21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

18歳が調べた“創造”

 

18歳が調べた“造”   愛知県 U渡洋

 

 

 

僕はウンコさん、いやクリエさんの話が好きです。なんか高尚なイメージ

ではなく、そこらへんのクソジジイっぽいのが良い。僕も指導するならば

ああ言う風になりたい。親しさがあって、その奥にスゴさが感じられて、

良いと思う。

 

ウンコで思い出しましたが、僕は赤ちゃんのころ、自分のウンコをチョコ

レートと思い食べていたようです・・・なんて自分は凄いんだ! 完全な

リサイクルだ! ・・・しかしFUJ I日本を信じない父は、その頃、ウン

コを食べていた僕を止めずに見ていたそうだ。

 

普通なら止めるのに、母によれば、父は一度も僕のオムツも変えたことが無いという・・・その頃から“人に甘えるな!”という英才教育をしていたのか?

 

僕が自分の金でハテナを買おうと言ったら8万円の価値があるのか?

無かったらどうする?」と鼻で笑っていたが、僕の「そんなん、金の価値

なんて決まってないやん。8万だろうがいくらだろうが、その人が決める

し、100 円のジュースだって、咽喉の乾いた時には5 0 万円以上の価値

があるやんの一撃に圧倒される父は、英才教育ではなくて、単に横着し

ていたのか・・・

 

想念観察は、まあ、反省しないで行こう。感情的にならないで行こう。

アレッ?これがもう反省だぞ!?

 

 

 

感謝瞑想の時、いろいろな対象に向けて、心の中で言っています。

 

ちょっとこの人、エゴが強いなあとか、自分にとってマイナスのものにも

ありがとうと思えます。そうすると無限にありがとうとわなければなら

ない。100回くらい言うと気がついた。ありがとうという時,必ず対象

がある。つまりその対象を思い出させてくれるんだと思う。ありがとうで

ある。

 

お前、心からそう思っているのか?・・・という想いを横目にありがとう、

ありがとうと言うしかないし、そう思えるからしょうがないじやないか・・・

と思う、今日この頃でした。

 

 

造はどこから来、どこ行くのか?

 

(認識瞑想によって、導きだされたも答えです。)

 

宇宙が黒いというのは、その黒さが創造であり、ビックバンを思い浮かべ

る時、そのビックバンの光が中心から広がっていく時、その光の背景、つ

まり光の他の色は黒であり、その光が表れ広がる前に、黒創造があった

わけで、その光が、その黒創造の頭在化であり、始めでなく、始まった

時、既に創造が在った。

 

どこへ行くというのは時間的問題である。つまり0又は1から始まること

である。そして数字は限り無く増えていく・・・そうではなくて、時間的

そのものの概念を取り払った空間、無限の空間、そこには時間的進行が無

く、あえて言うならば、停止したような状態であり、風呂のようなもので、

私たちがそれを見ると、波も無く、ただただ止まっている・・・永遠がそ

こにあり、その状態であり、そして又時間的概念もそこに含有しうるとこ

ろである。

 

 

 

そこに時間的概念をあてはめるだけでは、それを掴めなく、それはあくまでその永遠性の部であリ、全てではない。

 

停止ーーつまりそれは精密に言えば進行であり、僕が時間的なものでそれ

を求めようとすれば、それは求められない。我々が止まっている車を見る

ごとくである。

 

その車は確かに“動き”として見れば、一見止まっているように見えるが、時間的に見れば、それは確実に進んでいる。そして“動き”として一見止まっているけれども、地球の自転又は公転により、それは動いているということになる。

 

創造はどこへゆくのではなく、そこに存在し続けるものなのだ。それが時

間的に見れば進んでいるだけのことであって、それを取り払えばそれは、

ただ、ただ、存在し続けるものである。

 

 

 

彼の的も、その目的がある時点で、あったと言うことであり、つまり無限の中から無限を呼び出しているわけで、その目的も行動も無限であり、我々も又その一部であり、無限に支配されており、又その無限を感じとっていく。

 

そして彼を感じ、感謝し、生きていく。存在するものは彼の顕在であり、そしてそうしうるベく僕が居るわけで、僕はの顕在化をスムースにすべく生きるべきであり、自殺なんてものは出来ないし、無私無欲・・・つまり彼の境地へと一歩でも進み、彼の決めたことに肯定の念を抱けるようになるのが、人間としての第一歩である。

 

無限が在る・・・唯それだけである。

 

 

 

全てが存在し、そして全てが存在しうるべきものであって彼つまり創造

が在ることが無限である。無限を求めるからこそ、がいるのである。

 

創造には無が無い。全てがそこに含有しているからである。

が存在しうるところの意味が示すそれは“全”である。

 

は一番最初からいたわけで、無であれば何も無い。僕のこの問も無いと

いうことである。がしかし、全と無は似ている。つまり問に答えが出され

れば、プラスマイナスで調和がとれて、つまり無となる。

 

