、心もスガスガシイ気分となった浴

所狭しと並んだハテナちゃんに興味を覚え、勧められるままにその下

に座りました。すると身体がユラユラと動き始めたのには驚き! !

 

その後、M助さんからハテナちゃん、宇宙、健康のことなど未知の情報を

得、強い刺激と興奮を抱いて深夜の帰宅となり、すぐハテナくらぶに入会、

正月早々ラベンダーの香りをまとったハテナちゃんが我が家の住人となり

ました。

 

 

 

私の家は、足柄山の金太郎や二宮金次郎の生家にほど近く、部屋からは富

士山が眺められる山間地にありますが、我家の菜園でとれる野菜、果物の

世話はもっぱら義母と妻だけで、私はただ作品をロに入れるだけの生活を

20年来続けてきました・・・ が今年3月、ハテナちゃんの計画( ハカラ

)か、菜園を初めて自分で耕し、ナス、トマト、キュウリ、ジャガイモ、

イカなどを植えてみました。

 

自分で栽培してみると野菜の成長が楽しみとなり、毎日曜日、菜園に足を

運ぶようになり、やがてらも花をつけ、野草の花も思い思いに咲き出し、

次第に花々の美しさに目を奪われるようにもなってきました。

 

今まで、キュウリもナスもトマトもほぼ同じ黄色の小さな花だろうという

程度の認識しか持っていなかったのですが、注意深く観察してみると、花

の形、花弁にもそれぞれの個性があることに気付きました。

 

更に驚いたことには、同じトマトでも、花や葉の形、花弁の形、どれ一つ

とっても同じものがないことを発見し、興奮してしまいました。

 

 

 

 

又、散歩の途中に咲く野草にしても、花の形、スタイルは自由自在であり、

トマト同様、一つ一つが異なっていることがわかり、益々認識を深めまし

た。

 

「なるほど! ! ・・創造は植物の世界の中にも、無限の個性を呈示されて

あられるナ!!

 

「指紋と同じく、どれ一つとして同じものがないということは、私の足が

短いのも、私自身の一つの大きな個性なのだナ!」と・・・私の体型にも

妙な安心と納得をしてしまった次第。

そして、

「自分が宇宙に咲く花であるとしたら? ・・・自分自身の花を咲かせれば良

いのだナ」。

 

「小さな花なら小さいなりに、大きければ大きいなりに。

決して他の花との比較、優劣をつけることなしに、花の色、形、サイズ

も無限なのだからという認識が芽生えてきました。

 

 

 

 

すると、毎日東京に通う電車の中や、仕事で出会う人々が誰一人として同

じ顔でないというごく当たり前の事実に気付き、最近ではいとおしさをも

感じることもあります。

 

又、野草やイヌ、ネコたちにも、いつの間にか声をかけている自分にも出

会ったのです。

 

このような体験認識から、今まで5 0年間、あらゆるものを「見れども観

ず」「聞けども聴こえずの漠然とした世界で生きてきた自分を発見し、

本当に無知そのものであったことを痛切に実感している今日です。

 

又、想念観察については、当初はなかなか客観視できず、数か月間は他人

と話しをするのもイヤになる程の自己嫌悪に陥ってしまいました。

 

編集部に助けを求めると、「想念をもう一人の自分が観ているスタイルで

は客観視できない」とのアドバイス。また、「自己の想念を、まるで他人

の想念映像としてビデオで見るが如く、自分と全く切り離して、第三者

立場で眺めること」「想念を現在形でとらえるのではなく、全て過去形で

処理することなどのアドバイスを得てから非常にラクになってきました。

 

 

 

 

このことは、「たとえ自分にとってイヤな想念が浮かんでも、イヤな想念

が浮かんでいるビデオを一時停止して眺めるのではなく(現在形)、それ

は他人のウンチの如く、すぐ水洗で流してしまうこと(過去形処理)なの

だナ。 「他人の想念ならすぐに流せるのに。自己の想念としてそのニオ

イをいつまでも自分の中に留めておくから、そのニオイで自己嫌悪に陥っ

てしまうのだナ」と、今は認識しています。

 

