21世紀人になるために

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変なインドへの旅 

変なインドへの旅    水瓶座讃歌NO.35より

東京 S

 

インドのビザを6か月もとっておきながら、10日間位でサッサと帰って

きてしまいました。何がなにやらサッパリ判らないままで、狐につままれ

たような気分でいます。

 

418飛行機でバンコクに向い、バンコクからデリーに行きました。

機内サービスでアルコールが出て、好奇心で3ばかり飲んでみたらとて

もマズくて吐き気がしたので、トイレ付近まで行きましたが、そこで意識

不明になり、見知らぬ人達の「大丈夫? !と云う声に、あれえ〜〜何

で私の部屋に知らない人がいるんだろ?と寝呆けた思考が頭の中をかす

めてから、「ヤバイ! 私は倒れたんだと状況を把握しました。

 

スチュワーデスさんやまわりの心配そうな顔を眺めながら、アランメッセ

ージの中に“ 無我について” と云うのがあったなあ〜意識を完全に失

った状態・・・とか書いてあったはずだったけど、さっきのはどうかなあ

〜〜〜とボーッと考えていましたが、なんら悟りらしきものは無く、ただ

の倒れ損みたいです。

 

AM 2 00 デリーに着きました。空港の出口には客引きが多くさんい

て声をかけてくるので、ここでダマされちマズイと、政府観光局の案内

所に行きました。そこでホテルとタクシーをアレンジしてもらったのはい

いのですが、旅行代理まで紹介されました

 

「明日、その会社のN氏が貴方を尋ねて行くので、インドの旅行をいろいろ相談すると良いと云われ、自分で旅するつもりだったんだけどなあ・・・でも一人じ不安だから、頼ってみるのもいいかも・・・と弱気な結論を出してしまいました。

 

次の日、迎えに来た人に連れられ、その会社にゆき、旅行計画を立てまし

た。私はアジャンタ、エローラ、リシケーシュに行きたいと言いましたが、

シュリナガールがとても良い所だと勧められました。

 

 

 

ガイドブックに1994年現在、紛争が起っているとあったので、

「アレ? 変だな。もう紛争はおわったのかな?」とチラッと疑問に思っ

たのですが、政府観光局お薦めの旅行会社が言うんだから間違い無いだろ

うと自分を納得させ、13日間ラジャースタンを回ってからシュリナガー

ルへ行く計画にサインしました。

 

N氏が正直で生真面目だと太鼓判を押したドライバーと、早速アグラーへ向かいました。の中で彼に、このドライバーは晴らしいという様な内容が日本語で書かれたお礼状を見せられました。

 

なんでこんなもの、見せるんだろう? 私を安心させる為かな?でも

本当に素晴らしい人なら、こんなもの見せる必要ないのに」・・・と少し腹

立たしくなったのですが、言葉のよく判らない私は、英語で反論も出来な

いし、これはインドの習慣みたいなものかも・・・と考え、受け流しました。

 

でも実際は飛んでもないドライバーで、10rsの映画のチケットを500rs

云ったり、体に触ってくるし、ホテルの部屋から一歩も出るなと命令する

し、食事代は払わないし、15Ors写真を1OOrsだと云って、ムリヤリ6

枚も売りつけるしetc・・・で、頭に来て、私はとうとう日本語で怒鳴り

まくりました。

 

 

 

旅行会社に苦情を云ってドライバーを変えて欲しくても、電話のある場所

や掛け方さえ判らないので、リクシャーの運転手に事情を話したらすぐ

に電話をかけてくれました。しかし、その人はドライバーだけじゃなくて、

会社も悪い会社だと云い始めました。

 

シュリナガールは今戦争状態でとても危険だ。貴方はダマされている。このまま旅を続ければとんでもないことになる。その会社に払い込んだお金が戻ってきたら、私がインド中を案内してあげようと云い、手帳を取リ出し、「私には日本人の友達がたくさんいると日本語で書かれた文章を見せました。

 

この人の云うことを信じるべきか、会社を信じるべきか、頭がニックし

ていました。英語ではなく日本語の会話でしたら、葉のニュアンスとか、

内容の矛盾とかで、ウソか本当かなんとなく判るのに、英語だと単語を聞

き取るのがやっとの状態ですごく困りました。この人は又PM700頃、「会

社の人のことは信じるなと云いにホテルまでやってきました。

 

 

 

その夜のPM113O頃、会社のN氏がやってきて、「本当にすまなかった。

ドライバーは首にする。貴方は私の娘のようなものなので、貴方が幸せか

どうかだけが心配だと云ってくれていたうちは、私もおとなしく聞いて

いたのですが、「お金はデリーのオフィスにあるので、今すぐデリーに帰

ろうという言葉を聞いたときはビックリして「今スグ! ? いやです。

明日の朝がいいと言いました。けど聞き入れてもらえず、「今すぐ。明

日になると大変なことが起ると繰り返すので、一体何が大変なことなん

だ?・・・今帰る方がよっぽど危険な気がする・・・と内心思いました。

 

今は真夜中で、地理も言葉も判らないし、アグラーからデリーまでは片道

5時間で、途中に小さな村が数個所あるだけで、その他は人通りは無いと、

不安と恐怖が次々と湧いてきました。

 

私が返事をしぶっていると、N氏は手帳みたいなものを取り出し、あるペ

ージを見せて「私は政府観光局から認められている人間だ」みたいなこと

を説明し始めましたが、それは私の不安をあおる結果にしかなりませんで

した。

 

