想念観察入門「ある中間点」 篠原〇信編
「ある中間点」
自我をわがままな現状から変え、創造の愛に目覚める為の手段が、
想念観察でしたね。ここで一つ、クイズを出します。
貴方が観、信頼し、受け入れたものは、何ですか?
ご自分の感情、ご自分の考え、行動、性格・・・
「自我」ではないですか?
「自我がこのままではいけない」という不信から始めた、「自我を
変えるめの観察が、実は「自我をそのまま受け入れるもの」だった・・・
ギャッブを感じますか? でも、それで貴方が得たのは?
自我というのが実は創造の声であり、自分が創造に目覚めるため
の鍵であり、その過程を支えてくれた友人であり、何よりも自分を
存在させてくれているものであり、想念観察してくれた当人である・・・
「自我とは、このままで、創造の愛だった!」
何という安心感、何という感謝、何という達成感、何という喜び!
さあ、また想念が来ましたね。
「自我とは、このままで、創造の愛だった!」という想念。「何と
いう安心感、何という感謝、何という達成感、何という喜び! 」と
いう想念。
全部観ましょうね。はっはっはっ・・・ここまで来たら、楽しいも
んでしょ?
あっ・・・私にも来た・・・「はっはっはっ・・・ここまで来たら、
楽しいもんでしょ?」
ここまで来るために、貴方は(たいていの方は)一つの事柄について
深く学んで来たはずです。ということは、そのほかの事柄からは学
んでいない・・・やりかけ、観かけ、手つかずの想念が、まだあ
るはずです。それらからも、貴方は学ぱねばなりません。
そうです、永遠に続きます。二度と来ない一瞬一瞬からの学びは。