 

また、想念観察を継続していると、相変わらず様々な想念が浮かんできて、

時として窒息するような気分になることもあり、果たして想念観察がチャ

ントできているのか不安になってくることがあります。

 

この不安現象は、車のボディ磨きの時と同様、ボディをキレイに磨けば磨

くぼど、逆にかすかな汚れが目について、なかなか完璧にならないことに

イライラしてしまうことと同じなのではと思いました。

 

さすれば、ボディ磨きの時と同様、この不安現象は想念観察が「進化」し

ているからこそ起きる現象と信じ、日々の想念観察をあせらずにすること

に心がけている今日、この頃です。

 

 

 

ある日のチャネリングから   編集部

 

幽体離脱と霊体離脱の違いについて、光真人から教わりました。

 

一般的に行われているのは幽体離脱で、霊体離脱は主に臨死体験の時に

起こるそうです。臨死体験の内の93%は霊体離脱で、光に包まれ、

体験後は、特別な認識を得ることが多く、覚醒に近い意識状態になるそ

うです。

 

臨死体験の時には、自分の肉体に何の執着もおきず、全くの客観視状態

の意識だそうですが、幽体離脱は肉体に対する執着はそのままあり、従

って、恐怖心や不安感もいつもと同じような状態で残っているそうです。

 

以上の説明を聞いて、「臨死体験って、早く覚醒出来そうでいいなあ」

と言ったら、光真人も「まったくそうですねと言っていました。

 

でも、臨死状態に行くまでは、とてもひどい痛みや精神的不安の峠をこ

さなければならず、いずれにしても甘い話は無いと言うことでしょうか?

常に“現在の置かれている状態が最髙なのだ”という事を、ついつい忘

れて、目移りしてしまう編集部でした。 ヘヘヘヘへ・・・・の編集部

 

 

 

 

紫日 その4   Sむらさき

 

急に冷え込むようになってきました。夏がひどく暑いと、冬もひどく冷え

るそうです。

 

7月から8月にかけて想念観察を中断していましたが、又少しづつ始めて

います。でも私の場合は中断して良かったようです。

 

想念観察を離れてみて、自分の極端な思考がはっきりと判りました。

私は真理を求めるのに、FUJ I日本を通して、想念観察などの方法を選

んでいましたが、そのために他にも多くさん真理を学ぶ道があることを忘

れていたどころが、否定さえしていたようです。

 

一つのことを極めるには、その方法を信じきり、ひたすら進むしか無いの

でしょうが、それだからと言って、他の道から真理を求めることや、それ

を行う人を否定的に見ることはありませんよね。

 

これが一番だから、他のはダメだなんて極端な考え方です。(いくら

本当にそれが正しかったとしても。)

 

 

 

たとえそれを行わない人々がいたとしても、その人逹は生きているかぎり

真理を勉強しているには違い無いと思います。その為に生まれてきている

んだと思うから。

 

程度の差や進化の早さ遅さは、それ程問題ではないことでしょう。もとも

と同じ一つのものから現象として現われているに過ぎないからです。

 

自我、自分個人というのは、瞬一瞬に現われては消えていく現象が、途

切れること無く連続的に現われているために、ずっと存在し続けているか

のように見えているだけの、幻でしかないと思います。アニメーションの

ようなものですね。

 

初めからあるものが現われて、そして消えていくことでも、もともとの自

分、本当の自分を思い出す、あるいは確認しているのかも知れません。

だから、それには一人の人間だけでは不十分です。とても表わし切れませ

ん。ただ一度の人生だけでもです。

 

 

 

本当の自分の目から見たら、犯罪を犯すことも、真理を追及することも、

どちらも“まことの自分に還る”為の過程に過ぎず、結局は真理無限に向

かっていることになるのではないでしょうか。

 

ただ一人で(個人で)真理を極めたいと思い、そう思わない人を見下した

りするのは、狭い了見だということがよく判りました。

 

