21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

招かれた意識  だるま大師

招かれた意識・だるま大師

 

質問

見詰めることの大家として、後世の人々に語り継がれている大師と、

お話が出来ることを光栄に思います。

大師の人間に対する捉え方というものをお聞かせ下さい。

 

大師

禅の権威が先走り、真理の灯火が消えかかっていることを嘆かわしく思う。

人間とは、前が見え後が見えない。右を見たとき左が見えない。後を見た

時、前が見えない。このようなことは誰しもが理解するところである。

 

が、しかし、理解と実感は違う。判ることと判ったことは違う。

これが人間が気ずかぬ人間の無知さであり、未熟さだと思う。

 

真理を権威の象徴として求める無知な下々よ、お前たちの見ている線は

常に前である。人と会話するときも前である。本を読む時も前である。そ

して前のめりになってつんのめっておる。

 

お前の後には既に火の粉が舞い上がっている。お前はそれに気ずかぬ。

いつの時代もそうである。お前の背中は真実を語っている。お前の前は不

真実を語っている。私はそのように理解している。

 

これが私の伝えた禅の奥義であり、その全てでもある。がしかし、理解で

き得ることと、実感は違う。理解する人間は大海に出て波に向かっていく

馬鹿に等しい。理解する人間は眠りの中で悩める振りをする馬鹿に等しい。

 

理解する人間は、いたずらに月が経つことに対して恐れない馬鹿に等し

い。禅の真髄とは、対象として見える想いの内容ではなく、それ体の奥

に、大と小、長と短、強と弱の働きを見ることこそ、見ることの奥義であ

る。強く感ずることは同時に弱く感ずる想いを作り、長く続く一つの想い

は同時に短く終わる想いに結び付く。

 

お前たちが見詰めることにいたずらなる時間ばかりやすのは、大と小、長と短、強と弱の原理というものが、判っていないからだ。これを言葉で説明するのは、非常に難しいのだが、想念とは何か・・・答えてみい。

想念とは結局何か・・・答えてみい。

 

さあ、答えてみい!

 

 

 

人から教わった答えで答えるのではなく、お前が答えてみい。

 

さあ、もう一度聞く。想念とは結局は何だ! ・・・答えられぬだろう。

エネルギーだと答える馬鹿もいる。愛だと答える馬鹿もいる。それは自分

ではないと答える馬鹿もいる。全て人から聞いたことばかりだ。

 

そのような言動が不真実を物語っていることを人はなかなか悟れぬ。

哀れな人間だ。

 

では聞く。想念とは何か? ・・・このような答えが帰ってくる。「判りま

せん。」・・・そのような答えを誰から聞いた。そのような人間は虫ケラ

以下だ。お前の声を聞かせてみろ。

 

さあ、聞くぞ。想念とは何か。・・・黙るな! ・・・答えてみい!

 

お前たちがこの問答を生活の中に取り入れた時、全ての現象にまとわりつ

く意味が削リ殺がれ、朽ち、真実だけがはっきりと見える。

 

 

 

真実とは何か・・・人と人とが殺し傷つけ争っている。その、それ自体に

真実を見ろ。

 

では聞く。真実とは何か答えてみい。・・・創造が真実か?・・・創造と

は何だ? ・・・すべての全てか? ・・・どこからどこまでがすべての全て

か。「無限です。」・・・無限とは何か? ・・・そのような問答をやって

みい

 

すべての虚飾が、お前の目と耳とロと鼻から腐った水として流れていくだ

ろう。その時、お前は初めてお前の人生が如何に不真実であったかを悟る

だろう。

 

それが私の答えである。

 

 

質問

到達したものは何ですか

 

大師

私の到達した世界、それはお前が私の部屋に来ればいいことだ。いつでも

ドアを開けておる。

 

 

 

質問

日常生活の過ごし方について、大師からアドバイスしていただきた

いのですが。

 

大師

まず要点は、どのように過ごすか考える前に、黙っていても何をしていて

も、何をしていなくても、時間が過ぎていくことを理解することだ。

 

今のお前の質問は日々の過ごし方ではなくて、時間に振り回されている自

分をどのようにしたらいいのかと言う質問のように私には聞こえる。

 

美しき言葉を使って、多くの人間が共鳴する言葉を使って、質問の本意を

狂わすな。お前が聞きたかったことは、時間を克服出来ない時間のお化け

つぶされているお前がそこにただ居るだけだ。

 

質問をする時は、質問自体になりきって質問せよ。己を欺く言葉は決して

使うな。朝がかならず夜になり、夜は必ず朝になる。

 

24時間の朝と夜はいずれ時間を超えた朝と夜の世界に導かれていく。

これが日々の過ごし方だ。

 

 

 

質問

大局で話してくれるのはいいのですけど、出来るだけ具体的に話し

ていただければ有り難いのですが。

 

大師

M助、お前もしっこい男だな。では聞くが、どのような過ごし方が素

らしいのだ。答えてみい。

 

M

それは毎日が充実しており、生きているという実感の持てる過ごし

方だと思います。

 

大師

宇宙人も気の毒よのう。手塩にかけて教育した人間がその程度だとはのう。

M助よ。わしの所で修業せんか。お前の言っている質問は質問ではない。

 

充実感も日々生きている実感もそれは大切なことだ。しかしそれが判るに

は、いやそれ自体となって生きるには、外にを向けないことだ。墓場の

骨は外に目を向けることは出来ない。何をすることも出来ない。しかし充

実しておる。生きておる。植物はその場所から一歩も動かずに充実してお

るぞ。それが私の答えだ。

 

M

私は瞑想、それ自体です。有難うございます。

 

大師

それでよい。活静・活動・活沈・活思・活默・活考・外に目を向け

れば、その範囲狭く、針の穴よりも狭く、どこまでもどこまでも狭く、息

苦しいほど狭い。内に目を向ければ、広く、限り無く広く、無限に広く、

永遠に広い。

 

 

 

質問

貴方は大満足ですか?

 

大師

私は瞑想によって、満足からスタートした人間である。満ちたりたところ

からスタートした人間である。では満ちたりた状態とは、どういう状態な

のか。これが重要な問題だ。

 

それについて私がお前に答えてあげられることは、下らん質問をするなと

いうことだ。その質問も又、外の世界に目を向けている質問なり。お前の

質問は、らくだが針の穴を通ろうとしてもがいている質問として聞こえた。

そしてその苦しみこそ、満足であり、私はそこからスタートした。

 

現代人のお前もなかなかいい考案を出してくれたな。すぐに実感出来るこ

と、外の世界に目を向け苦しめ。

 

最後にお前の質問に敬意を表して一つだけ助言してあげよう。針の穴には

糸を通すんだ。それが真実だよ。

 

M助

有難うございました。外の世界にを向けつづけることはとても苦しい事

であり、真理といっても実に狭い範囲でしかものを見ていないということ、

それは片輪であり、それはとっても窮屈であり苦しいことであるはずなの

に、大師はそのことを実に巧みに答えを言わずに答えを与えて下さいまし

た。外の世界に目を向ける苦しみが即、内なる喜びに変ること、それを指

導して下さいました。有難うございました。 M