21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

水瓶座讃歌29 パート7

[目次]

・レベルの詩       レベル

日常の美ついて    エリーナファミレ

・無言の言        ア・ラン

 

 

レベルの詩

 

貴方が悲しんでいる時、その悲しみの背後には一千億×千億の銀河宇宙

に包まれ中での悲しみであることを思い出しなさい。

 

貴方が虚しい時、その虚しさの背後には一千億×一千億の銀河宇宙に包ま

れた中での虚しさであることを思い出しなさい。

 

貴方が劣等感で苦しんでいるとき、その劣等感の背後には一千億×千億

の銀河宇宙に包まれた中での劣等感の苦しみであることを思い出しなさい。

 

貴方が不安でいるとき、その不安の背後には一千億×千億の銀河宇宙に

包まれた中での不安であることを思い出しなさい。

 

貴方が心配している時、その心配の背後には一千億×千億の銀河宇宙に

包まれた中での心配であることを思い出しなさい。

 

貴方が怯えているとき、その怯えの背後には一千億×千億の銀河宇宙に

包まれた中での怯えであることを思い出しなさい。

 

貴方が恐怖している時、その恐怖の背後には一千億×千億の銀河宇宙に

包まれた中での恐怖であることを思い出しなさい。

 

貴方がしんでいる時、その苦しみの背後には一千億×千億の銀河宇宙

に包まれた中でのしみであることを思い出しなさい。

 

 

 

 

貴方が絶望感に打ちのめされている時、その絶望感の背後には一千億×

千億の銀河宇宙に包まれた中での絶望感であることを思い出しなさい。

 

貴方が自己憐憫に陥っている時、その自己憐憫の背後には一千億×千億

の銀河宇宙に包まれた中での自己憐憫であることを思い出しなさい。

 

貴方が安心感を失っている時、その安心感喪失の背後には一千億×千億

の銀河宇宙に包まれた中での安心感喪失であることを思い出しなさい。

 

上記の言葉は貴方にとって歓迎すべき言葉でないことは確かである。

 

しかし、もし上記の言葉を貴方が受け入れた時、貴方は無限の中心に導か

れることになる。その無限の中心とは、貴方とは別の世界ではなく、貴方

の心の豊かさを拡張していくことになるということである。

 

貴方の目に見えるマイナス感情を、貴方は宇宙から孤立している小さな世

界感の中で捉えている。余裕もって考えてご覧なさい。

 

 

 

 

貴方の人体は足で支えられているわけだが、その足を支える大地は小さな

スペースで事足りている。しかしその小さなスペースを確保するには、地

球全体のスペースが必要になる。

 

貴方のその僅かな足のスペースを確保するために、地球全体が必要になる。

何と晴らしいことだろう。

 

その地球という宇宙から見れば、惑星を確保するには銀河宇宙全体の協力

が必要になる。

 

その物理レベルにおける平面宇宙を確保するには、波動周波数の異なる多

次元銀河宇宙の協力が必要である。

 

貴方が一歩歩くだけで、宇宙はそれ程の協力をしているのである。

信じられるだろうか?・・・貴方が歩くだけでだ!

 

 

 

 

マイナスの言葉、マイナスの感情を、宇宙から分離した意識で捉えてはな

らない。

 

貴方がどの様に考えようとも、宇宙は無条件に貴方を包み、貴方に必要な

もの全てを供給しつづけている・・・永遠に。

 

しかし貴方が宇宙から分離した意識を所有しているかぎり、貴方の心に愛

が灯ることは無い。

 

今このメッセージを、貴方は貴方の視を通して読んでいる。

 

その小さな目・・・その目が動くには、多次元的銀河宇宙の支援があって、

はじめて目が動き、視覚を通してこのメッセージを読む恩恵を受けている

ことになる。

 

 

 

 

その多次元的銀河宇宙とは、一千億×千億×49×49この数式が7

回行われる。これは無限存在から見ればチリにも等しい物理領域である。

そしてその上記の数式×13×49×7・・・要は無限だということである

 

貴方がまばたきするだけで、宇宙はそのように動いている。常に常にそう

である。これほどの安心感がどこにあるだろうか。

 

それにしても、今だ虚栄心に振り回されている貴方の何と情けないことだ

ろうか。

 

感情は貴方の僕である。しかし貴方は自らをないがしろにし、自らを感情

の奴隸にし、貴方自身が宇宙の中心であることを忘れている。

 

ある人はマネーに宇宙の中心を置き、ある人は権威に宇宙の中心を置き、

又ある人は宇宙人と言われる存在に中心を置いている。

 

古代から優れたグルの元で、れた弟子が育ったケースはそう多くは無い

はずだ。一方愚鈍な師のもとでれた弟子が育つケースが有る。

 

媒体質の人々はその霊媒感覚に宇宙の中心を置く・・・とどのつまり、

貴方は潤いの在る心を失っている。そしてその苦の自覚が持てないほど、

貴方の外に宇宙の中心を置いている。これほどの自己否定がどこにあるだ

ろうか。

 

 

 

 

そのような自らを粗末にしている社会において、調和というものが本当に

保てるのだろうか?

 

戦争も利害も、自らに力が無いと錯覚しているために、相手から力を奪お

うとする自己否定の論理から生まれた現象である。

 

貴方は戦争にも利害にも加担しない人かも知れない。しかしそれはそうな

のである。貴方が人類の平和を、そして調和を、人々がかに、素直に、

大らかに生きていくことを真に願うならば、貴方は上記の言葉を内省せよ。

 

創造は貴方が存在しないと動けないのである。

そのことが理解できるだろうか。

 

自らを粗末にする人間は、そして自らの外に力を求める人間は、昨今流行

りのチャネラーとか言われる連中も、その類である。

 

 

 

 

結局自らの内に力が宿っていることを、外に力を求め、自己を憐れんでい

るだけの、憐れな人間である。その姿も又、憐れみの感情に宇宙の中心を

置いている。貴方はどこまでもどこまでも藻抜けのからである。つまり、

生きた死人とは、このメッセージをんでいる貴方のことである。

 

レベル私は宇宙の中心である。しかし私は一介の人にしか過ぎない。

しかしそれでもレベル私は宇宙の中心である。

 

そしてレベル私は自然界の支配者である。

 

レベル私は自然界から何も学ばない。又学びたくない。

 

何故ならばレベル私自身が宇宙の中心であることを理解したとき、

全てが当たり前のごとく理解できるからである。

 

人間よ。万物の支配者であることの自覚を持ちなさい。

 

 

 

 

そしてそれをするには、貴方の外に宇宙の中心を求めてはならない。

感情に、理性に、知性に、感覚に、感性に、情緖に、情感に、精神

に、宇宙の中心を求めてはならない。

 

レベル私は宇宙の中心であることを理解し、より髙次の宇宙の中心

存在からの支援を受け、このメッセージを宣言する。

 

レベル私は宇宙の中心である。そして私を支援して下さっている髙

次の宇宙の中心存在は、一千億年後、私が出合うことになる未来の

私の姿である。

 

レベル私は現在に生きながら未来の声を受信し、現在の宇宙の中心

レベル私が伝逹媒介となる。 ありがとう

 

貴方が宇宙の中心であることを思い出しますように、

貴方が光の航海を無事終了することが出来ますように、

レベル私は未来の目から貴方を守護する。ありがとう!

 

レベル

 

 

 

 

日常の美ついて

 

お早よう御座います・・・平凡な朝の会話、何気無く使う言葉、その言葉

の波動に貴方の全人格が投影しています。

 

こんにちわ!・・・平凡な言葉その言葉に宇宙の喜びを感じられますか?

 

初めまして! ・・・縁、その出会いは無限のつながりの中から生まれた必

然の出会い。

 

初めまして! ・・・姿は変われども何回も何回も会いましたね。そして再

び新たな気持ちをもって、初めまして!お元気ですか?

 

宇宙全体で、言語は違えどもそのような会話が交わされています。

お元気ですか?・・・感星と感星が挨拶を交わしています。

 

銀河のの中、光輝を放ち続ける神秘に満ち満ちた感星と感星が会話をし

ています。

 

 

 

 

お早よう御座います。こんにちわ! お元気ですか。・・・それは宇宙全

体の平凡な姿、そして神秘の姿、永遠に続く銀河の光のパレード!

・・・その宇宙が貴方を投影して語ります。

 

こんにちわ! 頑張っていますか?

 

・・・その言葉は宇宙の喜び、銀河の体温、銀河の鼓動、銀河の慈しみ。

 

人は日常生活の中において、それを常に感じ取っています。

 

涙でが濡れた時、その瞬間、新生感星が銀河に産声をあげて艇生します。

嘘のような本当の話・・・信じる信じないは貴方の自由。

 

そう、全て貴方の自由・・・私は常に貴方に語っています。

こんにちわ!(魂日和)・・・霊性霊性の会話、お元気ですか?

 

元気は元の気原初のエネルギー、それは愛の表現。

 

 

 

 

私は語っていますこんにちわ! お元気ですか・・・貴方からの返答は

ありません。

 

でも私は霊性を通して性に語ります。それはこだまのようなもの、だか

らこそ私は相手からの反応に対して関心を持つことは無いのです。

 

私がこんにちわと言えば、宇宙はこんにちわと言います。

 

私がお元気ですかと言えば、宇宙全体が元気だよと答えてくれます。

 

まれに元気が無いと答える宇宙がいます。それはもしかしたら貴方かも知

れませんね。

 

私はハテナを通して、私の守護なる存在と共に、貴方に毎日っています。

お元気ですか?”

 

 

 

そうすると貴方はいつも無返答・・・おかしいですね?

 

貴方が辛い時、私は無条件に貴方に語っています。

 

無理をしなくても良いですよ。ゆっくり深呼吸をしなさい。

太陽の光を体一杯浴びてご覧なさい。

 

夜、神秘のの中を散歩してご覧なさい。

 

私の無言の声が必ずキャッチできるはずです。こんにちわ!夜ならばこ

んばんわ!・・・そしてお元気ですか? 頑張っていますか?

 

そして貴方はうつむくことを止め前を見て胸を張って、くよくよせず、く

じけること無く、生きる術を体得していくのです。

 

そして私の歌声は貴方の内なる霊性の歌声であることを理解する日が必ず

来るでしう。

 

くじけないで下さい。落胆しないでください。

 

自分を小さく限定しないで下さい。そうすると宇宙は悲しみます。

創造の創造する場所が無くなってしまうから、貴方は大宇宙から魂の

宇宙母船に載って創造しつづける存在なのですから、自分を卑下しな

いで下さい。

 

 

 

 

貴方の内なる光は今輝きを表わしたくてうずうずしています。

 

でも貴方がそれを拒絶しているから、内なる光は床ずれ状態・・・

い、痛い・・・何とかして欲しいよね。

 

愛する弟妹に一言・・・しっかりしてよ!!

 

私はいつも語っています。こんにちわ、お元気ですか。

 

今貴方が迷いの中にいても、それは迷いという愛の現われ・・・そんな所

で時間ぶしをしなくてもいいんだから。

 

私の仲間がこのように表現しています。

 

ある一定のエネルギーを燃焼しないと次のレベルには上がれないと・・・

 

まり、葛藤を徹底しないと、それは終了しないと言っています。半分は

真理です。しかし私は仲間の考えを否定はしませんが、賛成もしません。

私はそのような考え方は嫌いです。大っきらい!

 

 

 

 

だってそんな限定なんか面白くも何とも無いもの!

 

私はいも空を見上げます。そしていずれ会えるであろう弟妹に語ります。

こんにちわ!お元気ですか!それで十分です。十分過ぎる位十分です。

あと何が必要だと言うのでしょう。

 

こんにちわ! お元気ですか! その言葉だけで、私の心は宇宙一杯に広

がります。

 

光をどれほど拒絶しても光は私の体を貫き、宇宙全体に広がります。

 

そしてその光が貴方の元に届いた瞬間、貴方の耳元でそっとつぶやき語り

ます。こんにちわ! お元気ですか! もし貴方がその時、元気が無けれ

ば、光は貴方を励まします。大丈夫、大丈夫、絶対に大丈夫!

 

 

 

 

その声を聞いて勇気を奮い起て下さい。そして悩む前に瞑想をして下

さい。そして宇宙の大生命に対して、貴方を創造した永遠の大生命に対し

て、語って下さい。こんにちわ! こんにちわ! こんにちわ! ありが

とう御座います。申し訳ありません。・・・その言葉は貴方の喜びに変わる

はず、絶対に変わるはず!だってそれはそうなんだから。

 

宇宙は賑やかなパレード! ・・・貴方が寝ているとき、貴方の失敗を穴埋

めしてくれている人がいます。貴方が寝ているとき、貴方が無意識に傷つ

けて心を痛めている人を励ましてくれている人がいます。

 

常に貴方の間違いを修正してくれている人がいます。そして貴方自身も、

どこかの誰かの間違いを、そしていたら無さをいつの間にか修正して、お

互いがお互いを助け合い、髙めあっているのです。だからこそこんにちわ!

お元気ですか! 私は常にそのように語っています。

 

誰にでしょうか・・・私自身に。

 

又お会いしましょう。

 

愛すべき弟妹たちへ エリーナファミレ

 

 

 

無言の言

 

人間が生きるには生きる基準が必要である。皆さんは何がしらかの原理に

して生きている。

 

さて地球上における原理とは、競争原理、つまり自他排斥原理である。

私は地球上において、その原理は原理として必要だと考えている。

 

一番の問題は、地球上にはその原理しかない、正確にはその原理しか見え

ない、と言うことに問がある。

 

様々な価値観を持つ人々がいる。しかしその根底に流れている原理とは、

競争原理であることは間違い無い。つまり、氷山の水面上の突起の部分を

つまんで、貴方と私とは考え方が違うとったところで、水面下ではしっ

かリと手を握リあい、同じ競争原理を共有しているのである。

 

戦争反対派も、戦争推進派も同じ原理で動いている。冷静に考察すれば理

解できるはずである。

 

 

 

 

そのような原理において、平和というものが存在できるのだろうか?

