21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

想念観察入門「想念観察での感謝瞑想」 篠原〇信編

想念観察での感謝瞑想

 

なんだかよく判らないお題ですね。読んで判らなかったら、そのま

ま飛ばして良いです。

 

ここでは、先ほどチラっと申し上げた、「想念観察中の感謝瞑想」

について申し上げます。まあ、想念観察中に限ったことではないの

ですが・・・

 

「感謝瞑想」とは、ご存じのように、「ありがとう」をただ繰り返

すだけのことです。

 

「ありがとう」とは、行動としては、「受け入れる」だけのもので

す。対象に対して何も働きかけません。おわかり戴けますか?

 

 

 

 

つまり、感謝瞑想中は、自我は「受け身」になります。ここがポイ

ントです。

 

「観る」という行動は、実は「対象への働きかけ」であり、能動で

す。これを「感謝」という受け身にすることで、観る対象そのもの

を「受け入れるだけ」の状態に、自我を置くのです。

 

「受け入れるだけ」とは、言い換えれば完全に信頼しているという

ことです。そうでなければ出来ないことです。常に常に、そうして

いるのです。完全に信頼していればこそ、それは可能です。

 

なぜなら、信頼していれば観る対象を次々に放せるので『なぜ全

ては創造なのに、流さねばならないか?』参照)、一瞬の間に逆転

する事態をも、前の状態に拘ることなく、楽々と受け入れられるの

です。

 

 

 

そういう状態に自我を置くのに、感謝瞑想は絶好の手段です。

 

ここでは、感謝瞑想をする自我、という表現をしています。それで

良いんです。道の途中で、「感謝瞑想する自我をお感じになられ

ることが必ずあるでしう。

 

そういう状態も、いずれは観ることになります。

その時は「感謝している対象、感謝の理由も、観てください。

 

「ただし」、ここでも注意書きがあります。いつもと同じ事です。

 

「感謝瞑想中は受け身になる」と思った瞬間、それは「受け身にな

という能動になります。その状態も感謝の対象です。

「放しなさいと言うことです。