想念観察ってなに? 1 武山勝弘編
武山勝弘氏は※地球のお隣さんからのメッセージ
澤田みょう編集の本を出しています
想念観察ってなに?
想念観察は、自己のかかえる分離(エゴ)に気付く有効な手段と
して、宇宙の人から指導されたもので、「自己観察」又は「客観視」
ともいいます。
古今東西様々な人が、自己を知るために様々な手法を使ってきましたが、
方法としては「自己の想念、つまり自己の知覚するもの全てを客観的に観ている」ことに尽きると思います。
ただこれだけです。なぁ~んだ・・・と思うかも知れませんが、これ
が簡単なようで難しく、難しいようで簡単・・・そして、いずれは
どちらでも無くなるのです。
この手法はどの次元のどの段階になっても、また宇宙中どこへ行っ
ても基本的には同じなのだそうです。
あなたが朝起きて「顕在意識」に戻ってから、夜眠りについてそ
れから離れるまでの、あなたが知覚するもの全て、つまり五感をは
じめ、喜怒哀楽、思考の一瞬一瞬を、感情や判断をまじえず、ただ
とぎれなく観ていることです。
次々に起きてくるあなたの内的外的変化の全ての全てを・・・。感
情や判断をまじえず、とはいっても、実際にはとぎれなく何かの想
念にかかわっているのですが、それを五感に始まるあなたの知覚を
総動員して、あなたの色が付かない原理に照らして観ていることで
す。
想念観察はまた、想念の違いをはっきりさせる術でもあります。
人間は、想念、正確には「想念の種」の受信・発信器なのです。
その「想念の種」をどう生かすか、つまり増幅するかしないかは、
あなたにかかっています。
宇宙の人のアドバイスを聞いてみましょう。
宇宙の人
◇観ている・・・とは「観ている姿勢」「観ている世界」と置き換
えることもできます。プラスでもマイナスでもない、中立な目でも
あります。何かの現象を観ている時、あなたはその現象と共にあっ
て、しかも「観ているのだ「・・・と気付いて下さい。あなたと現
象は、分かれて在るのではないのです。
観ている姿勢はまた、不断な「学ぶ姿勢」でもあります。そして
「学ぶ」とは、現象を受け入れることから始まるのです。◇
◇観ていることはまた、瞑想でもあります。座って目をつぶり、じ
っとしているだけが瞑想ではありません。日常生活の中で観ている
世界、観ている雰囲気にあれば、これもひとつの瞑想なのです。
一日中あなたが顕在意識にある全ての一瞬一瞬が、あなたの観ている
世界なのです。それは全く呼吸と同じく普通のことだと気付くよう
になれば、あなたはまさに観ていて、それが瞑想の状態になってい
るのです。これでお判りのように、観ていることは意図ではなく、
観ている状態、すでに在る状態なのです。◇