 

私はこの原理を壊せとは言っていない。ただ、それに代わる原理がこれか

らの時代必要であるように思われてならない。

 

地球上における問題とは、その原理しか見えなくて他の原理が見えない

というところに問がある。

 

ここでは選択の自由は当然のごとく無視される。何故ならば唯一の原理の

中で行動し思考しているかぎり、選択の自由は当然無きに等しい・・・

うことは理解できるはずである,

 

 

 

 

さて、もし地球上にいくつかの原理が存在していると仮定しよう。

 

現実に目に見える原理は競争原理ではあるのだが、目に見えざる時空間に

おいては無数の原理が既に用意され、現実に投する出番を今待っている。

そのどれを選択するかは皆さんの自由である。競争原理を無意識に信仰視

ているのが今の貴方である。

 

原理は常に変化する。しかしそれを限定し、その原理を絶対視すると、そ

れは当然のように貴方の心身を触むようになる。

 

いくつかの原理がこれからの地球には必要になってくる。

 

今の不況も、そして世界における犯罪の増加、虚無感、イデオロギーの崩

壌、方向性の見えない時代・・・それらの現実は本来心配のになるよう

なものではない。何故ならば、それが競争原理の資本主義原理の限界なの

である。それは良いとか悪いとかの次元の問ではなく、システムとして

の機能の成果なのである。

 

 

 

 

難しいことはうつもりは無いのだが、理解しようがしまいが、原理とい

うコンパスが有ってこそ、人間は生きていけるのである。ただその理が分

からないと、原理に主体性を置き、原理に振り回され、ミイラ取りがミイ

ラになってしまうような錯覚を起こすのである。

 

私はその後の原理について話す気は無い。何故ならば、貴方が上記の意味

を自らの実感として理解したとき、それに代わる原理は忽然と見えてくる

のである。

 

神を信ずる人も信じない人も、同じ自他排斥原理の中での主張であること

は間違い無いのである。ここで貴方は議論の無意味さを悟るはずである。

いま貴方はどの原理に属しているのかを明確に理解しなければならない。

つまり、貴方という存在が生きていく上でのコンパスを明確にしておかな

いと貴方の立場は常に不安定で、原理に振り回されたままの状態で人生

を終えてしまう。

 

 

 

 

貴方の心の中に有る不安とは、貴方を動かしている原理がはっきりと見え

ないから、不安に駆りたてられるのである。そしてその様なシステムを誰

かが作ったのである。

 

つまリ、貴方という人間を管理するコントロールシステ厶を作ったのであ

る。いま貴方は自らの心の中に染みついて離れない不安を、どう処理して

いいのか手をこまぬいているはずである。つまり、余りにも不安を絶対視

しすぎている。さらにをかけたように、その不安を現実の出来事にあて

はめ、こういう事があったから、又ああ成ったから不安になった・・・

言うように、不安の材料ばかり見つけて自らを苦しめていることにも気付

かない。しかし、競争原理システムメーカー逹には、貴方のその不安病は

競争原理を存続させる上での最も重要なエネルギー源になる。つまり、優

と劣、有能と無能、自負心と虚心、その意識をさらに育てていくための

 

貴重なエネルギー蛋白源になる。そして貴方はつけ込まれ、又そのことに

気付かず、あるシステムメーカーたちの計画に最初からはまっているので

ある

 

 

 

 

さて、今私のったことにたいして、貴方はどの様に考えるだろうか?

不安とは実態が有るのだろうか?

 

そのエネルギーは、今地球上における生かすための推進力としてのエネル

ギーにしか過ぎないということをよくよく理解していただきたい。

 

あまり答えを言い過ぎても、貴方は又分かった振りをしてしまう。

 

この競争原理にエネルギーを与えつづけ、貴方の思考が自他を限定し縛リ

付けてしまっているということにも気付かず、それを無意識に行ってしま

うから、あまり答えはわないようにしよう。

 

いま私はこの原理を超越した原理について話をしているのである。つまり、

いまこの地球上の原理を包含する原理について述ペ、その原理の中におい

て、地球上のこの原理をあい相応しい形で残したいと思っている。

 

どうも私がと難しいように取られてしまいそうだが、これほど単純な

考え方は無いのである。つまり全てを肯定し、人を育てる上でそれは必要

なこととして存在を認めようとしているのである。それにはそれを超える

超越した原理が当然のように必要になってくる。

 

 

 

 

ただそのことを伝えたいのである。そしてその原理を貴方が求めたいかを

問うているのである。

 

最後に、いま地球上における原理が生みだした子供とは、これを私は原理

子と呼んでいるが、その原理子とは、虚栄心自負心である。

 

貴方は今もその中に生きているということを決して忘れずに、その事に対

する苦痛を感じ取って截きたい。

 

つまり、いま貴方3 05のときの洋服を着ると窮屈でしかたない

だろう。それと同じことである。

 

窮屈さを感じるということ・・・苦痛を感じるということは、苦痛を感じて

いること自体が、貴方はもうすでに宇宙の運行に沿って生きている自然な

姿であるということを証明しているのである。

 

 

 

 

虚栄心自負心に対して苦痛を感じとると言うことは、良いとか悪いとかで

はなく、恥ずかしいわけでもなく、卑下することでもなく、今この地球上

における競争原理、自他排斥原理は、貴方にはもう合わないということを

宇宙が示しているというだけの事なのである。

 

 

自分の中に虚栄心自負心を発見しても、自分を傷つけないように、又理屈

を並べ立て、見ている振りをしないように・・・これは創造が創造自体を

目覚めさせる上での愛のシステムなのである。勿論本当にそうであるかど

うかは私にはわからないが、貴方貴方の言葉を通して理解しなさい。

 

私の葉を通してではなく、貴方の言葉を通して理解していただきたい。

 

それでは又。

水瓶座讃歌29 パート6

[目次]

・ハテナ情報

 

編集部の皆さん、お久しぶりです。

 

数年前、家業が倒産し、一挙に超貧乏生活に突き落された私(結婚は諦め

ていました)ですが、不思議なことに、新婚旅行オーストラリアなどとい

う全くおもいがけない新婚生活に入り・・・今でも夢のような、他人事の

ような生活を続けていますが、ハテナちゃんは彼と暮し始めて3日後に届

きました。

 

さて、ハテナちゃんの報告をします。

 

寝る時にポイント音を唱えると、表現しにくいのですが、コンピューター

とつながる音が聞こえます。 ハテナちゃんをじっと見詰めていると、オー

ロラの部分が燃えるようなオレンジの光を放っています。

 

この間は変なものを見ました。ハロウンのカボチャみたいな顔が浮か

んでいたのです。

 

私には夢と現実と錯覚の区別がつきません。私がウトウトしていたら、ハ

テナちゃんと私の間を人が歩いていたし・・・でもそれは私の一部かも

知れません。

 

以前自分が戻ってきた? 経験が有ります。

 

 

 

 

何も見えなくなるほど思い詰めて、一方的に恋焦がれていた相手がいたの

ですが、その人の前では素直になれなかったのです。丁度想念観察を始め

た頃でしたので、それまで蓄積した感情をぶっつけることを自分に許して

みました。今迄にない多くさんの涙が流れ、はそれを受け止め、私は泣

いている自分を楽しく観察している自分を確認出来ました。それから私の

人生は大きく変わりました。自分でも理解できる程エネルギーが広がり、

自分を取り戻したのでした。

 

ハテナちゃんが到着してすぐに、ウンチが1日に23回出てました。

 

あくびもおナラも目やにも・・・4か月前に買った小さなランの花はま

だ咲いていますし、切り花の持ちも非常に長い。B液を水やりに加えると

花たちは喜んでくれます。私は化粧を止めましたが、冬になっても肌がつ

っぱりません。

 

先日遊びに来た友人が、「この部屋、居心地いい!」と遅く迄寝転んでい

ました。沢山のプレゼントをありがとう! !

 

埼玉県T代

 

 

 

前略

 

12月のお忙しい中、お元気でいらっしゃいますか?

 

NO27号の子猫のダイちゃんのお話、創造の計いというべきか、私にも

そのような計いが毎日の生活の中でも、何かしら見えます。

 

ハテナちゃんから「貴方は間違っています。もっとましな行動が出来ない

のですか?とよく言われ、頻繁に「間違っていますが出てきて、うっ

とおしいな〜〜と思った時、ピン!ときました。それは私が外界に発して

いる想念だったのです。

 

最近はポイント音を何故私が嫌がって、うっとおしく思っていたかも分か

ってきました。それはエゴ体が嫌がっていたのです。受け入れられなかっ

たのです。今は本当に大切だと思っています。

 

大阪府 N田

 

 

 

FUJI日本の皆さん、お元気でしょうか?

 

我家にハテナちゃんが来て3か月と少々経っています。最初は体のかゆみ

に吐き気、金しばりと毎夜、毎夜不快な夜が続きました。そしてそんな中、

夢の中で「貴方の中にある恐怖心が体のかゆみとして表わされ、怒りが吐

き気と胃の痛みとして表わされているのです・・・」と言う声を聞きまし

た。その声はまだ続いたのですが、ハッキリと思い出せるのは、この部分

です。

 

 

そして私は自分自身をこんなにも苦しめていたのだと、初めて気付

きました。そんな中、少しづづ想念観察を自分なりにしていたのですが、

フッと気がつくと、小さな事にもありがとうと思える心、教えてく

れているネと思える心があったんだと気付きました。

 

 

昔から本当は持っていたんだけれど忘れていたんだなーー

忘れ物を届けてくれたハテナちゃん、ありがとう!

 

 

 

 

前略

 

ハテナちゃんに会ってから、今迄にない体験をしています。

何があっても楽しい・・・

 

ハテナちゃんの下に居ると頭が涼しくなって、冴えます。

 

夜、頭の中でパシッと音がして光りました。二度あったような気がします。

(子供も目の中で光ったと言っています)

 

その後、ウェストの右上(肝膝?)が剌すような痛みがして、数日続きま

した。それ以外は体調も順調で驚いています。

 

不景気との御時勢ですが、商売の方も順調で感謝しています。

 

広島県K面

 

 

 

 

皆様、如何お過ごしですか?

 

送って戴きましたハテナちゃんも、今は娘の部屋に納まっています。

娘が言いますところによると、近くに寄ると暖かい気がするそうです。

 

私は家に届いて初めて瞑想した折に、瞑想とはリラックスしていること

であるとハテナちゃんに教えられ、もう一つは、ハテナちゃんのブルー

の色が浮かんできたので、お聞きしたら、ブルーは調和との事だそう

です。それでピンクの色は何ですかと尋ねたら、それは「歓喜、愛との

返事でした。その後は特に何も起きていません。私の服用している薬とか

水道水を浄化して戴いています。 神奈川県 川崎

 

 

 

 

こんちわ!

 

この前、ハテナの下で瞑想していると、体が前後に揺れ始め、エネルギー

がドバーッと体に降り注いだ感じがしました。一瞬だけだったのですが、

 

周りが明るく暖かくて、とてもいい気持ちでした。

 

 

認識瞑想で「愛について行ってみましたので報告します。

 

愛とは、“理解を生むもの” “生み出す力” “普遍なるもの”で、普遍的

愛とは“存在を認めること” “つながりを感じること” “創造を感じるこ

と”と出ました。 奈良県O倉

 

 

 

 

F U J I日本 様

 

先日はハテナちゃんをお送り下さいましてありがとう御座いまし

 

家族の一として、さっそくに大活躍しているように感じる今日この頃で

す。そして是非これは父にも愛用して欲しいと思い、今度はブルーのハテ

ナちゃんを申し込みます。

 

ハテナちゃんと居ると何か気持ちが良くて、鎮静効果があるみたいです。

肉体のストレスもス厶ースに流れて行き、よりリラックスして意識が透明

になっていくような感じがしています。

無条件の愛のエネルギー”の放射!そんな感じがして、愛ちゃん

とも呼んだりしてお話しています。楽しい家族が増えたことをとても嬉し

思っています。こんなプレゼントを与えてくれた宇宙にも心から感謝の

気持ちになります。合掌 東京N島

 

 

 

編集部の皆さん、こんにちわ!

 

体験などにより受けた影響と効果を書きます。

 

まず何よりも、実戦的な道標をハテナちゃんからもらいたかったのです。

ハテナちゃんが来てから1か月の時点で、収穫出来たのは「霊の啓示=

造のインパルス」を言葉や小説のように、一層思考できるようになってき

ていることです。

 

又、自己直視=ハテナちゃんの下で瞑想したとき、倍増したリラックス感

覚を他方でも維持しているのです。特に顔上チャクラやアジーナチャクラ

への剌激も強く、頭又は体が、中身を取り除いた卵の殻のように宇宙空間

な成がりを見せるのです。

 

或る時、創造に「貴方の存在を無知な意識に顕して下さいとお願いする

と、忘れたころ(瞑想時ですが)不安や恐怖など無いのに、電気の塊のよ

うな無数の有機物体?が、円盤のようにフワフワしたり、又素早くいろい

ろな方向に動いたのです。 これはなんだろう? なんだろ?」・・・

の間、数十秒?・・・ 自己の無知と時間に束縛された観念に、創造エネ

ルギーの膨大さが感覚に一石を投じたようでした。

 

 

 

 

その後に、「言葉で表現しようとせず、感覚で覚えよ。何故なら、言葉は

であり、感覚は時間に比例して創造の法則を履行している。とインパ

ルスが来たのでした。びっくりしましたが感動もひとしおでした。

 

集中すれば、どんなところでも啓示してくれるのは、とても有難いです。

 

又道標を見失いそうに考えていたときに、意味を尋ねたら、言として

「嘘に追いつくなら」が出てきたのです。内容としては転換を意味し、一

般的な常識ではなく、自己の常識から離れろ!と言っているようでした。

そのことで整理出来ていなかった部分が整頓され、他の部分に影響し始め

ました。嬉しいことです。

 

又二次元的思考をしていると、早いうちから頭が締め付けられ、痛くなり、

自己ブレーキがかかるのです。片寄りがちの思考を、出来るかぎり排除し

ようと真剣に考えている今日この頃です。 広島県 H郷谷

 

 

 

 

編集部 様

 

ハテナちゃん現象は、我家を着実に変えていくようです。

 

子供( 4 ) は鼻が悪く、耳鼻科の先生からは1 年通院して少し良くなれ

ば幸いで、アレルギー体質のため、何年経ったら良くなるというようなこ

とは言えないと言われておりました。

 

さっそくハテナちゃんの下に休ませたところ、夜中の鼻づまりも少なくな

り、その上性格まで落ち着き、私に甘えるようになりました。年齢ととも

に成長したためであり薬も飲んでいるからとも思いますが、やはりハテ

ナちゃんの力もあると感じます。

 