よって僕の問に答えが出されるのは当たり前のことである。全てが在るの

が“全”なのだから。

 

僕は問を求め、答えを求めることが使命である。僕が考えるということは、

既にそこに答えが在るからだ。

 

 

 

調和がとれたのが“全”であれば、問の数だけ答えが在るということだ。

僕は無限に無限の答えを求めているわけで、それに意味が無いとも思えて

くる。無限に有を求めることは無理である。だが、問は問でも有限を求

めるのではなく、無限を求めれば良いのである。無限を感じる・・・それ

がもう無限に無限を求める問である。

 

何故世界が“無”でないのか・・・それは無であれば、その答えが見つか

らないから“無”に問を求めても無駄であり、そしてその無をシュミレー

卜出来るのも、“全”の中にいるからこそ出来るある。

 

無の世界にいれば、その問さえ出てこないからである。

 

さっき全と無が似ていると言ったが、それも似ていて当然である。

全”の中に無が存在しているのだから。

 

しかしその無とは、完全な無ではない。全の中にある以上、無が全てでは

ないのだから。 以上

 

 

 

認識瞑想は字を書くことによって、それに意識を集中させるものであると

思います。僕は日記のようなものを、書きたいときに書いています。

 

それは認識瞑想のようなもので、自分が思ったことをタイトルにし、書い

て行くものです。例えば「真の人生とは?」「今地球が一番欲しいもの

「創造へ僕が出来ること 「怒り 落胆 希望 「天才など、約1 ベー

ジづつ書いてあります。

 

認識瞑想と違うところは、字を何回も書かないところです。そのタイトルを想うと、頭の中がすぐ一杯になり、1ページくらいささっ一と書けます。認識瞑想の時と感じは同じですが、認識瞑想の時の方が、時間がかかります。

 

話は又変りますが、僕は自分を天才と思っている。何故なら僕は創造の一

部だからだ。だから貴方も創造なのである。自分の音楽に天性の美を感じ

るが、ここで自惚れやしない。何故なら、この機能は向上性が含有してい

るからだ。

 

 

 

今までの人生がそうだったように、今も、又未来も向上していくだろう。完璧でないがゆえに、そこに無限を感じる。この宝を今のままにしてゆけば、そしてこの天才的な音楽に満足すれば、それはいずれ錆びついてしまう。もちろん、今の僕と、僕の音楽に満足しているが、しかし腹八分目であり、完全な満足ではない。

 

創造の自己分離によって僕というが出て来た。そして肉体の親の教え、

法則に従い成長していく。いろいろな個性()がある。創造という無限

なるものからは、有限は取り外されているからだ。

 

僕と貴方は違うけど、でも奧にある何かでつながっている。自分は僕で貴

方だ。創造もそれ自体成長しなければなるまい。

 

創造の人生ってなんだろう?・・・それは僕に思える。つまり創造から生

まれたのも、彼が、彼の無限における、無限の成長をすべきものとしたか

らである。僕が楽しめば彼も楽しむということだ。

 

宇宙は貴方や僕だけの世界であると思う。世界は僕の規定の中にある。

そうだとしたら、その規定が何であるかが重要だ。

 

 

 

貴方とのこの手紙でのやりとりも、僕の世界では、貴方は僕の規定に従い、

本質の規定に従う。法則にも、僕が貴方を嫌いになれば、僕の世界では、

貴方は悪にある。だから、規定が何であるかが問題だ。

 

僕と貴方は同じ次元に居るようだけど、違う。異なる世界を創造が結び付

けている。彼の法則は誰の世界でも存在しているし、それは絶対的だ。

だとしたら、この共通の法則はとても重要に思えてくる。

 

僕は如何に自分の世界を他人のものにしていたかが判ってきた。

 

3自分の考えが支配している世界、つまり僕は僕の世界の指導者であり、王

様であり、支配者だ。だとしたら、自分の世界を喜び溢れる世界にしたい

と思うのは当然だ。どんな利己主義支配者でも、自分を不孝にしたいとは

思うまい。

 

 

 

そこで! !創造の法則!!という助言者、資源が必要になる。

 

、つまり自然の法則によって成立する世界ならば、王様である僕は従う

べきである。つまり、王様()の世界では、国民は僕一人であり、又僕

は唯一の王様であるからして、王様の考えと国民の僕は一致している。

 

法則によって利己主義をとることが不孝であるならば止めるべきである。

たった人の王様が利己に走れば、国民()が苦しみ、それより何より、

王様が苦しんでしまう。そんなことは出来まい。

 

例えば、どんな支配的権力者であろうと、「今から食事をすることを禁じ

という命令は出せない。何故なら、彼の力は被支配者によって成り立

つのであり、その力のもとを消すことは出来ない。

 

誰の世界でも、朝、昼、夜という法則がある。それを変えることは出来な

い。利己主義者はそれすら変えようとバカな真似をする。例え変えられた

としても、それは彼を不孝にするだろうが、それを彼は知らない。

 

 

 

