想念観察入門「なぜ放すべきものを体に入れて感じるのか? 」2 篠原〇信編
なぜ放すべきものを体に入れて感じるのか? 2
想念を、創造を「信頼すること」が想念観察の目的なんで、「信頼
され、解放されること」ではないんですからね。
「解放」は、貴方が信頼したことに対する想念の「信頼」であり、
想念から見れば「与えられたものを与えた」だけです。
貴方がすべきことは、「想念を、創造を信頼する」事であり、「創
造に信頼される」事ではありません。
くれぐれも、本当にくれぐれもお間違えのないように。
「もし間違えてしまったら」? 同じです。その「間違ったこと、
間違ったと思っている貴方」を、信頼なさればいいのです。実際、
それで貴方はまた一つ貴重な体験をなさったのですから。
具体的にお話ししておきます。もちろん、一例に過ぎませんが。
「すっごぉ一くスッキリして、満ち足りた気分」をいざ観て放そう
とすると、離れません。どうしたのでしょうか。
・・・・どこかで力んでいませんか?「スッキリ」をしっかりとつ
かまえていませんか? 「放さない、放したくない」と、力を入れ
ていませんか? 他の想念をパスしていませんか?
その状態を、ご覧下さい。 演歌の世界じゃないんですから、放し
て下さい。「何を?」・・・「放したくない貴方」を。そして、
「スッキリ」を放してください。
「怒りの想念も、爆発させていいんでしょうか」というご質問です
か?・・・感じればいいんです。爆発させる必要は、必ずしもあり
ません。
時と場合というものがあります。それは、貴方自身が「いまはヤバい」
と、想念として出してくれます。それを信頼して下さい。
全ては創造なんだから。そうして「なぜブレーキがかかったか、
自分の都合だけを考えたのか、他に理由があるんじゃないかと考え
たか、どんな理由か」を、明らかにして下さい。
こういう「怒り、悲しみ、無力感」という、通常排除されやすい想
念を感じることを、「感じることを自分に許す」という表現をする
ことがあります。要するに「排除する事じゃない、悪いことなんか
じゃない、だからたっぷり感じていいんです」ということです。