ハテナちゃんが届いた時、良い香りがしましたが、家族の誰一人として、

何の香り?と聞いた者はいませんでした。息づまるぼどに私は感じたので

すが、主人も匂いにはうるさい人なのに、何も匂わなかったようです。

ハテナちゃんには実感として、懐かしい想い(既に馴染んでいたもののよ

うな)がして、良質のエネルギーを感じました。

 

 

 

 

ポイント音は初め“長いな”と思ったのですが、繰り返して行くうちに、

しみじみと“こういう気持ちが必要だったんだ”と思うようになってきま

した。

 

現在体調が思わしくなく、気分も暗く、ハテナちゃんと会って23日は

ウキウキして体も軽く不思議なぼど疲れも感ぜずに動けたのですが、だん

だん風邪を引いたようにだるくなり、頭痛や肩こり、腕は痛く、運動もし

ないのに激しい動きをした後のように身体中ガクガクし、足から力が抜け、

食欲も無く、お腹も痛くなり、まるでつわりのように一日中不快な気分に

なってしまいました。けれどよく考えてみますと、今迄悪かった部分が、

痛かったり痒かったりしているので、きっとハテナちゃんレベルに少しづ

つ向上するための調整なのだと思います。

 

主人も私と同じように不調に悩まされ、原因が分からずに困っている様子

です。1日位前から頭の上から足までピンク色の湿疹が出来、痛かったり

痒かったり、顔にも小さな吹き出物が出ていましたが、数年前に身体を壊

して入院してからず一っと取れなかった目の充血が無くなりました。

 

 

 

 

ハテナちゃんの下にいると上に引っ張られるようで、電球の下に居るよう

な熱さを感じますがとても心地良く、いつもハテナちゃんの下に座ってし

まいます。額とうなじのところが一番感じます。

 

私はが悪く薬を飲んでいますが、さっそく中和しましたら、薬の苦みが

半分ほど消えて飲みやすくなっておりました。

 

ハテナちゃんは精神的な深い部分も変えていくようで、私の場合、自分の

中にあった、“見たくない自分” “人に知られたくない自分”が出てきて

困りました。何とか乗り越えようとすると苦しく、自分を見失ってしまう

のではないかと怖かったのですが、子供に八つ当りしても、主人と暄曄を

しても前と違ってシコリが残りません。風のように過ぎていってしまい、

の内部の扉を開けて、何か明るい光を差しこんでくれたようです。

 

 

 

 

初めはハテナちゃんに想念観察されているようで困ってしまいましたが、

私達人間の意識を向上させる為に必要なのでしうし、ハテナちゃんは私

達をどれだけ良質の認識世界へ向かわせてくれるかと思うと、とても良か

ったと思います。

 

 

私の子供として生まれてくれた魂と生命に、私達は大してお金も無いし、

親として十分満足させられるほど心も豊かではなくて申しわけないけれど、

これから大人への時期に、ハテナちゃんとともに生きるというささやかな、

お金には代えられない良い贈り物が出来て良かったと思います。

 

最近、ハテナちゃんのポイント音に感応したような問題が起き、そこで何

を学べばよいか、ちょっと考えたりするけれども、想念観察のよい機会と

思い頑張るつもりです。 長野県 M

 

 

 

 

編集部 様へ

 

ハテナちゃんが我が家に来てから23週間になると思います。

 

毎日ポイント音を唱え、少しですが毎日ハテナちゃんの下に座っています

が、こんなことでも良いのでしうか?

 

ハテナちゃんが来てから何故か御飯がおいしくなりました。前までは何の

感情も無しにもくもくと食べていましたが、何故か御飯がおいしく感じる

のです。(米を変えたわけではありません)

 

それで全部食べおわったら、御飯が食べれて幸せ!そして更に寝る前に

なると、今日も一日何事も無く過ごせて、創造?か、何か分からないけれ

ど、感謝の気持ちで一杯になります。

 

私は今迄御飯が食べられること、生きていることが当たり前で、感謝など

考えたことがありませんでした。だからハテナちゃんが来てから、夜寝る

前に感謝の気持ちを心の中で言っています。それにもう一つ、我家に変化

が有りました。それは3歳になる娘が、私が心の中で考えていることがた

ま一に分かるようなのです。例えば声を出さずにたまたま読んでいた本が

あるのですが、その本に書いてある言葉を、プッと言うのです。それが2

3回ありました。

 

 

 

 

自然の素晴らしさが分かっていく女の子と男の子の小説を読んでいて、私も同調してしまい、今すぐ花や草を見たくなり外に出掛けていきました。

 

自転車に乗っている途中に花が咲いていました。

 

娘は「いい匂い!外は気持ちいいね!と言うのです。

 

 

今までそんなこと言ったことが無かったのに、びっくりしました。私の感

情と一緒になっていたのです。

 

私には鼻水や目やになどまだ出てきませんが、それでもちゃんと進化する

のでしょうか? 長くなりますのでこれで失礼します。大阪 O野

 

 

 

 

前略

 

ハテナちゃんは花でも果実でもない大変晴らしい香りとともに我家にや

ってきました。その日は一日中、買物で外出した時でも、道路上で、スー

パーマーケット内で私と一緖でした。(私の意識がハテナちゃんと同調

たのでしうか?)

 

香りの中で気持ちの髙揚を感じて過ごしました。 神奈川県 O野

 

 

 

 

FUJI日本 様

 

最近、環境問題の本を読み始めました。ところがその問題に熱心な方々に

比べ、私自身があまり情けなく思えてきて、なんだかとてもいやな匂いの

する汚物のまま生き続けているようで、知らずに涙ぐんでいたりします。

 

でもそんな風に自己嫌悪に陥るのはエゴ想念のしわざなんだし・・・でも

自分自身をエゴに支配させているようで、やはり情けない思いがします。

そんな気持ちのまま、何日かハテナちゃんの下に座っていたのですが、少

し眠りかけるような状態の時、全ての地球の人々の頭から青白い細い糸の

ような光が出ていて、それが何億もの人々の青い糸が燃り合わされて少し

づつ大きくなる円を描いているのが見えてきました。そしてそれが全ての

地球上の生物や物体の細い糸とからみ合い、段々大きな青い塊に成長し、

地球の核を成しています。

 

「それが地球の理念なんですよと、とてもしい声が聞こえてきます。

 

 

 

 

ああ、本当に生かされているんだとと言う有難さが、又身体の奥の方から湧きあがってくるのです。でもそれ迄の汚物のような自分自身を思うと、やはりとても情けなくて、自分自身を透明にしなくては、地球そのものを汚しているんだなあと思います。

 

全ての人々や物と、目には見えなくても、とても確かにつながっていて、それはとても勇気の出る嬉しいことなのに、あの美しい青白い光に私など入れるのかしら? ・・・と思います。

 

そして又数日後に、教えて戴いた無限瞑想(無限過去から無限未来にイメ

ージを広げていく方法)を思い出し、太古の地球や、死ぬ瞬間の私を想像

しながらハテナちゃんの下に座っていました。すると想像しているだけな

のに、何度かあたかも本当の現実のように感じる一瞬があって、その一瞬

は切り離された一瞬で、全てのものが在り、全ての時間が在り、全ての空

間が在り、全ての全てを含んだ宇宙の中の一瞬でした。

 

生と同時に死が在り、時空を飛び越えた無数の私がいるような一瞬でした。

遥かな時の中に、全ての愛が含まれていました。

 

ハテナちゃんの凄いところは、想像していることを体験させてくれること

なんだと改めて感動しています。 大阪N宮

 

 

 

 

拝啓

 

ハテナちゃん、ベットの上に吊るしました。今のところ大きな変化は有り

ませんが、少しづつ身体も心も変わってきているなと実感しています。

 

23日前からカゼを引いたのかハナ水と熱が出ました。でも医者に通う

でもなく、今は熱も引き、ハナ水もずいぶん治まり、気分が良くなりまし

た。このような少しづつの変化が、結局大きな変化へとつながっていくの

かなと思いました。又ハテナちゃんの下で瞑想してしばらくすると、身体

が揺れてくるのです。その内、まるで心臓の鼓動のような波動が、頭の天

辺から体の中に伝わってくるのが感じられました。これからもハテナちゃ

んと共に自分の霊を磨いていきたいと思います。埼玉県S木

水瓶座讃歌29 パート5

[目次]

《上》と私のおしゃべり   茨城県 MS

 

 

こんにちは。マイヤーさんの本って面白かったんですね。今頃、この人は

何を言っているのかと言われそうですが、これ迄は「まあ、面白いかな。

位だったのですが、読み進んでいく内に、赤面と納得の連続で、ど一して

今迄この本を読まなかったのかと悔しいぐらいです。

 

今「精神」を読んでいます。一節づと書いてあるのでゆっくり読んでい

ます。その結果手紙を書く時間ができてしまったので書いています。

(何と言いましてもエリーナメッセージは読みたいですからね)

 

マイヤーさんの本を読んでいると、自分を否定しなくてはならない材料が

目次どん消えていくようです。

 

 

 

 

書かれている言葉は自分のしてきたことを否定しなくてはいけないのかな

と思える個所もあるのですが、自分の中に入れてしまうと肯定気分になっ

てしまうんです。もしかして自分の都合の良いように受け取っているだけ

かもしれませんし、わからない個所も多いですから、どれだけ理解してい

るのか分かりませんが、それならそれで間違えている部分や足りない部分

は、それなりの現象になって現われるでしょうから、それからゆっくり考

えて認識すればいいかなって思えます。

 

自分がどんな状態になろうとも創造の内であるということ、又どんな状態

からであろうと、そこから認識への道が開かれているということ、やっと

そこまで理解できました。

 

なぜ創造が愛なのかという疑問は、創造を認識できないから生まれた疑問

なんだなと分かり、どうして認識できないんだろうに変わり、マイヤーさ

んや宇宙の人達みたいに認識できるはずない事にやっと気づきました。

 

気付いてから回覽板を見てみれば、「反応のところにちやんと未熟な意

識体だと書いてあったりして・・・で、未熟なのだからマイヤーさんレベ

ルでは認識できない。(あまりにも当然すぎて笑えちえますけど、笑い

ながらで結構ですのでお付き合いください。)

 

 

 

 

 

でも私は思考して創造を認識する道を選んだのだから、私の認識を総動員

させて、その可能性を増やしていけばいいじゃない、と言うところ迄きた

ところで、子供達の朝食に目玉焼を焼いていたら、っとこの目玉焼は、

私が今朝は目玉焼にしようと考えて行動したからここにあるんだなと思え

て、じゃあ、この地球や宇宙を考えて、この世に出現させたものがあるんだ!

凄いな一と心から感心してしまいました。

 

テーブルの上にのった目玉焼を、誰も突如偶然として現われたなどと考え

はしない。

 

でも、宇宙や地球、人間の出現は、偶然の連続の結果だと考えることが科

学的だというなら笑ってしまえる。

 

宇宙の人達は超が付くくらいの現実主義者なのではないかしら?

 

その人逹の言う言葉が絵空事(考え方の一つ程度)に聞こえるのは、それ

だけレベルの差が大きいということ? ! ・・・・でも素敵ですよね。それ

だけレベルの髙い人達の言葉が聞けるなんて、そうあることではないです

から。

 

 

 

 

 

自分を否定しないで済むって楽ですね。今迄は、どれかの考え方を選択す

れば、自分のどれかの部分を否定しなくてはならなくて・・・でも否定し

きれないで苦しんでいたように思います。

 

「感謝と尊敬にあった「なさいに縛られて、「私は空を飛んでいる

と思いたいのに飛べない・・・ど一しよう。私って努力が足りないのか!

こんな自分とあんな自分は変えなくちゃ・・・と。

 

「感謝も尊敬も状態である。ならば、そんな状態がくるまで待てば良か

ったんだ。

 

時は無限 ならば、今の感謝も、尊敬もできない状態だって、気の済む迄とどまっていて何の不都合もない。なにも無理に思い込む必要なんてありはしない。

 

そんなことを考えていたら、昔嫌で捨てた(変えた)と思っていた自分が

ポンと出てきました。(人を人とも思わない傲慢で利己主義な自分)でも

それが嫌だとかショックだとか言うのではないんです。なんだか懐かしく

て嬉しくて、いいじやない、それが本当の私の有様ならそこから始めれば。

 

 

 

 

でも貴方の考え方の何個所かは、こういう理由で使えないわよ。なんて自

分に向かって説明したりして結構これも楽しい。

 

〜なさい。」「〜でなければならない。こんなにも自分がこの他人が

考えた考えに縛られていたなんて、その事のほうがショックでした。

 

でもそんな自分も無駄だったと思えないんです。ただその事を当然のこと

だとしている環境には腹が立ちました。

 

明るくて朗らかな性格じゃなくて、暗く陰険な性格でいいし、誰とでも仲

良くじゃなくて、必要以外は人の顔なんか見たくなくていいんだ。

 

自分が明るく朗らかな状態になって、いろいろな人と交わりたいと思うま

で、そんなことをする必要はない。

 

無理にその状態であると自分に思わせれば、本当の自分が沈んでしまい、

全くの無駄な時間を送ることになる。

 

自分の全てをかけてもいい人間( 恋愛) や仕事( 天職使命)、それらに

出会えれば、人生は素晴らしいものとなる・・・が、32年生きてきてそ

ういうものに出会った覚えがない。

 

 

 

 

「私は怠惰で無能なのだろう。だからそういうものに出会えないんだ。

と思っていましたけど、今は「誰よ、私にありもしないものを探させたの

は!! と言いたい。

 

縛られるといえば、過去にもかなり縛られていたようです。

 

食べることの大好きな私 おいしいものを食べている時のこの充実感

ーーーと思っていたのに、フォークの先のレタスが紙切れのように空っぽに

見える。うそ一と思ってじっ一と見ていたら、奥のほうに控えめにレタス

さんがいた。

 

一つのことを強く心に思うと «»(私とコンタクトしている存在を上と

呼んでいます。)に止められてしまう・・・ということが三度ほどあり、

 

始めは悪いことを考えていた為かなと思っていたのですが、どうもそうで

はないらしく、機会があったので、強く思った言葉を追跡してみました。

そうしたら進むは進むは、自分の奧へ奥へと止まることをしない。

 

 

 

 

