想念観察入門 『観察ということ』1 篠原〇信編
『観察ということ』1
全てを観察するのは、なかなか大変でしょう? なぜ大変か・・・
つまり観察出来ない対象があるという貴方の状態を観ることで、貴
方の今の「観察」というものが判ってきます。
結論から言います。
観察できるものは、貴方を利する(すぐにでも、将来にでも)と信頼
できるものです。たとえば受験勉強などは、「将来のあなたの為に
なる」と信頼してるから、いまの苦労を必死に観ているんです。
もしそうじゃなかったら、やるでしょうか?
また、前項『想念観察とは』で挙げた、ガラスを割ってもそれを
認めない例は、それが自分(感情、財布、プライド、時間、賞罰)に
不利だからです。
ナンパ相手とうまくいったことを観ていると、幸せ気分という「利」が生まれることを知っていますから、貴方は観ます。観続けます。
そのあとのわずかな行き違いを観ないのは、それを認めると自分のルンルン気分が飛んでいってしまい「不安」という「つらい闘い」を強いられるからです。
つまり、貴方が「自分の利になる」と信頼できるものしか、貴方は
観察できません。
裏返せば、「自分の不利になるもの」、信頼できないものは観たく
ないのです。
別にそれは構わないのです。あとで述べるように、現実的には価値
観も必要なわけですから。それに、その状態とて「全て」の一部な
のですから。
ただ、「全てを観る」為には、「信頼できるもの」
「信頼できないもの」とに分けることは妨げになります。
ですから、そのための「モノサシ」〈つまり価値観〉も必要ありま
せん。「あらゆる価値観(既成の、あるいは貴方独自の)にとらわれ
ないように」と言われる理由は、そこにあります。
想念観察でまず身につけねばならないのは、ここです。
全てを観るためには、全てへの信頼が必要です。