まあ、自分の世界に責任を持たなければ・・・

 

今まで他人の世界に自分を無理矢理合わせてきた。それは違う。法則に従

い、自分に合わすのだ。例えれば、電気製品を僕だとすると、機種により

ボルト数が違うのが判る。そして自分にあった数値を見つけなければなら

ない。そしてなにより電気製品である僕らは、創造の法則、つまり電気工

ネルギーが不可欠となる。

 

話が変るが、僕等が発展すると同時に創造も進化する。

 

イマヌエルが創造は我々から見れば完璧に見えるが、そうじゃあなくて、

も又進しなければならないと言っていたが、何んとなく判る。

 

完璧であれば、彼から生まれた我々も完璧で、進化する必要がなくなる。

 

ただ思うのは、創造が進化するとは、法則が進化するのだろうか?

僕は彼の進化の意志によって生まれたもので、であり、進化する。

 

 

 

そしていろいろ体験し、彼と合流する。そしては進化するということか?

 

無限というは、彼が全てであり、人間のように外がない。つまり、彼を

超えたものが無い。ならば、進化の道は自己の内部にあるのでは・・・

己の無限の世界にあるのではと思い、彼、分身?意志?のような、無数の

(創造)が、自己の内にある、それとも自己の内から出された世界を旅

し、彼が、彼を考える。 が成す法則を、彼が体験しているのか?

 

そこで考えたのがドレミの事。(ドレミは7音階で、彼が法則化した数値

になっていることに気付き、すげえと思った)

 

つまりドレミを法則とすると、もちろんドレミは完璧であるが、でもただ

ドがあっただけでは駄目で、それらを組み合わせることによりメロディー

が出来る。こういう事か?

 

ドレミという基本的な絶対的な法則はあるが、その組み合わせによって無

限のメロディーができる。一つ二つとそのメロディーを造ることが、進化

というのだろうか? ・・・と思う

 

 

 

真理は進化じなく、それが唯一絶対としてあり、それを基にして発展す

るのだろうか?そうだと思うけど、その法則を基に発展するのだとした

ら、彼は自己の中、つまり無限の中で、無限の化学反応、ケミストリーが

起され、それを進化と呼べば、そうなるのだろうか? ・・・だとしたら、

彼は楽しんでいるんだな。つまり、進化と遊びは似ているな。

 

真理や愛や英知は、ただその絶対性を持って存在するのであり、進化や退

化などの価値の変動は無く、それを持つ創造が、それらを基に発展するだ

ろう。

 

僕は彼であるけれど彼のような力を出すことは出来ない段階である。

 

でもきっと出来るはずだ。

 

彼は何故進化するのか?・・・僕には完全な答えは出せないし、間違って

いるかもしれないがただ、楽しいからだろう。それともそれを超えた感

情があるのか?

 

僕だって音楽は好きだけど、どうしてか判らない。楽しいと言ってしまえ

ばそれまでで、それ以上の言葉では説明出来ないものが感じられる。

 

ただ、ただ幸せであると云うか・・・まあ、好奇心と云うのか、好きなも

のはしょうがないと云うしか説明出来ないのだから。

 

 

 

考えすぎる時とそうでない時が周期的に来る。考えすぎると嫌になる。

 

頭では『別のことを考えて、そこから離れろ』と命令するが、どうしても

考えすぎてしまう。

 

創造や今の世界構造や僕の目的を考えるが、完璧にはならない。

 

この問に生涯をかけるべきかな?・・・そうなると、それが目的になる、

 

目的のための、目的になるな。でも一つ違うものがある。それは好きだか

らやるということだ。何故好きかということも考えたいし、それも目的だ。

最終目的が無い。つまり判らないのに、目的が一杯出てくる。

 

判ろうとするための目的であるそれらに無限がある。正に創造の中にある世界、彼の内から出た世界(矛盾しているが・・・)の中に居るなと思う。実に奧

が深い。ここまで読んでくれて、本当にありがとう!

 

まだ音楽の話が続くんだけど、きっと皆さん、顔が痛くなっちゃってると

思うので、この辺でフィナーレにします。最後に若者に人気の?イングヴ

エイの曲の日本歌詞をちょっと紹介します。

 

 

 

Magic Mi r r o r (魔法の鏡)

 

人は誰でも人生の意義を探求しているのさ。

 

天国や地獄に関する本を読み、まやかしを鵜呑みにするのさ。

 

自分を見詰めてみろ!自分が二人いると思って見るのさ。

力は自己の内に存在するものだ。本当なんだ!

 

判るだろう?鏡のように明らかだ。

 

求めるものは、全て自己の内に内在しているんだ。

魔法の鏡 魔法の鏡

 

お前は目を開き、自分が愚かだったと気がついた。

 

お前はいつだって力を持っていたくせに、ルールを破ったのさ。

 

もう一度言ってやろう。俺たち誰もが求めている力は、ここにあるのさ。

判るだろう。鏡の様に明らかさ。これこそお前が求めていたものなんだ。