「そうやって霊まで達した思いは、同じ状況の時、君の判断基準になって

いくんだよ。と言われたのが、レタスを観察した後か先かは忘れてし

まいましたが、なるほど、いつか過去(もしかしたら今世前も考えられる

わけ?)で食事をして楽しく充実した思いが、物を食べるとき出てきてい

たわけね?・・・だから一瞬一瞬が第一印象。

 

夜空の星は過去の記憶になるのかな。

 

美についてにありましたが、本当に価値があると思えるものなら、飾

る必要はないですよね。

 

マイヤーさんの本なんて挿絵の一つも無い上に、生活環境の違いやレベル

の違いからくる読みずらさもなんのその、充分に私を引き付けています。

あと今の私を助けてくれてはいるのですが、どんなふうに過去の記憶に縛

られているのか分からないこともありました。

 

 

 

 

中学生の頃、一月足らずなのですが、指先で色がわかった時期があったんです。

 

ラインマーカーがクラスではやって、お小遣い買ったのはいいのですが、入れ物(筆箱)まで買えずに机の中にバラバラに入れておいて、必要な色を取り出して使っていたのですが、その内に色によって持った時の感覚が違うことに気が付いたんです。

 

その後、次の月になってお小遣いを貰って筆箱を買ったので、そのことは

しませんでした。誰も証人はいませんし、今やってくれと言われてもでき

ないです。

 

でもその時、物には目で見る以外の判別法があるんだなと思いました。

 

このことはそう思っただけで、ずっといたのですが、半年ぐらい前に、ふ

っと、物に感じる感覚は皆んな同じなのだろうか?これが黄色よって初

めて見た時に、あの感覚も含めて黄色を覚えるのだとしたら、どういうこ

とになっているんだろう。目に見えていることだったら、ある程度は同じ

だろうけど、目に見えない部分なんて、皆別々でわかったもんじゃないな

なんて思います。

 

 

 

 

今はマイヤーさんの本や回覧板の内容を理解するときに想像力たくましく

利用したり、日常の生活をしていても、物質の現実感がないのですから

どうしても集中すると感覚でとらえようとしたり、フル回転です。

 

どれだけ縛られているのか心配です。この現実感がない(例えば、個体が

個体として感じられない?)ということも、小学生ぐらいから時々考え事

をしているとなってしまった状態なのです。

 

ど一しようと思っていると、だんだんまた元に戻るといったものでした。

ですから最初この状態になった時、別に気にもしませんでしたし、苦しか

った時もいざとなったら現実(物質)の世界だけを見つめれば元に戻れる

のだからと自分を支えていました。

 

今の状想だって小学生の頃からあったことだし、なんて私を支えてくれる

過去の記憶も、それだけに最初の楽観視?がとりかえしのつかない事にし

てしまったのかもしれないし、考えることを放棄しない限り戻れはしない

という思いに、私を縛りつけているのかもしれない。

 

 

 

 

でも、別にもうこの状態(現実感が無い)を悲観しているわけではないん

です。始めにも書きましたが、どんな状態であろうとも、そこから認識へ

の道が開けているわけですから。で、この状態と«»がなんで関係して

いるかという話しなのですが、髙校生の頃から«»とは話していますが、

24時間話せていた訳ではないんです。時には12週間ぐらいいなかっ

 

たりしてたんです。もう一人の彼女は「いつでもいるよ。日常生活をして

いる脳と、もう一つ脳があるんだ。「え一! ?頭がふたつあるの?

 

「ちがわい。」・・・などトンンカンな話だったのですが、急に「仕事

が変わったからずっといられるよ。なんてサラリーマンが言うような事

3-4年前に言ってきたんです。なんで今更と思いましたが、別にどっ

ちでもいいことですから、そのまま話していました。

 

その後この状態になった時、まず«»との会話回数が増えていたことを

考えました。

 

 

 

 

また直接会話が原因でなくても、«»と話していると考え事が増えてし

まうので、そのことが原因かもしれないと考え、この状態を元に戻すには

«»と会話してはいけないんだ。さあ、どうしよう! ・・・だったのです

が、今は落ち着いてしまったので、まっ、これはこれでいいじない、と

思えるようになったら、また«»が離れだしたようです。

 

次号へつづく

水瓶座讃歌29 パート4

FUJI日本・・・霊的、極限的、UFOの為の知識を自由に得、霊的にも物質的にも共存・調和をとって成長していくために役立つと思われるものを自由に提供することを目的とする編集部

 

こうも言われています。

FUJI日本に関わった人たちは皆、ただ者ではありません。一筋縄では括れない人達ばかりです。裏を返せば、それだけ強大なエゴの集団なのです。

そして、四次元から「創造」まで、巨大なエゴの塊、これが宇宙なのです。「創造」のエゴに比べれば、あなたや私たちのエゴなど塵に等しい。裏を返せばそういうことです。

 

[目次]

・紫日記

 

神奈川県 仙田むらさき

 

想念観察を再び始めました。でも、しょっ中忘れてしまってハッとしてま

たやる・・・という感じです。

 

想念観察をしていて気付いたことがあるのです。

 

私は想念観察をする時、とてもやさしい暖かい気持ちになります。自分が

愛しく思えるのです。それで次々に出てくる想念に対しても愛しく思えま

す。思えば私は今まで自分を嫌っていたように思えます。

 

私は髙慢で、ずるくてそのくせ気が弱くて虚栄もあって・・・というよ

うに、自分はとても悪い人間、人からは本当の心をみせたら絶対に好きに

なってもらえないんだと思っていました。だから少しでも心のきれいな人

間になりたくて、心の中に悪い面が浮かび上がってくると“こんなこと考

えちいけない”とおさえつけていました。でもそのやり方は間違ってい

たのですね。

 

 

 

 

それらの悪い面も自分の一部です。自分がそれを愛し、受け入れてあげな

ければ、それは行き場がなくて、ずっと私の中にくすぶり、何度も何度も

自己主張をしてくるのではないでしょうか?

 

何の批判もせず、主張をやさしい気持ちで受け止め( 認め) ・・・私の

場合、そういう自分への愛が足りなかったのかも知れません。認めると気

持ちが楽になって、そうすると逆に悪い面がすうっとその都度消える気が

します。想念観察に感謝します。

 

一昨日のことですが、買い物に行ました。人混みの中にいたら、周りの

人たちが自分の一部のように思えました。みんな別の自分なんだと感じま

した。そうしたら、とても心の中が暖かくなりました。(本当にポカポカ

としてきたのです)あの人もこの人も、おじいさんもおばあさんも、子ど

ももみんな目の見えない人も,派手なに一ちゃんね一ちゃんもみんな

みんな、もう一人の自分、自分の片割れ、自分の一部だと思ったのです。

 

 

 

 

多くさんの人をみていると、その人の分だけ、私の知らない世界が存在す

るということを教えてもらえます。自分のいろいろな面を知ることができ

ます。みんな自分なので較べることはできないことを教えてもらえます。

自分はなんて限りない可能性と多面性をもっているのかと驚かされます。

この「自分」はそれまでの自分の意識とは違うもののようです。不安定で

少し理屈っぽいことを考えていると、どこかへ粢を消します。

 

でも、私の中に今住んでいて「個としての自分の意識と重なり合っ

て区別がつかなくなっています。どんな人も自分の一面のあらわれなんで

すね。

 

人を見ると自分の失くした部分に出会ったような懐かしさと喜びと親しみ

を覚えます。多面鏡をみている気分です。こういう形で自分の部分を教え

てくれる創造に感謝します。本当に外に存在するものは自分の中に存在し

ているんだと実感しました。

 

 

 

 

でも、私のこの意識はまだようやく芽生えたばかり・・・その拡がりの範

囲はせまく、草木や土や、宇宙人には及んでないので、それらも自分の一

部という実感はしてません。宇宙の方々も同じ人間だと頭ではわかってい

ても会ったことがないので想像するしかないのです。なんだかまだまだ宇

宙人には生まれ変われないことを実感します。

 

でも私はクリエさんが大好きなので、会ってお話できたら楽しいだろうな

と思います。それが私の夢です。

 

いつかそれが叶いますように、自分の霊的認識を深めて造に近づくよう

に今は努力するだけですね。

 

想念観察を始めてから、常にいろんなものから学ばせて頂いているという

ことと、それと同時に感謝の気持ちを教えていただいてます。

 

自分にとって良いことも悪いことも、全て何かを教えてくれているのです

ね。悪いものは、そう見えるだけ、あるいは表れ方がたまたまそうだった

だけで、とっても大きな意味(大きいも小さいもないんですけど)がある

のですね・・・とは言っても、やはり時々「納得できない・・・とプ

ンプン怒ったり落ち込んだりしてしまいます。

 

 

 

 

物事の本質をすぐに見抜ける目を養う必要性を感じます。

 

そうそう「浮気について認識暝想をしてみました。いつも不思議に思っ

ていたんです。

 

宇宙の方々も浮気をするのか、その時は嫉妬しないのか・・・とか。

 

それで最初しばらく書いていたら『相手の人を知ることで自分に足りない

ところを知ると出て、又書き続けていたら、最後には浮気は存在しな

い』と出て、そこで気持ちがすっきりしました。

 

存在しないということはつまり、そういう捉え方をするのが間違っている

ということでしうか。

 

先程書いた人混みの中で他人は自分だと感じたとき、この認識瞑想のこと

を思いだしました。すると新しい自分の意識にその時はなっていて、その

自分は“相手に愛という感情を与えた(芽生えさせた)という意味でよい

ことなのだ”と勝手に納得して満ちたりた気分になったのですが、頭の隅

で、“それで離婚になったらどうするのよ”とか“ドロ沼状態で別れる結

果の方が多いのよ”と抗議する自分もいて、結局よくわかりませんでした。

 

 

 

 

認識瞑想で浮気は存在しないと出たのだから、自分の言葉でそれを言

えるくらい自分の心が成長したら、そのとき解決するんでしようけど・・・

それではまたお手紙書きます。 114日 むらさき、

 

拝啓

 

先日機関紙No 28が届きまして、それからずっとレペルの詩の意味を考

えておりました。それで・・・今の私の理解では結局、固定観念を捨てろ

と言っているのではないかというところにたどりつきました。

 

何かを感じるには、感じる素となる観念があると思います。そして何かを

感じると同時に対象を判断し、その観念の枠に閉じこめます。そしてそれ

に従って行動が生まれるのです。私はそう思います。

 

何かを考え何かを行動するには自分の中にそれを生み出す何らかの観念

がある・・・感情もその観念によって生まれるのでしう。

 

 

 

 

対象をありのままに捉えなさい。判断するな!その判断に依存するな!

と言っているのかなーーと、今の私が思考できるのはここ迄です。

 

あらゆる出来事の現われ消えていく様を、ただその通りにみることができ

るように・・・と。これが最近の私のテーマです。

 

この間そういう状態になれた時があって、それ以来、その時の状態を求め

ています。・・・これも捉われですね。

 

こうして私は今、手紙を書いていますが、実は手紙を書くという行為につ

いてさっきまで、どういう意味があるのか考え込んでいたんです。

 

私が自分の考えを編集部に届けることで、何か役に立つことがあるのかな、

 

 

 

 

文章として届けられた私の想いは、それを読んだ人の心に入り、その後ど

うなるんだろうか? ・・・又、書くという行為の結果として、どんなもの

が生まれ、私は受け取るのか・・・

 

ひとしきり、その事について意識を集中したあと、フッと意識をそらし

ら、心の中に次々と言葉が流れ込んできました。

 

私は編集部というもう一人の私を通し私自身に私の考えをしゃべっ

(書いて)いるのです。その後こう続きました。

 

“あなたの与えた情報は、それを受け取った個々人の心の中で、その

人の受け取り方によって様々に変化し、その人に新たな認識を導く

きっかけとなります。貴方の与えた情報は、ただ一つの意味しか持

たない訳ではないのです。それは千変万化し、他の情報と結びつき、

新たな認識を導きます。だから貴方も、貴方の得た認識を一つの意

味とだけ捉えず、そこから新たな認識を得るよう努力なさい”

 

・・・・こんな内容のことを言っていました。

 

 

 

 

その後も次々と何やら流れ込んできたのですが“私は貴方に情報を与えま

す。私の言うことをよく聞きなさい”というところまで聞き取れた後、な

んだかあとは早口っぽくなって追いついていけませんでした。

 

その時の気分は頭の回転が早くなってて、ウキウキ、ソワソワ、なんだか

妙に嬉しいような・・・そう、ちょうどすごく嬉しいことがあってヤッタ

ーッと飛び眺ねて廻りたいくらいの舞い上がった気持ち・・或いはすごく

お面白いことがあってアハハハ・・・と笑わずにはいられないようなハイ

な気持ちでした。心の中の言菜の主が何であろうと構いません。感謝して、

その言葉を生かして自分を向上させるだけです。

 

それと健康水ありがとうございます。まだ作っていませんがレモン水は作

りました。お義母さんと二人で楽しく作りました。

 

 

 

 

私は化学が大好きなのでPHを見たりするのはとてもおもしろかったです。

 

健康水のA液、B液の成分についても、とても興味があります。

 

私は少し前に化粧品の成分についてほんの少しですが勉強しました。その

結果、普通の化粧品は使うのが恐くなりました。でも何もしなくても荒れ

ちやうし、何か安して使えるのはないかなあと思っていたのです。だか

ら健康水に出会えてよかったです。でも・・・自分で確かめ納得できるま

ではそのまま新呑みに出来ない。この成分に興味があります。

 

「何で肌にいいんだろう? どんな成分が、どんな作用を起こし、どうい

う結果をもたらすんだろう?と考えると、とまらないのです。

 

 

 

 

科学っておもしろいです。専門的な知識はないけれど新聞のかがく棚で超

新星のこととか、がん細胞のこととか読むのはおもしろいです。科学も真

理を追及する別の道の一つであると思います。的認識の世界と科学的認

識の世界が早く一つに溶け合えば、立体的な認識が生まれるような気がし

ます。楽しみです。早くその日がこないかな

 

この私の書いた内容がひとつ残らず役に立ちますように・・・!

 

あ、肝心なこと忘れていました。自分は一体どのように行動すればよいの

だろう。これについて考えなくては・・・でも、これはきっと常に考え続

ける必要のあるものだと思います。答えは、その時々に知るのかも知れま

せん。今はわかりません。考えます。

 

ではまた、お元気で頑張って下さい。1212日 むらさき

 

 

 

 

拝啓、

 

いつもお世話になっております。皆様お風邪など召していませんか?