チャイ(紅茶)が出されて飲むように勧められましたが、とても飲める心境ではありませんでした。N氏の説得に負け、帰ると返事をし、荷物をまとめて車の所へ行ってみると、数人の見知らぬ男の人達が輪になっヒンディ語で何やら話をしていました。

 

 

 

私はN氏と二人で帰るものとばかり思って車に乗ったら、おなじ車にさっきの人達の内の2人が乗り込み、その後にあの首にすると云ったドライバーの車が続き、その車にも数人の人が乗っているように見えました。

 

“ちょっと変じない?! 私を連れて帰るのに、なんでこんなに人が必要なわけ? !” とドキドキしている内に車は走り出し、N氏が「チャイは飲んだか?」と聞くので「ハイ』と答えてみたら「よし、眠れ、眠れ」と言い出し、極めつけに「私はお腹が空いたので、レストランに寄っていくと云い、ドライバーの友達の経営するレストランに車を向けさせたので、私はもう生きた心地がしなくてとっさに逃げようと決心しました。

 

ホテルにお金を忘れたとデマカセのウソを云ったら、ホテルまで引き

返してくれたので、車を飛び降り、近くにあった別のホテルに「助けて下

さい!と逃げ込みました。

 

部屋に入っても、一睡も出来ず、あのまま車に乗っていたらどうなってい

ただろう? それとも思い過しで、幻の恐怖だったのだろうか?と考え

ても考えても一向に答えが出ませんでした。

 

次の朝、7:00頃、N氏がホテルにやってきて、私の預けたトラベラーズチックと航空券を持ってきてくれ、「貴方は私の娘のようだ。デリーに戻ったら、いつでも旅の相談にのる」としい口調で話しかけられたので、昨日は私の勘違いだったのかなあ~~~ と後悔の念がチラホラ湧くと同時に、確か昨日は、このトラベラーズチェックはデリーのオフィスにあるって云ったよなあ〜〜〜片道5時間だから、オフィスに戻って持ってこれたはずないし・・・と考えました。

 

 

 

後で日本大使館に電話をかけて、シュリナガールの現状について尋ねてみ

たら、今も紛争状態なので、旅行者一人で行くべき場所ではないと云われ

ました。

 

観光する気にもなれず、23日部屋でボーッとしていると、そのホテルの関係者が入ってきて、ビジネスをしないか。ここで100宝石を買って、日本で売れば500$になると話し始めましたガイドブックに載っていた“悪質宝石売リ絨毯売りの例”通りの話しぶりなので、空いたが塞がリませんでした。

 

本当に5倍になるなら、航空代かけてでも自分で売りにゆけ!と云ってやりたくても、英語を組立られず、悔しかったです。

 

もーインドはすべてウソつきのように思えて腹が立つし、食べ物が合わず

に下痢になるし、乾燥した空気でノドがやられ、カスカス声しか出なくな

るし、さっさと日本に帰ってやる!と逆上した状態で帰国を決めました。

 

イヤなインド人! ・・・プンプンと思って帰りのタクシーに乗ったら、その

ドライバーは誠実そうな人で、インドのカーストについてやインドの音楽、

習慣みたいなものを簡単な英語で話してくれました。途中寄ったトイレで

会った女の人も、すっごく感じの良い人で、言葉は通じないのですが、笑

顔がまるで天使のように思え、当たり前だけど 嫌な人ばかりではないな

あ〜〜と手の平を返したような気持ちになりました。

 

 

 

薬は何も持っていかなかったけど、お腹のところにハテナカードを当てて

おいたら、1日でお腹の調子が治り、ノドにも当ててみたかったのですが、

術が無く、ガラガラ声のまま数日過ごしました。

 

インドからバンコクへ行き、そこでトランジットしました。本当なら、4

時間の待ち時間ですむはずだったのに、チェックインの時間と出発時間を

読み間違えてしまい、1日多く待合室をウロつくハメになってしまいまし

た。そのお陰? !で、4人の人と知り合いになりました。

 

日本へ1年間留学し、農業技術を学ぶという人、完璧な日本語を話す台湾

人のおじいさん、日本人のインチキ気功師ラオスでパントマイ厶の指導

ボランティアをやっていて、ゴールデンウイーク中に日本へ帰り、舞台で

仕事をしてくるという人・・・その人達の話を聞いていると、人間って、

いろいろな生き方があるんだなあと、改めて実感しました。

 

時間に縛られて仕事をし、毎日単調な生活の繰返しというパターンに自分

をはめこまなくても、皆んなうまくやれているんだ。やはり私達は生かさ

れているのかも知れないと、フッと思いました。

 

日本に帰って来て、言葉が通じるというのがヤケに嬉しかったです。

 

 

 

気候も穏やかだし、電車やバスの中で物が盗まれるという心配もしなくて

いいし、ありがたいなあ〜〜と感じました。私って一度不自由さを体験

ないと、その事の有り難さが判らない人間なんだとつくづく思いました。

 

もし食べ物が無い環境を体験したら、三度の食事にも感謝する人間になる

かも知れません。でも、その感謝の気持ちも、毎日の生活の中で段々忘れ

てしまう・・・困ったものです。

 

変な旅行でしたが、報告終わります。これからどうするかまだ決めてい

ませんが、又手紙書きます。

 

* *この手紙を読んで、ハラハラドキドキ・・・よくまあ無事で!

 

インドはなんとなく心引かれる国ですが・・・下痢しっぱなしの旅

になりそうで、行く勇気が起りません。でもサリーは美しくて、一

度は着てみたいと思っていましたが、既に年齢的に遅し・・・残念!