ぶっ飛ばした青春
束京 肥谷〇湖
ヒーラーの紹介を編集部に頼むハガキを出した直後、“一体私は何をし
ているんだろう? 私自身が最髙のヒーラーじゃあないか!! それなの
に又しても自分自身から逃避している!”と気付きました。
私はいつも何か周囲を拒絶している所があり、どうしてこんなに周囲を受け入れないのだろう・・・とよくよく小さな脳みそで考えてみましたら・・・もしかして私は自分自身を本当に信用して信頼して愛して受け入れていないんじゃあないのかなと思いました。
私は自分を受け入れる勇気が全く無かったんです。それはどうしてよいのか分からなかったからです。
私は小さい頃から夢や空想で自分が普通の人でない事を知っていました。
自分はいつか本当の姿に戻って帰らなくてはならないーーそういう場面を
何度もリアルに想像しては皆に打ち明ける練習をしていたのです。
その姿は瞬間にして光り輝き、翼を背中につけ帰る姿でした。私の周りには常に鳥と馬がいて、その為に特に鳥は学校の美術のモチーフによく使ってました。又或る時は夢で10人位の美しい天女が朱と白と金の衣を緒って、
一筋の光りの中を大きな山車と共に降りてきて、私に「さあ、帰りましょう」と言い手を引っ張られたのですけれど、訳が分からず拒否してしまいました。「あと3年待って下さい」と。
その時に流れていた音(声?)は恐ろしい程髙く美しく澄んでいて、いく
つもの旋律が微妙に交じりあい調和しているような感じでした。勿論3年
後にも又来ました。そして勿論「帰りません」と言いました。
私はこういう状態をいつしか「異常だ! !」と思い始め、忘れるように忘
れるように自分を仕向けて行きました。しかし忘れよう、何も無かった事
にしようと思えば思うほど、向こうの声はガンガン大きくなりました。
私の中学時代は神秘体験のオンパレード(スゴイッス)! ? ・・・でも私
の自我も負けてませんでした。“これは感受性が豊かな鋭敏な年頃だから、
気にしないで現実を見ましょうねっ”てな感じですかね。
髙校時代はそれに対抗するかのように神秘世界からは一斉手を引き、猛勉
強していました。超一流の画家になろうと思っていました。だから学校と
絵の予備校の往復でクタクタでした。しかし現実的に生きている事にとて
も満足していました。
でも絵は直ぐに上達してしまい、そのうち目の前に見ている物が、本当は色など持っていない事、髙次元が結晶化した物が目の前にあるだけだと言う事、先生方の霊がとても若く深みの無い事、そして何よりも受験しようとしていた大学の内容の無さには愕然としてしまいました。
私は次に権力と慢心に興味が湧きました。そしてそれを十分に堪能しまし
た。同時にトップに立って人をリードし、時代を造っていくことの責任と
重要性も堪能しました。
しまいにはそれにも飽きてしまい、今度は悩み込む事に興味が湧きました。全てを否定してみました・・・すべてをです。
全てを・・・自分が入る棺桶まで想像して否定して・・・そうしたら何と、
残ったのは“私は今生きている(存在している)”と言う事だけでした。
そして否定する事にもちょっと飽きてしまいましたので、今度はマイナス
イメージで生きてみようと思いました。(私は恐ろしい程徹底するんです)
私は他の誰よりも絵がうまい。それでいて皆(親、先生)の期待をサック
リと投げ飛ばし、“大学を落ちてみよう、エクスタシーだ!” ・・・それも
うまくいきました。何年もやってみせました。ザマーミロ!と言う感じで
した。
この辺になると“超一流の画家”って言うのも、形だけの中身の無いものに見えてしまい、何か次の目標になるものを探していました。
でも絵は好きだったので、勿論絵は描いていました。(予備校でネ)
アッ、ソウダ!もう2つ(いや他にも沢山撒底していました)徹底した
ものがありました。ノイローゼです。
ノイローゼってどういうものか知りたくて、もの凄い“ノイローゼ”にな
りましたーー成功ーー。でも“死ぬ”と言うことは一度も考えませんでし
た。(自分は大変重要な使命があることをよく知っていましたので)
ノイローゼに興味があっただけだからです。なのに鉛筆を削っているカッ
ターが、どうしても左手の手首に全く勝手に動いていく事があり、何度も
ハッとしました。全く死にたいなんて考えていないのにヤバイな・・・
(続く)