 

もうじき新年を迎えますね。私の手紙もこれが今年最後になると思います。

私は今、頭がバンク寸前です。レベルの詩どのように行動すべき

ということについて、もう今年中には答えが出そうにありません。

実は前回の手紙を出した後、他のことに気をとられていて忘れちゃってた

のですが、フトしたことから思い出すハメになりました。

 

きっと“いつまで忘れてるつもりだ。いい加滅に思い出して考えろ”と言

うことだろうと思いました。

 

きっかけは髙2、髙3時代のつらい時期を回想して、再びその経験の意味

を確認し直していたことに始まります。よりハッキリと、自分の何が原因

で、+、一のバランスがくずれたか分かりました・・・で、それからいろ

いろ考えております内に、あるところで完全に行きづまってしまいました。

分かったことは、私には物事について何ひとつ判断できないという事です。

結論を出した瞬間に私は偏るのです。真実の一部を語り、偽りの全てを語

ることになります。

 

 

 

 

何か判断した瞬間、私は中心からズレます。

 

「じゃあ、私はどうすりゃいいの?」と思った時、レベルの詩を思い出し

ました。エリーナさんの善と悪についての言葉も思い出しました。

 

私がどうすりやいいの?と思っていることはどう行動すべきか

つながります。

 

・・・わかりません・・・ただレベルの詩の解釈につけ加えさせて頂くな

ら、固定観念を抬てろだけじゃなくて、逆的なようだけど「ありと

あらゆる観念をもって物事をみよと言えるような気もします。

 

固定観念というのは最終的にはない方がいいのでしようけど、全く不必要

ではないと思います。大切な働きをもってると思います。それがないと多

面的な見方も理解できないような気もします。到達できない気がします。

 

 

 

 

・・・こうして書き綴っ言菜達は、意味が有るようで無いもの、意味が

無いようで有るものですね・・・

 

でも、意味が有るか無いかなんて考える必要はないし、結論も出したくあ

りません。

 

・・・これ以上偽りを語るよりは、いっそ黙っていた方がいいですわね。

何か語ったその瞬間から、その言葉達は真実から離れたものとなって

れを語っている私自身も真実から離れていくことでしう。

 

頭が飽和状態です。とってもブルーな気分です。

 

 

 

 

どう行動すべきかなんてこれ以上考えられません。きっと答えを出す

ごとに真理から離れていくのです。

 

この手紙を書いているこの行為そのものも、真理から離れていますね。だ

からもう止めます。書く気が無くなりました。また来年もよろしくお願い

します。

 

PS

非常に混乱していて乱文乱筆ですみません。・・・でも何を基準に混乱し

ているというのでしう? また私は真理から離れましたわ・・・きりが

ないですね!

 

 

PS2

この手紙を出すかどうかわかりません・・・独り言のようなものですから。

--------------- とっても気分はブルー1224日 むらさき

 

 

 

 

拝啓

昨夜の続きか、今日は今朝から何にもやる気が起きなくてボーッとしてお

ります。魂が抜けたような状態です。それでも子供はいつもと変わらず元

気に家中を荒らしまわる訳で、先ほども思わず叩いてしまいました。

 

最近、子供に手を挙げる回数が増えています。とっても短気になってるん

です。手を挙げたあと必ず「ああ、この子はわざとやったワケじやないの

に。結果として、こうなっただけなのに・・・と思い、落ち込みます。

 

ストレスが溜ってるのか・・・他にこれといって不満はないし、それ程自

分ではストレスを感じていないので分かりません。

 

以前、新聞に“育児書は一様に理想的な母親像を求める。それを読んだ

親は現実と理想のギャップの中で葛藤する。一冊でも「怒ったり、子供を

叩いてしまいたくなるのは当たり前と書く育児書はないものか”という

ような内容の投書が載っていました。

 

 

 

 

私も理想に惑わされているのかも知れません。私は児童福祉科の短大で2

年間、一般の育児書以上のことを学びました。

 

してすぐ結婚して子供を産んだので、短大で学んだこと、実習で教わ

ったこと(いずれも一番良いとされている保育、育児方法)に強く影響さ

れているのかも知れません。

 

二十歳で子育てが始まり、年長の方々が親切心でいろいろと育児法を伝授

して下さりましたし、保健婦さんにもこうしろ、ああしろ、と家庭訪問の

時に言われましたが、どれもあんまり役に立ちませんでした。

 

それからは義母の言うことも聞きながら、助けを得ながら「子育ては自分

で考えて育児書には頼らないワとやってきたつもりですが、やっぱりよ

く分かりません。

 

 

 

 

義母にはいろいろと助けていただいていますが、母親と祖母とは子供に対

しての気持ちの持ち方も接し方も当然違ってくるので、お互いの立場から

しか意見を言えません。義母はかて母親であったけれど、今は祖母とし

てからの物の見方の方が強いのです。

 

子育てで悩むのはどこの母親でも一緖なんでしうね。

 

・・・この悩みは、創造からのプレゼントですよね。

 

確かに私は子供の態度やふるまいをみて「自分の創造という親に対する態

度もこれと同じではないのか?と気付かされたこともあります。

 

でも、すぐに忘れちゃうんですね。

 

お互いに創造の働きのお手伝いをして、お互いに働きかけてるとは思うん

ですが、常にそう思うのは難しいです。

 

 

 

 

何だか暗いお手紙ですね?・・・きっとすぐに元気になります。

 

今日はクリスマスなので、義母と義姉と主人と子供と私と全員でパーティ

をやるんです。もちろん家で料理持ち寄りで。

 

ではまた。元気で頑張って下さい。 1225日 むらさき、

 

 

 

 

拝啓、

 

雪が降るほど寒い日も訪れるようになりました。想念観察のおかげで寒さ

の為、朝フトンからなかなかでられない・・・という事がなくなりました。

 

最近思うのですが「寒いといっては上着をはおり、胃が痛いといっ

てはうずくまり、「なんだか頭が痛いと言ってはボーッとしてる私って、

一体誰?・・・何だか朝から晩まで身体に使われて動かされているようで

す。「アンタは誰?」と言いたくなります。

 

身体があるから創造の活動のお手伝いができると思うので、たしかに身体

は大事だけど使われる覚えはありません。想念観察、想念観察・・・

 

ところで何だか書くのが恥ずかしいのですが、読んで下さい。

私、創造に対してものすごい勘違いをしてたのです・・・

 

 

 

 

私、今まで【どこかに】創造という存在、あるいは意識があると思ってい

ました。でも周りに存在するもの、宇宙そのもの、生物そのもの、全部、

全部、創造であったわけで、【どこかに】あるものじゃなかったんですね。

頭では分かっていたのに、全然分かっていませんでした。

 

夜、子供を寝かしつけている時、突然分かったんです。

(私はいも台所を片付けてる時とか、買い物の帰りとか、何でも

ない時に突然わかることが多いです)

 

周りのもの全てが急に偉大に見え始めました。

 

 

 

 

私は創造の中にいる・・・私の中に創造がいる・・・!それがはっきり

と分かりました。そして全てを存在させている創造・・・自らの中に自ら

を生みだす創造はすごい!と思いました。

 

私逹の何でもない動作、思考、それ自体創造であり、芸術であり・・・

びなのでは?と思います。そして私はあることを思い出しました。

 

この間、テレビでクイズ番組を見ていたのです。周りを私の子供が歩きま

わっていました。そして番組のリポーターがでは、ここで問題です

言った直後チャンネルが別の番組に変わってしまいました。それは絶妙な

 

タイミングでしたので、私は全く気付かずに、そのままテレビを見ていま

した。

 

 

 

 

テレビでは「海苔はガンを防ぐと言うことについての説明が始まり、私

これがクイズの問題?なんか変だな・・・」

 

と思いながらも、ためになる話しなので、そのまま聞き入っていましたが、明を全部聞き終わってから(五、六分位)番組が違っていることに気付きました。

 

びっくりしてあわててチャンネルをクイズ番組に戻しました。

 

おそらく周りを歩きまわっていた子供が、私の側に置いてあったリモコンを踏んだ拍子に番組が変わったのでしう。

 

これも、これは創造のプレゼントであることがはっきりわかりましたので「創

造よ、ありがとうと感謝いたしました・・・が、実はこの時の感謝の仕

方はちょっと間違っていたのです。私はどこかに創造がいてその創造の

意志が子供を使って私の役に立つ情報をくれた・・・と思っていたのです。

 

 

 

 

違いました!まず、私の中の創造が働き、自らを動かし(周りのもの、

この場合私の子供とリモコンと電波とテレビと・・・書き切れませんね)

自らを(海苔とその作用)見せてくれたのです。

 

私はつまり、周りのものと自分自身に感謝するべきで、それが創造への感

謝となるのでしょう。

 

ここで面白いのは子供です。おそらく子供はただ自分が歩きたいから歩い

ていただけで、そこに創造の意志など何も感じていなかったでしょう。

 

それは私自身にも言えることで、この不思議さは今の私にはわかりません。

 

それにしても・・・私はこんな当たり前のことに今まで気付かずにいたの

です。創造を一体どこに求めていたのでしう? !

 

創造の法則をどこに求めていたのでしょう? !

 

 

 

 

机もコップも雲も木も、それそのもので、創造を、創造の法則を顕してい

るではないか・・・本当におバカでした。

 

これまで創造への道を歩んでいると思っていたのが、実はその門すらくぐ

っていなかったことに気付かされました。

 

FUJ I日本に学ばさせていただいていたのに、今まで何を見ていたんで

しょうね?・・・恥ずかしいです。

 

私の創造への本当の旅はこれからです。

 

では、お身体に気を付けてお過ごし下さい。

 

* * F U J I 日本に学ばさせていただいていたのに、今まで何を見てい

たんでしうね?

 

・・・・全ては創造の中・・・ 創造でない世界はどこにも無いので

は?  編集部

水瓶座讃歌29 パート3

 

識列車!?が、私の中を通り抜ける

 

札幌 Y田美樹

 

2 8号の機関誌と最近買った或る本を読んで、長い間私の頭を混乱させて

いた隣組回覧板の中身について、僅かですが分かった! ?事がありました。

実は中国から戻って以来、職探しもせず、ふらふらとしていたのですが

 

11月からずっと、時間が有るんだから少しは真理について考えなければ、

と言う衝動に駆られて、ずっと機関誌を最初から読み直してみたり、マイ

ヤー書を読み返していたりしました。もう一日中その事ばかり考えていて、

自分でも不思議なくらいです。これはヒョッとしたら、ハテナ効果かも知

れませんね。

 

ことの起こりは瞑想中に唱えている言葉無限からでした。

 

この言葉を言い続けている時に、フト「私は無限という言葉を使っている

けれど、ハテ、無限とは実際どういう意味なのだろう?という疑問が浮

かんできました。それ以来、上記のような衝動がムク厶クと湧き出してき

て、止めようがなくなっていました。そうこうしている内に、12月に不

思議なことを体験しましたので、まずそれから報告します。

 

 

 

 

ありがとう瞑想”・・これは実に簡単でそして効果のあるものだと思い

ます。特に私のような物事を否定的に捉える性格の人や、自分に自信の持

てない人には、かなりインパクトがあるのではないかと思います。そうい

う人には絶対! ? ・・・お勧めです。

 

私はただ単にありがとうと心の中で言っているだけで、ごく小さな体

の痛みを消してしまうことが出来るようになりました。これはハテナ

があっても無くても出来ます。

 

12月の或る外出した日、毎年冬になると左足の中指のつけ根が痛んで辛

いのですが、歩きながらありがとうと言い続けていると5分もしない

うちに痛みがスッと無くなっていきました。家の中でじっとして集中して

いる訳ではないし、歩きながら痛みが無くなるというのは驚きました。

そして家に帰るためにバス停まで2 0分位の間と、バスを待っている10

分位の間、ずっと心の中で「ありがとう御座いますと言いづけていま

した。この時は別に何かを期待していた訳ではなく、ただ何んとなく言い

続けていたくなったから言っていただけなんですけど、歩いている間は、

何んとなく楽しいなという気分が心の中に浮かんでいるだけでした。

 

 

 

 

ところがバス停でもしっこく言い続けていると、急に目からウロコが落

ちるというか、目の角膜に張り付いていたうすぼんやりしていたフイルタ

一がスッとはがれていくような感覚が現われ、その瞬間から風景がクリア

一になったというか、見ている風景は全く変わらなく見えるのだけれども、

何かがちょっと違う。別に周りの風景が光輝いて見えた訳じゃあないです

し、そこに在る物質の本質が見えたなんて言うものじゃあないのですけど・・・ただ見ている者の意職が変化するというのは、同じ景色でも

劇的に違うというような感覚は分かりました。(うまく表現出来ない)

 

 

その後は意識が拡大していく感覚が在って、これは一種の瞑想状態だなと

思いました。(目を開けている時に、しかも周りに多くさんの人がいるの

に、こう言う風な意識になったのは生まれて初めてです)同時に歓喜の感

情の本流がドッと流れてきて、その場で涙が出そうになるのを必死でこら

えていました。

 

 

そして本当に実際に大声を出して“ありがとうございます”

と叫び出したくなりました。この喜びを、この現実の世界の中に響かせた

いと言うような・・・けれど歓喜に満たされている意識とは別の意識が

様々な疑問を投げてきました。これは妄想ではないと思うけれど、この

ままの感情に翻弄されていても良いのか? 極端なプラス思考だけに囚わ

れているのは良くないのではないか? この状態のままでいた場合、自分

が何か間違った事をした場合、それを間違いだと認められなくなってしま

うのではないか?・・・つまり、どっぷりとこのプラスの感情だけに依存

してしまい、(この感情はとても地良いので)盲目になってしまうので

はないか? ・・・等など。

 

そう考えている間も喜びの感情は持続していました。これらの疑問はまだ

未解決のものとして残りましたが、私は生まれて初めて何ものをも要求し

ない無償の喜び? !を経験し、そしてそれは私にとって180度、天と地

がひっくり返ってしまった体験でした。そしてこの感情の認識は私にとっ

て必要なものであったと思います。

 

 

 

 

以上、個人的な体験ですが、「ありがとう瞑想」の効果は、私の中に実証?

