水瓶座讃歌NO.41 読者の便り 10
飛行機事故とチャネリング
三重県 内田〇時
最近の機関誌はチャネリングメッセージが多面的かつ多様に載っており、
オオミソギに向けて、いよいよ私達一人一人の真の腹決めを求められてい
ることがひしひしと感じられます。特に昴会の発足は決定的なポイント、
臨界点を意味するのではないでしょうか。
これまでは会員の皆さんの中には第三者的立場で面白い機関誌を読むのが好き・・・と言った人達もいたと思います。(私も大なり小なりそうでした)
ところが今回の昴会の発足は、会員の皆さんに極めて重大な選択を求めて
いると思うのです。「一緒にやりますか?」それとも「見ていますか?」
のいずれかの選択です。いずれも自由意志、自由選択に任されるべきであ
り、どちらが良いとか悪いとかの問題ではありませんが・・・。
私は一緒にやります。そう決心しました。ここまで来たらやるっきゃない
のです。民謡にもあるでしょう・・・
・・・ 踊るアホウに見るアホウ、同じアホなら踊らにゃ損々・・・と言う
訳で、踊るアホウ組に入ります。
次に? ?マークのメッセージ同封します。
自分で書いた自分へのメッセージですが、アタマで考えたと言うより、閃
いてくるような状態で湧いてきたメッセージです。送り手の正体は不明で
すが、感じる響きはとても良いものです。
ただ、何でもかんでも湧いてくるものではなく、自分が気になっているテーマに対して、突然、その回答の一部、あるいはヒントのようなものがポンと閃いてきます。(いっそうなるか全く判りません。不定期です)。そしてそれを文章化していると、金魚のウンコみたいに色んな事がゾロゾロ出てくる(閃く、湧いてくる)といったところです。
このメッセージをお読みの皆さん、老婆心ながら、このメッセージが正し
いのか間違っているのか、と言った二元的判断はされませんようにお願い
します。正しくもあり、間違いでもあります。響きを感じられる人のみ、
見方や感じ方の参考にしていただければよいと思います。
平成8年6月19日(水)
そなた ずっと気になっていて、最近ポッと気付いて、妙に納得してい
ることがあろう。書いて知らすぞ。
あの航空事故のことじゃ。福岡空港でのDC—10型機の離陸失敗、オー
バーラン事故と、そのわずか数日後に起こった関西新空港でのBー4 7 4
型機の離睦途中の緊急停止事故のこと。
そなた この二つの大型機の事故がわずか数日の間に、いずれも離睦途中
のエンジン・トラブルによって生じた事に何らかの意味を感じていたであ
ろう。即ち、「型示し」ではないかと。よい着眼じゃ。
そは正しく型示し、解き明かすぞよ。
*まず大勢乗っている大型機とは、この地球そのものを意味するぞ。
離陸途中の事故とは、人類を含む地球が、アセンションという大転換へ向
け、いよいよ突入(離陸)した時に起こる難儀を意味しておる。
DCー10は多数の死傷者を出した大事故であり、機体自体も破壊した
「大難」の事ぞ。又B-74 7の方は、故障はしたものの、滑走路の上で
緊急停止に成功し、誰も怪我しとらん。機体の損傷も僅かじゃ。
つまり、「小難」のことぞ。
よいな、この二つの事例は、そなたらに、これから起こるアセンションに
際し、大難と小難の例を型示しで見せたものであるぞよ。
いずれになるかは、そなた達人間の自由意志と選択にかかっておるが、最
初にDCー10「大難」が起こった事の意味は言わずとも判るであろう。
最も可能性の髙いのがDCー10じゃ。いずれであろうと「地球は離陸
(アセンション)」するぞ。
*もっと解き明かすぞ。
二例とも第三エンジンのトラブルが原因であるぞ。
この三という数字は、物質三次元を意味するぞ。この物質界にトラブル
( 災害、災難) が起こるという事じゃ。どちらも「第三エンジン」は「火」
を噴いたのぞ。じゃからして、火の洗礼、火の浄化が起こるという事じゃ。
火による建て替えでござる。
エンジンの数にも型示しがあるぞよ。DC ー10は、三発エンジン機であ
り、B-747は四発エンジン機じゃ。三発機は物質三次元意識を意味し、
四発機は四次元意識へと開花した者を言うのじゃ。よいか、何故三発機が
大難で四発機が小難で済んだか、よく判るであろうが。
一人一人の人間の意識状態がどこにあるかによって、これだけの差が有る
ということを示しているのじゃ。
[v]と言う言葉はマスコミでよく報道されたのう。これは、そなたが
よく知っている通り(注・私は陸上自衛隊のバイロット)、「離陸決心速
度」つまり「臨界点速度」の事じゃよ。
臨界点とは、げに恐ろしき点でござる。
この点を境にして、結果が全く異なるからでござる。DC ー10は、V¹
をとっくに過ぎていたにも拘らず、飛ぼう(アセンションしよう)とせず、
地面に戻ろうとして失敗した。これが大難でござる。
もし、機長が飛ぼうとしていたら、そのように決心して行動していたら、最後の離陸(アセンション)のチャンスはあったのぞ。V¹とは、それが可能な速度であるのじゃ。
しかし、三次元の重さから自由に成り切らない魂達の安住の地は、
やはりこの地上世界であったという事じゃ。その結果が大難じゃ。自ら招
いた事じゃ。
B-747の方はの。四次元意識の型示しじゃから、アセンションに際し
ては小難で済んだのじゃ。これが故に、V¹と言う臨界点に達する前に卜
ラブルが発生し、滑走路上で停止出来て、事なきを得たのじゃ。
よいか、神々の「情け」を判りて下されよ。
このままでは間違いなく大難が起こるであろう。V¹を越えようとしてい
るぞ。V¹を越えたら大変に事が起こるぞ。この世の破滅のような地獄絵
じゃ。物質三次元が燃えるのぞ。建て替えのオオミソギじゃ。
しかし、よいか、それでもV¹を突破していると言う事は、飛べる(アセ
ンション出来る)事を意味するのぞ。そなた達、最後の最後であっても、
大決心して地上世界への未練を捨てて(軽くなって)飛ぼうとしたら、一
つのエンジンが壊れても飛べるのでござる。
これが神の情けというものでござる。神はそこまで考えて最後の最後のチャンスをも仕組みておるのじや。少しは感謝するのが礼儀でござろうが。
最後に、当たり前でありながら決定的に大事なことを申すぞ。
それは機長という人間の判断と決心が全てを決めるという事。そなた達は
全て自分自身の機長であるぞよ。DC ー10の機長と成るか、B ー 747
の機長と成るかは、そなた達次第ということじゃ。
そなた達、万が一、DCー10の機長になっても、最後にはV¹を越えて
いるから、飛べるから、最後の最後、大決心をして飛びなされ。
この一点に型示しはないぞ。本番あるのみぞ。神、願うぞ。