S田むらさきと言う人間が、ただの現象に過ぎず、しかし、本当の無限の

自分に還る手段の一つであるということが判ってから、本当にどんな想念

も、ただ“観る”以外にはないなと思います。だから想念観察するしかな

いな・・・と思い、又始めています。

 

それと、この間ある本で、バングラディシュやソマリアなどの飢餓の国の

様子を少しですが知ることが出来、考え込んでしまいました。

 

私は今、妊振中ですが、貧しい国の人々の間にも次々と子供は生まれてき

ます。

 

私がまず「自分はどこか変だぞと思ったのは、本当に最低の栄養しか取

れない人々の間で、ちゃんと子供が生まれて、中には生き延びる子もいる

ことを思った時です。

 

 

 

 

そんな現実の中で、私は毎日最髙とまではいかなくても、理想に近い栄養

を取り、少しでも丈夫な子供を産まなくちゃと神経を使っています。

 

「何か変じゃないか?」と思いました。

 

確かに丈夫で健康な子が生まれる方が良いに決まっているし、そう努力し

たって良いと思う。でも何かどこかがおかしい。

 

「どこがおかしいんだろう?としばらく考えましたが、その時は結局判

らず、いったん考えるのを止めました。でもそれから少し経った時、頭の

中にやせ細った女の子がしゃがみこみ、私の方を見ている姿が浮かびまし

た。その大きな目を見ていた時、あっ、これは私だ!』と思いました。

その少女は正しくもう一人の私だったのです。

 

いいものが食べたい、かな暮しをしたいと願い、その価値観に片寄って

いる私が産みだしてしまった、正反対の私がその少女。

 

ああ、そうだったのか。飢餓は私が造りだしてしまった・・・」私は

ようやくその事がわかったのです。

 

確かに私はおいしいものが食べられた」「健康でいられる「いいこと

があったj「楽しかったと、そういうことに価値を置きそれが与えら

時だけ感謝していました。その片寄った価値観と独善的な感謝が、そ

の対局の世界を産みだしたのです。

 

でも、そうかと言って、バランスの取れた思考、感謝がどんなものか、い

まだに判りません。でもそれがどんなにか大切なことかは判りました。

今もまだ手さぐり状態ですが、何とかしてバランスの取れた思考、中立の

状態を得たいと思います。

 

 

 

** 真にバランスの取れた思考、中立の状態は、全くそのような願望が

無くなったときに得られるものでしょう。何故なら、願望している

こと自体、プラスマイナスの価値判断にいることであり、中立で

はあり得ないからです。

 

昔から日本の諺に“清濁あわせ飲む”と言う言葉がありますが、こ

の心境が、最も中立状態を理解するのに適当な言葉かも知れません。

西洋人は常に白か黒かをはっきりさせなければ承知しない人種が多

いようで、国際外交上、日本人のあいまいさはいつも非難の的にな

っています。そして日本人自身も、そのような国際的評価に対して

コンプレックスを感じ、論理的に説明出来る、つまり白か黒か決め

る論理の世界を日本の世論も目指そうとしています。

 

しかし宇宙意識は、ご存じのように論理(過去の記憶、ウンコ)

世界ではなく、創造する意識であり、それは過去の土台の上に築か

れるものではなく、瞬間瞬間過去とは全く切り離された世界から生

まれる意識であると思われます。

 

過去を引きずっていると、いつまで経っても、その周りをグルグル

まわる事象が次々と生まれるだけで、新鮮な創造性とは無関係な状

態にいることになります。

 

真の中立が何故大切かというと、以上のように、新鮮で自在な創造

性が生み出せる能力を皆持っているのに、プラスマイナスの過去

の記憶にしがみついて、自縄自縛しているのが多くの地球人だから

です。プラスマイナスから生まれたものが論理です。それは際限

無くエゴ想念を積み上げます。

 

宇宙(創造)は人々に喜びを感じてもらいたいのです。

 

想念にしがみつかず、瞬間、瞬間で、切り変えてみて下さい。

コツを掴めば、何かが得られると思います。 編集部