21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

古神道 を 散歩す る

水瓶座讃歌NO.32より)

古神道を散歩する

 

編集部では“神界” “仏界”について、宇宙の人々に何の質問もしたこと

が有りませんでしたが、最近、編集部に仏教関係や神道関係者の訪問が多

くなり、その中で、古神道関係の本に書かれているアメノミナカヌシノ

大神について質問を受け、応えてくれましたので掲載してみます。

 

アメノミナカヌシノ大神

 

由来の地=九州女性因。柔の方の神。

 

天と地の力、雨を降らせる力を与えられている。地の方から噴水のように

雨を降らせる。

 

【創造】を会長としたなら、仏教では如来キリスト教では天使と表現さ

れる立場の存在で、部長級の役割を受け持っている。

 

祀られている存在は全て、会社に例えれば支店であり、本店である【創造】

は見ることは出来ない。この数は497乗、位の数の存在があると考えてよい。

 

天照大神の本名

 

天照無行心身大光創造=アマテラス厶ギウシンシンダイコウソウゾウ

(別名•天照国人大光創造=アマテラスクニヒトダイコウソウゾウ)

 

天照大神は地球の守り神で、アメノミナカヌシノ大神は上司に当る関

係だそうです。

 

古神道]と言う呼び方は観る立場からの呼び名で、行う立場からの呼び

名は[道神行()]と言うのだそうです。

 

以上は“光真人”が答えてくれました。

 

 

 

 

その時のついでに出た話

 

苦悩というの夢であるから創造できる。真実の光というものは創造

出来ない。それは本来、溢れいずるものであるからである。

 

創造はの夢を創造しながら人間に創造(想いを削る)させ、光は創造し

得るものではないことを認識させるであろう。つまり、光というものは、

求めて得られるものではなく、苦悩に対する理解に精通するならば、なる

ようになるものである。祭日としなさいは、創造し得たものだから。現実

はどこを探しても見当らない。

 

霊障なるものは、つまり迷える意識というものは弱いから迷うのであり、

生命力がか弱いと言うことは、死の淵に瀕しているということである。

それを浄化するということ自身が、理に合わないことを行っているのであ

る。死者は死者として葬るのが親切というものであろう。よって憑依は絶

対存在しない。それは苦悩即喜びととることの出来ない、人の頭の偏狭の

狭さであり、幻影の世界にしか過ぎない。

 

よって苦悩は何のために与えられたのか・・・幸福にするためである。

 

 

 

幸福にならない理由は、苦悩の前後が想いとして湧きあがってくるからで

ある。過去に想いを向け、未来に想いを馳せ、今終わったこと、未来にま

だ始まっていないこと・・・1粒の苦悩は際限無く広がり続ける。

 

だからこそ、あるがままが判らない。

 

前後の縁を断ち切り、今の苦悩を受け入れたならば、それは祝祭となるで

あろう。

 

闇は光である。想念の監視人とは、正に霊のことを言っているのであるが、

それは過去と未来の想念を、幻想として理解することなのである。