21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

自然淘汰について、特に人類の場合

霊鳥族と私 (7 )

 

井上マリコ

 

自然淘汰について伺います。特に人類の場合。

 

観音答える

 

進化の過程において存統出来るものと滅びゆく者の違いは、一口に言って、

より大きな流れに乗れるか、溺れるかのどちらかということです。

 

実際波乗り(-フィン)でも、訓練を良く積んだものは波に逆らわず、

波と一体になって運ばれて行く。力で進もうとしたり力不足の者は沈んでしまう。その例えと同じです。

 

今、非常に大きな波が次々と押し寄せてきています。一旦踏み外した者は

数々の人食い魚待ち構える海の深みにどんどん沈められてしまうので

す。もう波が速く加速度がつき過ぎて、とても助け船を出すことが出来な

い状態になっています。

 

大海原で表現される宇宙の事象・・・ 餌食となった者達は自然の元素に帰

って行き、次に出てくるものの“こやし”になります。

 

それはどういうことかと言うと、無駄死にではないということです。

 

人生を踏み外した者でも、宇宙の創造から見ると立派な役割を担っている

事もあるのです。“反面教師”の役割や、歪みそのものを呼吸して、自ら

を反自然に染めることによって賄う者、現在の地球では日々苦しさの叫び

声が大きくなってきています。

 

マイナスの役割を引き受けた者達の悲鳴です。慈善の心を持つ者もらを助けることは出来ないでしょう。彼らは正にこの時代を苦しみを持って生きるために生れてきたのですから。余計なお節介だと言うでしょう。そう・・・放っておけばよいのです。

 

皆さんは、観音がその様なことを言っていいのか! ・・・と疑問に思われ

ることでしょう。真実の“愛”とは、甘やかす事ではありません。

 

 

 

例えを言いましょう。

 

多くのプランクトンがクジラに飲み込まれます。皆クジラが来たら飲み込

まれるのが判っているのです。人が大切に育てていたプランクトンがその

中に居たとしましう。その人はプランクトンを救うためにクジラを殺し

てしまいました。これで多くのプランクトンは助かりました。

 

暫くすると増え過ぎたプランクトンの為に赤潮が発生して、多くの他の魚

達が死んでしまいました。結局育てていたプランクトンも他のプランク

ンに食べられてしまいました。“自然淘汰”に人の手が関わった時ほど、

マイナスを引き寄せる事はありません。

 

宇宙の視野から見ると、動物の自然連鎖に見るようなことが、人々同士の

関わりにもあることが判ります。数百、数千年単位で顕在非顕在世界の

両方が絡み合い、又転生の人間関係も複雑に影饗しあって、個人の現人生

が決まるのです。

 

今苦しみのために生れてきている人々は、そうしなければ、どうしても辻棲が合わない状況にいる為、一気にマイナスを引き受けて一足飛びに、少々荒治療ですが、確実にステップアップする方法をとっている場合が多いのです。

 

理解できますか?

 

自分を痛め付ける方向にある人達を助けるには、同じように自分を痛め付

けることをしなければ本当に理解出来ないのです。そこから同時に抜け出

していく・・・ 過去にはそれを行う人が何人か居りましたが、現在では

その方法は勧められません。中途半端に終わることでしう。

 

そして恐竜達が絶滅したように、人間の力ではどうする事も出来ないことを悟ることが大切です。

 

絶滅を選択する者達・・・これを善悪だけで判断出来るでしょうか?

く目を見開いて見るのです。

 

助けなければならないと思う者もいて当然です。しかしその者達は善いこ

とをしているのでしようか? 立派だと思いますか?・・・ く目を見開

いて見るのです。

 

・・・全ては善悪のようでありながら、善悪を超えた“関係性”(因果性)

のみで成り立っているだけだという事を理解することです。

 

滅びるものと、繁栄するものは等価です。

 

満ちていく時の流れに身を任す者達、時の声を伝える者達、それらは善悪

と時空を超えることが出来ます。世の声を反映して行動する者と、自分の

内から行動する者との比率が大きく変わる時が来ました。

 

 

世の声はもう地中に吸収されていきます。内なる声はもう宇宙に吸い上げ

られていきます。間を埋める人の営みは中ぶらりんでどっつかずです。

 

営みを変化させることで、“天にも地にも生きられる状態”が得られるの

です。その為に今大きな“ふるい”が揺れています。具体的に動き出して

います。く目を見開いて見るのです。

 

天地の理は、素早く頭現して行き、“ふるい”の目は詰まって行き、漉さ

れた者は地に残され、目に残った者は捨てられる。

 

捨てられた者は“こやし”となる。全て無駄なし。

こやし”は必要。漉された者の礎になる。全ては感謝。自然の理。