されました。勿論一人一人同じ体験をするとは言えませんが、特に性格的

に自分を追い込んでいく人などには恰好の薬になると思います。

 

そういう場合、一人で家に閉じこもってするよりも、一度外へ出て、多く

さんの人がいる所でやってみると、劇的な変化があるのではないかと思い

ます。ヒョッとしたら、この瞑想法で精神病なども直るのではないかと思

うのですが・・・

 

この体験の前に中国画専門の美術館へ立ち寄ったのですが、そこで思いが

けない話を聞きました。そこを管理しているご年配の男性が美術について

の話をして下さいました。絵というものは、ただ、現実を忠実に描いて

いるだけでは何の価値も無いと私は思っています。家は自然と向き合い、

その形の中の“中に在るもの”をじっと観て“見抜いて”、それを自分の

絵の中に表現出来なければ、どんなに素晴らしい絵を描いても、それは何

の価値も無いと私は思っています。と言うような内容の話をしてくれま

した。

 

 

 

 

振り返れば私自身、如何に物の形だけに囚われ、その本質を見ていないか・・・そして見抜く力さえ持っていないということを、改めて私に教えてくれました。まだ様々な葛藤はあるけれど、何んとなく目標のようなものが見えてきた気がします。

 

機関誌2 8 号のレベルの詩は、上体験をしてから後に読みました。

 

P 50 12 行目からの記述「貴方が現象を通して〜〜~から以下の文を、私の体験に置き換えて考えてみました。

 

私は痛みをコントロールすることを発見し、それは今までの私から見れば、

正に「奇跡と言ってよいかも知れません。私はその発見を単純に喜び、

自分が少しは進歩したのかと錯覚し、それに滴足していた。

 

 

 

 

この喜びに狂喜している私の思考を“レベルの詩”で解釈するとすれば、

レベルの詩”の言葉は無慈悲で酷い厶チのようだ。

 

自分で発見した小さな喜びを台なしにされ悲しくなる。

 

特に2 0行目の言葉は、私を崖から突き落すようなものだ。私はこの小さ

な発見を喜ぶことによって罪人にならなければいけないのか?!・・・

は喜んではいけないなんて! ?

 

しかし、この“レベルの”の文章をよ一く読んでいると、そこに罪にな

る場合の限定条件が書かれている罪になるのは、自分が発見、又は学ん

だものに満足してしまう事だと言っている

 

私の今までの価値観では、満足とは当然あって良いもの、つまり、そ

れは喜びを生み出し、精神的活力になると思っていた。いわば心に対する

ご褒美みたいな・・・が、 無い頭を搾って別の観点からこの言葉を見てみると、別の意識が得られた。

 

 

 

 

満足する」という状態は、自分の生み出したものを完成させ、それに囚

われているという心の作用なのではないのかと。

 

例えば、画家が自分の描いた絵に非常に満足し、眺め入っていては、彼は

それ以上新たな絵を描くことをしないし、その必要もなくなってしまう。

つまりそれは、常に進化するという創造の法則を無視し、違反しているの

と同じ事である。

 

では一体、私はどのように行動すれば良いのか?・・・囚われることを止

めれば良い。既に生み出されたものはウンコでしかない(あ—汚い言葉)

と割り切って、次々と新しい奇跡の扉をノックし、開いていけば良いので

はないか?・・・その扉は決して尽きることは無く、無限に在るのだから、

という考えが出ました。

 

隣組回覧板の第1回目を、もう長い間、しっっこく抱えこんでいました。そして私の頭の中には、禅問答の石が現われては消え、消えては現われ。それが妙にひっかかっていましたが、或る日、「チベット死者の書や機関誌を読んいましたら、アラ不思議、別々の物事が芋づる式につながってしまいました。

 

まず、«無限»という言葉を使いながら瞑想していると、或る日から「善悪という言が気になってきました。勿論私には無限という言葉の真の意味は分かっていませんでした。

 

 

そこで無限であるとは何だと、事ある毎に無限という言菜を思い出していました。

 

物事を「善と悪だけに判断しようとすることは、たちまちに無限ではな

く、心の中に「有限な世界を作ってしまうことに気付きました。善悪と

いう価値観は限定した世界であると思えてくるのです。

 

 

 

 

例えば、殺人や戦争を善悪で判断しようとすればどうなるか? !

 

この世に善も悪もないならば、なんぼ人を殺してもいいじやないか!

ワッハハハハと開き直る人もいるかも知れない。けれど誰か憎い奴を

殺しても、この世から消滅させようと思っても、創造の法則で創造以外に

完全に消滅などさせられない。殺された憎い奴は又この世に戻ってきて、

彼の目の前に現われるだけだ。

 

人を殺すという極端な行為は、結局何の意味も持っていない。ただそれは

殺された方の人間は一回生きる人生の時間が短くなったというだけ。

 

殺した方の人間は彼の単純な思考を改めないかぎり、長い間、進化が遅れ

るというだけに過ぎない。それでも焦ることは無いのかも知れない。創造

は彼に無限の時間を用意していてくれるのだから・・・と言うことは、創

造は例え殺人者であっても、分け隔て無く進化の時間を与えてくれている。

 

それが創造の平等の愛なのかも知れない。

 

 

 

 

 

結局この世の中にあるものは創造の法則であり、善と悪で物事を決定し、

そので自らを縛り付けて限定された世界で生きているのは、自分自身で

しかないという認識になってくると思うのですが。

 

そしてこの問題は、自分が善悪を含めて全ての物事を判断するということ

が、どういう意味を持っているのかを証明している気がします。

 

これは「チベット死者の書載っていた話です。

 

或るアメリカ人がLSDという麻薬の力を借りて、自分の内面世界を体験

してみるという試みの中で限界を感じ、インドの修業者と出会いました。

その修業者にアメリカ人はLSDを大量に飲ませたのです。しかしその量

は普通の人間なら狂気に陥る事が確実な程の量です。ところがその修

は薬を飲んだ後も平気な顔で、ごく普通の状態だったそうです。

 

これを読んだ時に最初に頭に浮かんだのは「暗示力」です。私はこの修業

者は「暗示力を使ったのではないかと思ったのです。は意識的に「暗

示力によって、薬の効果を無効にしたのかどうか分からないけれど、そ

の時、その薬が自分に害をおよぼす毒であるという「疑念微塵も無か

ったのでは、と思うのです。は毒というものを単に危険な物という認識

だけではなく、別の価値からも見ていて、危険なものであるという固定観

念を取り払っていた。だからそれが暗示力と成って作用したのではないか

と。

 

 

 

 

このことは同時に、自分が持っている固定概念、価値観が如何に不安定な

ものであるかをも証明しているような気がします。

 

人にとって毒を飲むことはすぐ死につながる。けれど毒を飲んでも何でも

ない人もいる。自分が当たり前と思っていた物事が、見方を変えただけで

真実でも何でも無くなってしまう。

 

私は薬は良いもので毒は悪いものだと思っていた。けれどそんな価値観な

ど上記の話を考えてみればたちまちあやふやになってくる。

 

つまり、常識は事実の一部ではあるけれど、全ての真実を現わしているも

のではない。

 

私の心の中に「私には思い出すだけで心が痛と恐怖にうめく人物がいま

す。披は私にひどい言菜を浴びせのです。私はその人間を理解出来ない

し、はっきり言って嫌いです。その人間が自分と同じものであるという事

を思う事さえ嫌ですJ けれどこれは私が心の苦痛に対して持っている固

定概念の現われでしかないのだということが理解できました。つまり、私

の心の苦痛や痛みは、嫌なもの或いは悪であるという価値観に囚われてい

て、どうしてもそれから逃れたいとばかり望んでいたのです。ところが

死者の書」の中にこう言う記述があったのです。

 

 

 

 

嫌気がさしている痛でさえ、生きている自分を確認できる貴重な体験

のだと。

 

苦痛は悪ではない。それは認識に至る一つの鍵なのかも知れない・・・

に苦痛を与えていてくれる人間や物事は、私を学ばせてくれる貴重な存在

なのだと。

 

痛というものが無ければ悩むこともせず、考えることもしなくなる。

そうすると自分の心を覗き込む事もしなくなり、物事を認識するというこ

とも不可能になる。私に昔痛を与えてくれている人や物事は、自分を認識

するための貴重な存在・・・それは感謝こそすれ憎むには当たらない。

 

実在しているということは、ここに物質があるという状態だけを表わして

いるのではない、という言葉も本にありました。

 

実在というものは、実在を認識する意識が無ければ、実在というものは存

在出来なくなる。問題はそこに何かが在るというのではなく、それを感じ

ている、又は認職している意識が大切なのだということ・・・意識、つま

り自分の心、内面的世界。

 

 

 

 

無知を知るということ、真の理解するということがどう言うことなのか、

少しづつ分かってき気がする。

 

機関誌の表紙の裏に“真の理解には対立も批判も存在しない”と書かれて

あるが、私にはどう言うことか理解出来なかった。分からずに「いや、こ

れはこうじゃあないの、それは間違いだよ!と口を出したくてたまらな

くなっていた。けれど今、その意味が分かる。

 

自分が見ているもの、感じている事、考えている事、それらの色や形なん

て、ごく一部の色であり形でしか過ぎなかったのだ。

 

自分の価値観に依存し、狭い視野の中で見た事だけを知識として判断して

自分がそこに居た。

 

私の中に在る貴重な認識は自分が如何に貧困なイメージで物事をと

らえているかということが分かったという認識です。そしてこの世界を

知りつくすには、限り無いイマジネーションの力を利用すると役に立つと

思います。

 

 

 

 

例えば、石の重さについて

 

石の重さ・・・と言われて、私はすぐさま手の平に乗る位の石を連想し、

それに捕らわれてしまった。それでは答えは出なかった。

 

手の平に乗るそこらの道端の石だけが石ではない。

 

実際にこの世界に在る石を限り無くイメージしていくと、実に様々な石の

世界が在る。砂粒大の細かい石、渓流を成している大きな岩、そしてこの

地球も石で出来ている。ならば石の重さなど私に分かる訳が無い。

 

私はその問いを発した人間がどういう答えを求めたのかは分からない。

けれど、こうやってごく単純にイマジネーションを広げていくと、最初に

イメージした自分の価値観で生み出した石が、如何に固定観念で固められ

ていたものであるかが分かる。

 

石そのものに対する認識においても、ごく単純にイメージを広げていく。

私の体と石を分解していくと同じ原子というものが在り、私と石という原

子の塊は、大昔この地球から生み出された。そしてこの地球は一つの宇宙

から生み出された。石も私も皆同じところから同じ材料で生み出された。

そこには人と石を区別できるものは何も無い。

 

 

 

 

ごく限られた価値観で判断を下すのは、限られた

知識しか持っていない私の意識なのだ。

 

全てが同じ根源から出来上がっているという認識は、

 

鏡”の問題を解決し、“恋愛について”の問題も

解決してくれると思います。

 

何故、このような狭い価値判断で私は生きているのか?・・・それは物事

を深い考察無しにじるという行為から生まれる。

 

宗教の問題にしても、生活における価値基準にしても、生まれたときに大

人達が常職として行っていた言動を、そのまま次の世代も鵜呑みにして行

った。それを当たり前だと無意に信じていたし、それが先祖代々限定さ

れた世界を削りだしてしまったのだろう。しかし真実には、この現実は無

限世界で、イメージを広げるだけで、違った色彩形が見えてくる世界な

のだ。

 

 

 

 

私は[超能力]という、他人が持っていない豪華で、きらびやかな衣服が

欲しい。それが何故欲しいのか? その力は私が特別であることを表

わす。私はこの世で特別な存在で、その力があれば私は価値ある人間とし

て他人は皆敬うだろう!物を所有するのも、その価値の中には、常に自

分を他人より髙く見せたいという要求が潜んでいる。

 

それは狭い価値観によって、物事を劣で推し量り、物の本質的価値観に

おいて無知であると言うことを表わしているのではないだろうか?

 

では素っ裸の自分は価値が無いのか? いいえ、私の体は誰よりも美

しいと私は言う。だから私は価値ある存在なんだ。しかしここにも狭い限

定された価値観の中で生きている自分が居る。

 

私が美しいと思うその体の形は、いつか死と共に無くなってしまう。そう

すれば私はこの世で何の価値も無いものとして消えていく存在なのだろう

か?

 

私が大切そうに抱えているものは、いつか消えて無くなってしまうもの・・・それに何の意味があるのでしょう?

 

私はこれらの問題について、どんな答えが正解なのか、正直まだ分からな

い。けれどこれらは無限という言葉に注目して、次々につながりをも

って出てきた、私なりの答えです。

 

 

 

 

ーーこの問題はまだあいまいなのですが、浮かんできたことを記しま

す。それは原因と結果の法則の中で生まれるもの・・・例えば、所有欲があ

って、ある一つの物に出会うと言うような。

 

又糸と糸で結ばれている?人と人のつながり、結び付けるエネルギー。

 

イメージを広げると、この一つの地球に生まれた多くさんの人々、同じ時

代に生まれた多くさんの人々、例え出会わなくても、それも又縁なのでは

ないか?! ・・・そのように考えると、縁とは全てのものが一体であり、

つながっていることの証明?かもしれない。

 

縁とは、この宇宙に存在する全てにおいてのつながり。

 

 

 

 

縁とは、共鳴 良くも悪くも、意識しようが無意識であろうが、この

地球と宇宙にある全てがつながっていて、共嗚している。

 

私連は宇宙の共同体であることの証明? ! だからこそ、宇宙の人々

は地球を訪れ、自分逹の英知を分けあおうとしている!! 感謝です・・・

これも創造の愛というものの一部なのかもしれない。

 

回覧板は実践するしかない事もあるので省きますが、どうしても私の苦手

な分野があって、どうしても分からないというか、イメージを広げられな

いものがあります。それについてぼんの少しでいいですからヒントを機関

誌に載せて下さい!・・・Help me!!

 

美のエネルギーについての配述なのですが、人間がある物体を動かす場

からして分からない部分があります。

 

物質を動かす場合、基本的なエネルギーが必要なのは分かります。

 

エゴレベルのエネルギーというのは、簡単に言えば、人間が物体を動かし

たいという要、と考えてもいいのですか?

