想念観察って何?2 武山勝弘編
武山勝弘氏は※地球のお隣さんからのメッセージ
澤田みょう編集の本を出しています
想念観察って何?2 武山勝弘編
◇例えば想像して下さい。あなたが主婦で、0歳の子持ちだとしま
す。その赤ちゃんが真夜中に泣き出しました。これは正にチャンス
なのです。
泣き声を聞いて眠りから強制的に目を覚まされたあなたは、「もう、
うるさい!なんでこんな夜中に泣くの! 」と腹を立てるかもしれま
せんし、オムツをかえたり、抱き上げてあやしたリするでしょう。
ここであなたの意識に「観ている姿勢」があると、あなたは「う
るさい!」と怒る「エゴのあなた」と同時に、怒っている状態に全
く左右されない「観ているあなた」の、少なくとも二つのあなたに
気が付きます。
初めは観ているどころではないでしょうが、その気になって注意深くなっていると、二つのあなたどころか、他にも「どうするか、と考えるあなた」と同時に「肉体を動かすあなた」と、少なくとも四つのあなたが同時に、赤ん坊という対象に反応していることに気付くでしょう。
そしてもっと注意深く観ていると、もっと色々な動きのあなたが、あなたという意識を構成していることに気が付きます。
あなたは一人であると同時に多数なのです。
あなたは一瞬も途絶えることなく、この「多数のあなた」のバラ
ンスをとりながら生きている、とても複雑なマルチ生命体なのです。
この中のどれが「エゴ」で、どれが「観ている」で、どれが・・・
これはなかなか区別できませんね。
そこで無限なる存在は、例えば赤ちゃんの泣き声で、あなたをノッ
クします。それはふいに起こされます。エゴの油断をねらって観て
いるつもりのあなたに、それ自体がエゴであると気付かせるのです。
エゴが悪だといっているのではありません。エゴは肉体の維持、
存続に必要な、あなたの意識の一部なのです。それが全体としての
あなたの意識のどのくらいの割合か、ということです。
人間という存在には元々、本来の理想的なバランスがあります。
理想的な状態では、あなたの意識は、無限の世界へ全開している
と気付いており、創造のエネルギーと何の障害も無く交流します。
その理想に少しでも近づくためにはエゴ、つまり肉体に根ざした
自己中心的な意識に基づく制限や囚われを、どれだけ手放せるかに
かかっているのです。
どのあなたもあなたには違いありません。 どのあなたも愛してあ
げて下さい。人間は全ての才能を秘めています。
科学者であり、芸術家であり、職人であり、たまたまその分野が開花したに過ぎません。
想念観察は、そのマルチな才能に気付き、自ら開花させる術でもあります。
人間は本当は大変な存在なのです。