水瓶座讃歌NO.40 読者のたより4
皆様 お元気のことと感じてます。
先日は最近気付かせてもらったのは、チリーつさえ、“在りて在るもの”
の化身であり、愛であることです。この三次元に縛っているのは、私自身
の思考にあったと言うことに気付きました。 大分 阿部
ギリシャでの神示
3000年前、ここで神のお告げを聞き、その神託に従って国の方針を決
めていたという古代ギリシャの聖地に行った。
「ギリシャの悲劇は博物館の内と外の落差にある」と何かの本に書いてあ
ったが、日本人が原人のような生活をしていた大昔に、ギリシャ人が「人
間とは何ぞや?」 「人生とは何ぞや?」と思考を凝らしていた事態に驚き
で、博物館の外に出ると、ロバの背中に薪を乗せて歩いている人々を見て
又驚くのである。
アポロンの神殿に行った。或る古代ギリシャ語を見つけて、その前で立ち
すくんでしまった。身体に電流が走った。その言葉とは「汝自身を知れ」 !
この言葉を見た瞬間、自分の一生のテーマを発見した思いと確信が身体に
入ってきた。アテネの国立図書館で日本語版古代ギリシャの本を読んで、
又驚いてしまった。
「宇宙や神を知ることは、自分を知ることである。自分を知ることは、宇宙や神を知ることである。」「従って、宇宙や神の本質を知ろうと思ったら、まず、自分自身を知らなくてはならない」 「我々は本当の自分自身を知らない。勝手に自分とはこうだと思い込んでいる。
全てが自分勝手な思い込みで生きているという訳だ。
「人は自分で作り上げた自己幻想の中で生きている夢遊病者なのである。」
「眠っている者は、剌激に対してパターン化された反応を示すマシーン
(機械)に過ぎない」「我々は押さない時から様々な価値観や人生観を植
えつけられる。
催眠術だ。家庭のしつけ、学校教育、マスコミ情報、これら全て催眠術なのだ」「人は宗教の導師や教祖を慕うあまり、それを神格化し絶対視する。その他の可能性を頭から否定する。しかしそのような囚われた意識を持ってしては真実を見出すことは出来ない。
従って人を権威者としてみたり、崇拝の対象としてみてはいけない。人は自由でなくてはならない。どうかこれから人の言うことを信じないで欲しい。しかし疑わないで欲しい。頭から信じたり疑ったりせずに、自分の頭でよく考え、実行し確かめて欲しい。
何故なら、そうして得られた知識こそが本物であるからだ。自分を救うのは自分以外には無い。人はただヒントを与えることが出来るだけだ。自ら救おうとする者は、そこから学ぶだろう。
与えられたものを待つ者は何も与えられないだろう。例え他者にすがっても救われることは無い。せいぜい幻想としての慰めを得るだけである。導師という松葉杖を捨て、結局は自分の足で歩かなくてはならないのだ」「人が目覚める為には、まず自己観察以外には無い。
常に自分の心の動きを観察して、その虚偽を見抜き、心が偽りの自己幻想へと誘い込み、機械的な無意識の行為へと引きずり込もうとする動きを見つめなくてはならない。
例えば、好ましくない考えが浮かんでも、戦い、変えようとしてはならない。何故なら、ありのままの内面を観察することが出来ないからである」「絶えず自己観察によって内面に意識のエネルギーを放射し続けると、ついには自己の深層に潜む“髙次元意識”が覚醒する。
この状態は言葉で説明することが出来ない。ただ言える事は、善と悪、聖と俗、勝利と敗北など、こっちかあっちかと言った二元的対立、葛藤が消滅する。つまり貴方と私の区別も無いから、あるのは真実の愛だけだ。だから覚醒していない人は、誰も愛を知らないということになる」
以上がギリシャを旅し、アテネの国立図書館に通って毎日読んで写してきたものが、僕の人生のテーマとなりました。世の中の一切の権威や価値観も怖くなくなった。何に対しても一切の妥協をせずに立ち向かえるようになった。自由奔放、我が道を行くのみ・・・ 千葉鈴木