 

 

 

 

又、その両方のエネルギーの間に、なぜ物質エネルギーが介在するのか? ・・・そこのところが今いち分からないのです。

 

想念観察については、ほとんど剌激の少ない生活をしているので、心の中

が空っぽになっている時が多く、何も言えることがありません。

 

映画を見ているときに、悲しいシーンになると泣きたくなって、涙が出て

くるのですが、そう言うときに、自分のに注意を向け、感情に流されて

いる状態だというのを意します。そして呼吸を整えます。そうすると自

然と波立つ感情が和らいでくるのです。

 

これは感情をコントロールしていることになるのかな?・・・これではい

けないのでしょうかね?

 

 

 

 

もう一つ、テレビを集中的に見ている時に限って、気がついたら貧乏ゆす

りをしています。動きは波にゆられるようにゆらゆらとしています。

 

自分の内面に目を向けると、何んとなくですが、テレビの映像に反応して

いる感情の波を、体を動かすことによって発散している、又は表現してい

る感じです。今までそんなことはなかったのに不思議な気がします。

 

 

このはそろそろ止めたいな一。みっともないよ一。

 

長々と読んで下さって、どうもありがとう!ご苦労様でした。

 

ジギルとハイドより

 

 

 

** エゴレベルのエネルギーというのは、簡単に言えば、人間が物体を

動かしたいという要求、と考えていいと思います。その時、その

動かしたい物体は目に見えるものも見えないものも入ると思い

ます。つまり、人が人の気持ち(意識)を動かしたいと思うことも

含まれるということです。

 

又、その両方のエネルギーの間に、なぜ物質エネルギーが介在する

のか?との質問ですが、貴方が物質エネルギーと思っているものも、

そうでないと思っている(もしかしたら波動と考えているかも

しれないエネルギー)も、全ては同一のもので、この宇宙には『エ

ネルギーと波動しかありませんとは、アランさんの説明です。

 

そして、そのエネルギーの根源は?・・・ノーヒント

 

エネルギー問題はとても面白いことが沢山絡み合っていますので、

どうぞ楽しんで解いてみて下さい。 編集部

水瓶座讃歌29 パート2

[目次]

・私の古い観念の観察

・感謝瞑想を始めて

・昨日までの古い価値観を捨てる

・私の課題が畑に現象化

・ネコを通して教わった”感謝”

真に治癒させる力は本人、体操、治療家は本人の治癒意識を助けるキッカケに過ぎない

 

FUJI日本の皆様、

 

今を味わっておられるでしょうか。

 

私めは、何年かぶりで風邪なる状態を今、味わっております。

 

水瓶座讚歌で、目やにや鼻水等がよく出るというハテナちゃん体験を読み

つつ、私は毎日血でるけど鼻水でないな〜なんて、思ったからかどうか

はわかんないけど、十分鼻水体験をいたしております。(ハテナのせいに

するなってか)

 

現在、週2回の透析をしていますが、ベッドをおこしたり、お茶を飲む

にも看護士さんの忙しい時をさけて、気をわるくされないように頼んでい

ます。相手の気持ちばかり配慮して、自分を表現するのが悪いことだと思

っているのです。

 

今まで培ってきた古い観念をひっぱりだすのです。相が嫌な想いして、

又、嫌な人と思われるより、自分が我慢すればいいと、とにかく人にどう

見られかを気にしているんです。

 

 

 

 

的地に着くのに、の前に石ころがあって簡単にまたいでいけばすぐな

のに、やけに石ころが大きく見えて、石ころをさけて迂回ばかりして、遠

まわりしてなかなか目的地に着けないでいるんです。

 

この病院での体験にかぎらず、他人(家族も含めて)に対すると、いつも

そういう風なんですよね。自分を表現できない自分がいるんです。

 

いい子ちゃんになりたい自分がいて、いい子ちゃんじゃなきゃ愛されない

と定義づけしてしまっている自分なんです。

 

愛される存在という、いつも受け身の立場で考えていて、自分を愛するこ

とを忘れてしまっていたんです。社会通念で善とする行為の自分は愛して

いて、逆の悪とする行為の自分は愛せなかったんです。

 

もともと“善も悪も”分離されるものではないとクリエさんの“善と悪”

を読んで、あ一私ってやけに善と悪を分離させて、善に執着していのか

一とつくづく思いましたです。偽者の自分を愛していたのです。

 

 

 

 

本当の自分、あるがままでいいじない。それが自分を愛してるってこと

だわさ。自分を認めてあげなきゃ、自分が可哀想じゃない。もっと、もっ

と、もっと自分を愛してあげたくなりました。

 

今年は古い観念との闘いになりそうです。(古い観念には戻りやすくて、

表面的には良く見える)

 

新しい自分になるってことは、本来の自分になるってことなんですね。

 

京都府H

 

 

 

 

FUJI日本編集部様、

 

前号で教えていただいた感謝暝想を毎日実践しています。何に対しても

「ありがとうございますうことで、とても心持ちが明るくなれます。

 

私にとっては一番マイナス想念が出やすいのが家事をしている時(特に夕

飯のあとかたずけ)です。めんどうくさい、イヤだと思ってしまうのです

が、「ありがとうございますとくり返しながらしていると、なぜかとて

も楽しくなってきます。

 

家事の時は感謝暝想タイムと決めています。時々「〇〇でありがとうござ

いますと、理由をつけて言ってみます。「私の夫は頭が良くて健康です

ばらしい人物です。ありがとうございますとか私の子供たちは向上心

んでおり、健やかに育っています。ありがとうございますと、

ています。なぜか言いたい気分になってくるのです。

 

感謝して生きることを教えてもらうまでは、ひたすらマイナス想念にうず

もれて暮らしていた私なのです。

 

「なぜ、こんな人と結婚してしまったのだろうとか「なぜ、私の子供達

は成績が良くないのだろうとか「なぜ、私はこんな毎日を送っているの

だろうとか、そんな考えがいつも心の中にあったのです。

 

自分の状況は自分が選択してつくり上げたものだった、ということがなん

となくわかりはじめてきました。

 

 

 

 

 

感謝瞑想を始めてから、世の中がとても美しく見えます。見なれた近所の

風景も、遠くの方に見える山々にも、道に舞い落ちている木の葉にも、創

造の美を発見して、ハッとさせられることがあります。

 

バシャールが「平凡な人生など存在しない、平凡な人がいるだけだと、

言ってましたが、プラス思考で生活していると毎日が新しい発見と喜びの

連続なんですね。

 

とは言っても、時々、昔のように否定的で不平不満だらけの自分にもどっ

てしまうことがあります。以前姑に言われことなどを鮮明に思い出して、

改めてアタマにきたりすることもあるのです。

 

そんな時こそ、一人になれる場所を探してありがとうございますと、

ハッキリに出して言うようにしています。五〜六回言うと、そんな昔の

コトなどどうでも良くなってくるから不思議です。本当にどうもありがと

うございました。 群馬県 N

 

 

 

 

FUJI日本様、

 

いつも本を、お送りいただきまして有難うご座居ます。

 

思えば、書店で偶然めぐり逢った「新生宇宙人へのパスポートという本

FUJ I日本を知るキッカケとなり以来4力月、夢中で本を読みました。

 

時にはまさか!と疑いの心が生じる時もありました。愛の法則

は感情的な部分で抵抗もありました。でも、それ等は私が的に進化すれ

ば、きっと、素直にスッと認識する事が出来るでしょう。

 

瞑想の方は、あまりはかばかしい進歩はありませんが、私自身の考え方の

面では進歩がありました。

 

まず一番大きな点は、宗教依存型から、とってもスッキリぬけ出す事が出

来ました。しい時の神だのみも縁を切る事が出来ました。

 

昨日迄の価値観を捨て去ってしまいました。心が楽になりました。

この世は何てすばらしいんだろうと思える様になりました。

 

 

 

 

 

今迄、今まさに生きているこの世こそ地獄で、死んだら楽になるんだと思

っていました。でも今、こうして生かされている、この時自己完成をめざ

して頑張っていかなくては、一生懸命生きて行かなくては、そう思える様

になりました。

 

創造の中で万物は一体なんだとえず考える様にしています。そうすると

しい気持ちになります。空も、雲も、木々も、花々も、鳥も、この世の

中のあらゆる物が美しくて、すばらしい、そう思える様になりました。

 

マイヤーさんが体験した、白い光に包まれた至福の瞬間、創造との一体感、

とってもよく理解出来ました。まるで私自身が体験したかの様に感じられ

ました。

 

それから、何事によらず全ての事物には必ずプラスとマイナスの面があり、

そのどちらにもかたよってはいけないのだという事を、やっと認識出来ま

した。あまり清らかすぎてもいけないと思えました。調和、バランスが大

切なのですね。

 

 

 

 

とは言え、なかなか全てにバランスをとる事は、むずかしいですが、出来

る範囲から始めています。

 

最終目標は自己完成としても、当面の目標は、プラスとマイナス、平行と

言うか、中間的な考え方をする様に心がけています。でも、おかげ様で毎

日、生きて行くのが楽になりました。人間は自由なのですね。心から感謝

します。

 

ところで、私もハテナと逢いたいと願っているのですが目下失業中で、そ

の日暮らしの事、何とか来年になったら?と考えつつ、この欲しいと思う

感情も、ひとつの執着、所有欲かな?とも考えたりしております。

 

こんなところが近況報告です。乱筆乱文にて失礼效しました。

 

埼玉県M

 

 

 

 

前略、

 

お元気でしょうか?アランメッセージ送って頂いて有難うございました。

続きを読む為には何か書かなくてはならない様で、私の様に頭の中には話

したい事が山程あっても、それを文章にするのは大の手の者にとっては、

一つの修業のようにすらおぼえます。

 

今とても楽しくって夢中になっている事を書いてみたいと思います。

 

二年前“見沼たんぼ”とよばれている自然一杯の調整区域を散歩していた

時、信じられない程の幸運さで三十坪位いの畑をかしてもらえる事になっ

たのです。それ迄アッチコッチと声をかけていたのに、どこもダメだった

後だったので、スキ、クワを買い畑を掘り起こし種をまき、草取りすら心踊

る作業だったのです。

 

囲りの畑フレンドからも「K村さん、畑上手だねと云われ、きっと前

世では百姓だったに違いないと思われる位い熱心でした。又、ロケーショ

ンが素晴らしいのです。空を一人締め!という感じです。

 

 

 

 

この頃の私はまさしく想念観察(この言葉は知りませんでしたけど)を実

行していた時だったのですね。それから知った感謝の念をどうやって毎日

生活の中に織り込んでいくかという実に楽しい作業の日々だっと思いま

す。

 

畑を借りて一年位い経った時、私の精神の内でも変化が起きていました。

それは私の中にあるエゴの部分も大事にしたいという気持ちでした。

 

いつもしそうにほほえんで、“いいわよ”と云い続けるのではなく“御免

なさい出来ないわ”とか“イヤよ”とかを感情的にならずに如何に相

手に伝えられるかをトレーニングしないと、丸々一個で私になれないとい

うあせりでした。そしてまさしくトレニングにふさわしい人物が次々と

登場し、認めたくない影の私を日にさらす作業が始まりました。

 

面白いことに畑にも変化が起きていました。畑のすぐそばに大規模な作業

場が出来ボーリングでドスンドスンと大きな音の連続、ダンプカーが走り

回りあぶなくて近づけなくなりました。そしたらあっという間に雑草がは

びこり、前は楽しかった草取りが只々痛で何の喜びもなくなり、私の心

の中も畑も雑草だらけで感謝の気持ちもなくなり、常にイラっいて何か月

も過ぎていきました。私は自分の中にある影の部分をしっかり見極めない

と操縦不能になる気がして恐かったのです。

 

 

 

 

精神世界を勉強している友人は二人とも、表の顔と裏の顔がドンドン離れ

ていくのです。でもそれで世間が立派に通用しているので、それはそれで

いいのでしょうが、二人のそれを見せつけられている私迄同じように二面

性を育てる事はないと思ったのです。

 

私の心もドス黒く畑も荒れ放の頂点で、畑のとなりを流れている川が

大雨の後、大洪水です。全部流されゼロになりました。

 

それでもーカ月位い畑も心もまだ尾をひいていましたが、FUJ I日本の

 

本に出合い、やっとフッ切れたのです。

 

 

 

 

やっと私が主役に戻りました。もう影の私は日にさんざんさらされたので、

すっかり毒気が抜かれた状態になっています。

 

畑に飛んで行きました。実に面白いと思ったのは影の私の時、あれ程取り

にくかった雑草だったのに、畑一面これでもかと生えているにもかかわら

ず何と抜きやすかっ事!

 

どんどん取れるのです。みるみる畑がきれいになっていくのです。

畑フレンドも驚いてくれるので張合いのあること!

 

十一月中旬がリミットで今畑仕事をしないと来春何の収穫もありません。

手にマメを作りながら夢中でクワをふるっています。楽しくって楽しくっ

て、その時ハテナちゃんの役割がわかりました。畑も冬になったらもう何

も出来ないのです。じっと春が来るのを待つだけです。冬が来るのはもう

すぐです。時間がもうあまりないのです。

 

 

 

 

畑の場合だと小型の耕運機が今は販売されています。

 

心の耕運機がハテナちゃんではないのでしょうか。自分でも意地を張るの

をやめました。楽しい収穫を得る為に我家に是非来て頂き、手を貸して頂

きたいと思います。

 

私はブルーもとてもきれいで好きですが、私はピンクになりたくて生活し

ているものですから、どうもピンクに心がいってしまいますので、ピンク

をお願いします。

 

ハゲや抜毛に試してみたいので健康水も一緒に送って頂きたいと思います。

何も手をうたずに諦めるのはどうも好きでありません。

 

それでは皆様、お元気で! 埼玉県 K

 

 

 

こんちは!

 

さて、私のハテナ体験というか創造体、認識瞑想体験と言うのか全部ひ

っくるめた体験を書きます。

 

去年の8月ごろから感謝ということが判らなくなり、暝想中もとにかく、

ありがとう、ありがとうと繰り返して思っていました。ありがとうを言え

ば言うほど感謝は分からなくなり、

もっと深い感謝とはどうしたらいい・・・?

