武山勝弘氏は※地球のお隣さんからのメッセージ
澤田みょう編集の本を出しています
観察の範囲が広がる(内と外の観察) 2
この書き手(武山勝弘)の例で、夫婦間の不満について検証してみます。
彼は長い間、妻の家事のやり方に不満があり、夫婦ゲンカはいつ
もそれが原因でした。その後、「想念観察」を知ることになったも
のの、知識にとどまり、応用実践が出来ずにいつも同じケンカを繰
り返してきました。
彼はいつも外に向かって求めており、内的観察が出来ていなかったのです。ある時ひときわ大きなケンカとなり、お互い何日も口をきかない家庭内の気まずい雰囲気の中で、とうとう内的観察が始まリました。
「なぜ何度も何度も自分は妻にそれを見せられ、腹が立つのか」と。
自分を後に退いて観ているうちに、「家事がなっていない」との
判断の元になっている自分の価値観が見えてきました。
こうありたいのにそうならない不満は、その価値観、つまり「そうあらねばな
らないとの確信(家庭内がきちんとしていなくては気が済まない)→
(自分の思う通りでなくては気が済まない)」が発端で起きていて、これを無くさない限りはまた同じパターンの繰り返しだ、と判ったのです。
この価値観は彼の個性になってしまっており、その後も無くなってはいませんが、彼の内面に占める割合は大きくなくなったのです。
つまり彼は、自分の価値観の後にひそむ分離(エゴ)に気が付き、
認めたのであり、これを転機として徐々にだがエゴの変質が始まり、
進行して、目立たなくなってしまった。
彼は、妻の家事については腹が立たなくなった。家の中がどうなっていてもほとんど気にならなくなってしまったのです。
しかしあなたは反論するかも知れません。「自分の内面の状況が外に表われているというなら、家庭内が散らかっている状況は、彼の内的状況ではないのか」と。
また、「腹が立たなくなったのは逃避ではないのか」と。
・・・それはその通りかもしれないし、あなたの疑問はあなたの
価値観による判断の結果だ、とすることも出来る。外の現象と内的
状況との関係は、本人でなくては判らないのです。
本人の霊的発達のために必然的に起こされる疑問以外は、いわば「大きなお世話」なのですが、私たちの集まりでは、彼は迷惑であろうがなかろうが、
おせっかいの集中砲火を浴びる。
彼ももちろん免れなかった。いつのまにか、お互いの共通のテーマになってしまうのです。
このような不満の状況、その他は、日常生活の中では無数に起こっているはずですが、観ている姿勢になっていなくてはなかなか気が付かないものです。
だから無限なる存在は、あなたをノックするのです。