水瓶座讃歌NO.38 読者の便り6
寒中お見舞申し上げます。
私は日々、自分の創造した現実を見ては悲鳴をあげたり、喜んだりして遊
んでいます。世間一般から見たら、私の置かれた状況は大不幸?なんでし
ょうが、なんか・・・全然そういう意味では何も感じません。
でも感覚はより鋭くなっているような感じがします。確かに私の周りにはクリエさんの言う通り、腐ったイワシの目の人がいますが、自分が出現させたその人(自分だし・・・)を今のところ消す気も無く、いいんだろうか??と分離した私は心配しています。
本当こんな状況でお話にならないですけど、観切りたいと思いました。
今日、歩いていたらフト思ったことがありました。私って、今歩いて一定
の距離を移動したつもりでいるけれど、実はそれは錯覚で、同じ所にしか
いないんじゃあないかなと。
周りの物や人を次々と出現させ続けている為に、歩いて移動した気になっ
ているんじゃあないのかしら?・・・なんて思いました。そうだとしたら、
スゴイことだな! ・・・まあ、観て流しましょう。
亡くなった友達がいて、何か心配だったので(意識の中で)「何か手伝え
ることがあったら私に言って」と言ったら、逆に「もっと心を開かなくち
ゃ駄目だよ」と心配されてしまいました。
私ってハズカシイ・・・でもいい友達! 東京H谷
前略
私の仕事は航空会社という事もあって、“・・・パスポート” という文字
に何んとなく吸い寄せられるみたいに手に取ってパラパラめくっていたら、
“ハテナちゃん”の写真が目に入り、意味も無く “私、コレ知ってるな一”
と言う感覚と妙にオカシさが込み上げてきて、とりあえず買って読んでみ
ました。
実は去年の終わり頃、朝目が覚めると、今迄読んだり心の支えにしていた様な考え方等々が、何故だか突然に全てが受け入れられなくなった様な気持ちで、本なども古本屋に出そうという衝動に駆られてしまいました。
キッカケも無いのにどうしてこんな気持ちに成ってしまったのだろ
うと、とても落ちこみました。でも多分それはその朝、目覚める寸前に、
何かとても美しくて楽しいような歌を聴いたのです。
目覚めるとそのメロディも歌も忘れてしまいましたが、そのかわり今迄のこと全部がもういい!と言う感じと、別の何かもっと具体的と言うか、もっと真剣に行動的に関わらなければならない様な、何かがあるからそうしなさいと背中を押されている様な気持ちだけそこにあり、本当に途方に暮れていた矢先、パスポートに出会いました。
「自分がもしも何かが見えたり、感じたりしても、そんなことは絶対に人前で話しちゃダメだよ、おかしい人だと思われるから」って両親に言われ続けてきました。
だからず一っとそうしてきたい理解ある友人(たった一人)だけは、そういう話が出来たので、唯一その友人とだけは会うのが楽しみでした。
それなのに、今回始めて機関誌を読むと、もう皆んな私のような人ばかりで、仰天しちゃいました。信じられない!
・・・こんな風に、自由になんでも皆んなで語り合えるところがあるんだと
思って・・・ず一っと私が求めていた「場」です。
私はそうでなければ、この友人と一生2人だけでコソコソと感じ合った事を話して終わるところだったと大袈裟にも思い、ものすごく嬉しくて嬉しくて、なんだか泣いてしまった・・・
来月にはお邪魔したいと思っています。その際には宜しくお願いします。
千葉県Y山