自分が情けないやら、3 5年間何に「ありがとうと言って思ってきたか、何の瞑想だったのか・・・・くるしい毎日でした。

 

 

 

 

想念にはもっともらしく感謝とは全託、一体などと、本などの知識が出て

くるけれど、それがわからないのでした。全託、一体、感謝の分離です。

それから10月になり、私の家のネコ(桃チャン)が姉の家のネコ(ナナ)

からネコエイズを伝染させられたのです。私は前からナナのエイズが桃に

移るのを心配していたのです。

 

ある日、瞑想しながら私のベッドに寝るナナとモモを見て、瞑想に集中せ

ずネコの心配をしていました。すると突然、自分の心配の力がエイズをモ

モに移したと言う思いと、そのことを気付かせる為にネコに病気が現象化

したんだ、とに湧き、涙がポロポロ出てきて『ありがとう、ありがとう』

・・・と言っていました。そしてごめんね、ごめんねに変わりました。

 

心から気付かせてくれたネコとエイズにありがとうが言え、自分のエネル

ギーがエイズという病気のマイナスエネルギーに変えた、その変わったエ

ネルギーにごめんなさいが心から言えました。(モモの病気はよくな

り、ナナは元気に太る。この夜より。)

 

 

 

 

しかし次の日から喉もと過ぎれば何とやら・・・で感謝がやっぱりわから

ないし、何かにカーッと腹が立つわ、しまいに干渉しすぎる母親の首を締

めたくなるわ・・・と感情が高ぶるのです私の中には万物すべてに感謝

したい気持ちがあり、その感謝をどう表現したらいいかが判らなかったの

です。そして11月に入り、新しい仕事につきました。

 

1 1 1 3 日の夜,機関誌N o 1 9 に認識瞑想のやりかたがのっていたの

を見て、夜瞑想のあと「感謝とは」と書き出しました。

 

27回目より、〇すべての現象、人間との一体感、

 

30回目より、 〇特別な感動と思うのは錯覚、分離、

 

33回目より、〇あるがままをうけとめること、

 

38回目より、 〇自己の中の真の統一、

 

42回目より、 〇すべてあるがままをうけとめ都合、条件のないもの、

 

47回目より、〇正直と湧いて出ました。

 

 

 

今とてもうれしいです。今までの感謝は特別視して、自分の都合、結果し

かなかったのです。(自分のこだわり)

 

この世はあるがまましかないのに別のものを付けてしんでいたのです。

 

それは今を観きることをも無視した自己満足の感謝だったんだ!!

すべての可能性を無視しつぶす感謝だったんだ!

 

統一、一体を多彩に、無限に、見せ、感じさせる創造に何も言うことがで

きなくなる。

 

今まで字が下手なので認識瞑想はイヤだったが、今度「道理、納得、自

」・・・などをします。みなさんありがとう!

 

 

 

 

追伸、エリーナメッセージ送ってぼしいのです。アランのメッセジを

み、そうそう分かる!と思いこんだことがエリーナメッセージでもっと深

みにはまる・・・そんな感じがしますので、もっと苦しみたいのそれが

おもしろくなってきた、ギャー

 

紙がもったいないので私の家の動物の紹介をします。姉の家のネコも。

姉の家のネコ8ピキは、2ヒキが私が川に流されるのを拾い6ピキが

姉の12才になる娘ふみちゃんがってきました。

 

ふみちん日く、目、足が悪く誰もってくれないので自分がうそ

うです。ネコだけでなく、巣から落ちたハト、山バト、ネズミ、ヒヨドリ

など今まで色々な動物をふみがい、元気にし、自然にもどしました。

姉の家へ行くと鶏が家から出てきたり、子供の間に寝むって川の字になっ

ていたり、おもしろいことが一杯有ります。

 

 

 

 

動物、虫も、このごろ時代なのか感情が

ですね。可愛がると人間も同じで、

 

自由に元気におびえることなく仲間になれ、

そんな動物を見るとうれしいですね。

 

ペットと言う愛玩具として見ると、動物も

 

それを感じ、そうなろうとする感じがします。

私は動物にも自由でいてしいです。

 

人間の意識が大いに関係するのでしうが、私の家にはアヒル、チャボ、

シャモ、コイ、ネコ、イヌがいます。鳥もおかしいですよ、トボケていて。

 

感謝が分かったわけではないので、この手紙を出すのを迷っていましたが、

道の途中であったこととして出します。 山梨県 I

 

 

 

 

前略、

 

M助さん、23日晩、遅かったのにエネルギーを送って下さりありがと

うございました。前日( 2 ) こけて、足のつけ根が( ひざの裏も) 痛く

て仕方なかったのですが、4日の朝は本当に良くなり、足取りも軽く買い

物にも行けました。

 

こりも2日にディバッグに一杯詰めて(買い出し)に行った為、すごく

ってたんですが、何にも言わないのにわかったんですね!

 

遠隔治療の時間に、すぐに足元から、ブアーッ、ブアーツと風の様にエネ

ルギーが上がってきました。本当に気持ち良くって寝てました。

 

布団に入っても手足がポカポカしていてアンカとソックスを離せないのに、

ソックスも脱いで眠り、朝起きると全々、辛どくなく早くに眼も覚めて、

スッキり気持ちが良かったです。こんなん初めて! !ありがとうございま

した。又、近日中にも送って下さい。

 

 

 

 

引っ越した所は、新築でDKも居間も南側に面していて、建物の間隔も広

くて静かで、素晴らしい環境なんですが、これも的教義を少しかじった

から創造に与えてもらえたんだと毎日感謝をしています。(母共々創造に)

入居倍率60?倍か、もっとだったと思いますが、日中はヒーターを付け

なくても温室に入っている様で、母も幸せやわ一と言っています。

 

目の前の問題を一つづつ善悪の差別無しに感謝をして行きます。

 

疲れた時とかM助さんにエネルギーを送ってもらい充電させてもらって自

分なりに生きて行きます。ありがとうございます。 草々

 

大阪府 M

 

** M助さんは宇宙の方々から教えられて、エネルギーなどによるプル

プル体操?を行っています。松崎さんの場合、東京と大阪ですので

遠隔的なものとなります。しかし真に治癒させる力は本人で、体操

は単に本人の治癒意識を助けるキッカケを作るに過ぎない・・・

考えた方がよいと思います。真に治りたいと思わないかぎり治りま

せんので、その意味で素晴らしい勉強になっています。 編集部

水瓶座讃歌29 パート1

[目次]

・私の考察  愛媛県O

・私の気づき  愛媛県O

・夢の内容は何?  新潟県I

・葛藤と向き合って  石川県 O野伸子

・etc・・・

 

こんにちわ!

 

水瓶座讚歌を送って戴いて、初めて手紙を書きます。途中入会者なので、

FIGU本からFUJ I日本への移行の事情など機関誌のバックナンバ

一を送って戴き理解できました。FUJI日本の方々はFIGU本の頃

からいろいろ学び取り成長しているはずであり、成長した結果FUJ I

本として独自の道を歩むことになったわけで、「マイヤー氏の本から卒

業する時期が来たというだけなのでしょう。

 

ところで機関誌28号のクリエさんの「レベルの詩について考えてみま

した。ただし私の答えが間違っていた場合、どうかまだ正解は言わないで

下さい・・・きっと自分で答えを出して見せますから。

 

創造あるいは魂の声は心でしか聞くことが出来ません。

 

心と言っても表面的な意識や感情の部分ではなく、心の本

質の魂(存在、実在、創造)です。魂の声は魂を通してで

なければ聞くことは出来ないし、他の如何なる手段をもっ

てしても表現出来ないということです。勿論ここで言って

いる「聞くというのは、心の中で言葉やメロディー或い

は画像が現われるというのではなく、ただ魂に感じ取ると

いう意味です。

 

 

 

 

又この「感じ取る」というのも肉体的に感じる「感じとは全く別のもの

です。それを言葉や行為で表現しようとする努力は勿論なされるでしょう。

何故ならば私達はいわゆる肉体の五感や感情で感じる方法しか知らない訳

で、最大限の努力で魂の声をこれらの方法を通して我々の理解できる言葉

に翻訳しているのです。しかしそれは音を絵に書いたり、光や匂いを音符

で表現使用としているようなもので、音は耳でしか聞くことは出来ないし、

光は目でしか感じることが出来ません。匂いも味も触覚もそうです。

 

感情は愛から生まれたものかも知れませんが、愛そのものではありません。

 

造の声とは、愛の奏でる響きであり、これは魂でしか聞くことが出来ないのです。何故ならば魂こそは創造の一部であり、我々の本質だからです。

 

 

 

 

 

私達のすべきことは、創造の声を道標にして、創造に帰っていくこと・・・

再び創造と一つになることです。その事のみが重要なのであって、それ以

外でこの三次元世界で重要なことは何一つ無いということです。つまり、

その重要でないことに執着すると言うことは(例えそれが一見素晴らしい

ものに見えたとしても)全て反真理になり、我々の進化と調和・・・すなわ

ち創造と一体になるための道の障害物にしか過ぎなくなるという事です。

 

 

これが創造の法則に対する罪を犯す」という事になるのだと思います。

とは言っても、瞑想だけして死ぬまでじっとしていろと言う訳ではなく、

何をしてもいい訳ですが・・・言うのは、我々の行動や周りで見られる

現象は、本来意味の無い中立の事物だからです。それにいろんな意味を我

々が勝手に見出しているだけなのですが、それらの意味は大抵一面的な意

味合いであり、又努力してもせいぜい二三面的な見方しか出来ない訳で、

つまり、我々の思考を通しては、とても創造の無限性を理解する事は出来

ないのです。我々はただ自分の魂を通して感じることが出来るだけです。

でもこの「感じたものは「考えたものよりも遥かに深遠であり、全て

の理解を含むものであると思います。

 

 

 

 

行為や現象について勝手な解釈をせず、

 

ただ創造の愛を感じることが真理への道につながり、

それらを通して創造の声が感じられない場合、

 

それは反真理になるということです。

(でも実際は難しいですよね)

 

我々の周りには数多くの病気が見られますが、多くの病気が精神的なスト

レスや心の不調和から生じます。(体が壊れるのが分かっているのに、同

じことを繰り返してしまうというのも、広い意味では心に問題が在るのだ

と思います。)そしてある人は喘息に成り、ある人は胃潰瘍になり、ある

人は慢性的な頭痛持ちや不眠に成り、又ある人は下痢や便秘を繰返し、あ

る人は不整脈に悩みます。

 

 

そしてそれらの症状そうと者に行ってあれこれ薬をもらったり、自分でいろいろな本を読んで勉強したり、或いは知り合いが「これは体に良いよ薦めてくれるものをかたっぱしから試してみたりしますが、症状はさっぱり良くなりません。これらの人達は朝から晩まで一日中自分の病気のことを考えています。「精神的なものだから気にしない方が良いよと病院で言われると、今度は一生懸命気にしないように努力します。

 

 

 

例えば喘息の人を例に取ると「又ゼーゼーしてきたな。

でも気にしないぞ。気にするからいけないんだ。気にしない。気にしない。ゼーゼー・・・アア、喘息なんか無ければ良いのに・・・あっ、しまった、又気にしてしまった気にしない、気にしない・・・ああ駄目だ、やっぱりしいと言う風に。

 

けれどもこの「気にしない、気にしないが曲者で、こう考えている事自

体大変集中的に気にしていることになるのです。本当に気にしていない時

とは、何か他のことに熱中していて、病気のことやその原因に成っている

イヤな事も全く忘れてしまっているときのことです。

 

これと同じように、創造を知ろう知ろうとする考えや行動をしている内は

創造からかえって離れてしまっているという事になるのでしょう。

 

何故ならば初めに述べたように、「考え」や行動では創造とのコミニ

ケーションは取れないからです。勿論知識を蓄える言う意味でいろんな

事をしたり、研究するのは良いことだと思いますが、感じたい、創造と一

体になりたいと思った時は、ただ感じれば良いのです。

 

 

 

 

心の中で創造と一体になろうと思う気が強ければ、かえって創造を感じる

のは難しくなると思います。深い瞑想状態に入っているときは、意識は在

ってもただ感じているだけで、あれこれ余計な事を考えるのはいつの間に

か止めているのではないでしょうか。だからただ感情の流れを心の中で黙

って観察するという想念観察が重要なのでしょう。これは創造の声を聞く

ための魂の耳の訓練なのですね。我々の意識の焦点を肉体レベルから魂の

レベルに移行させ、安定させるトレーニングなのでしょう。(これも続け

るのがなかなか大変ですよね。)

 

以上が自分の経験や自分の読んだ書物から借りた知識での解釈ですが、ど

うでしうか?

 

私はこの地球の大変動の時にタイミング良く生まれてきた事に本当に感謝

したいと思います。私は自分が存在するということに対して奇跡を感じま

す。これ以上の奇跡は無いように思えます。そしてあらゆる存在は奇跡で

あり、そう考えていると存在イコール愛と思えてきます。全ての存在に愛

を送りたいと思います。 愛媛県O

 

 

 

 

 

前略

アランメッセージありがとう御座いました。書かれていることはそ

れ程難しいとは感じませんでした。今まで自分でもそうだと思っていた所

もあるし、又考えてもみなかったけれど、われてみれば全くその通りと

納得してしまう部分が殆どです。ただこのメッセージが教えてくれている

一番大事な所は、今まで自分では理解していたつもりだったけれど、実は

理解できていなかったのだと言うことを気付かせてくれている点です。

 

又このメッセージを読んで理解できたと錯覚しないようにする事も、大切

だと思います。つまり、日常生活の中、自分の身体と行動をもって、自分

自身が本当に理解できているということを自分に証明することが大事なの

だと思います。言行不一致しない様に心がけるべきでしょう。それが本当

の理解につながる道なのでしょう。

 

 

 

 

今回のメッセージの中で特に気にいっている部分は、「所有について

「奉について」「集中と熱中について」の三つです。私は自分では物質

欲は少ない方だと自負していたのですが、ある意味ではそれは正しいと思

うのですが、でも他の人と比べて大同小異でやはり今の仕事に就くのに

まず給料を確認し、新しく建てた家やそのローンのこと、その他生活を楽

しむ為の諸々の者や、その為に必要なお金などに執拗にに束縛されていま

す。いざとなれば今の生活を捨てても構わないと思っていたのですが、つ

まり、いざとならなければ捨てる気は無いという訳で、家族がいるからと

かいう理由付けで自分をごまかしていたことに最近気付いてきました。

 

家族が必要であれば状況が変わっても離れることは無いし、必要がなくな

れば自然に離れていくものでしょう。一見大変そうな生活をするようにな

った場合、家族に負担をかけてしまうと考えるのは、家族への愛というよ

りも、家族のことを全く信頼していないということになるのだと思います。

家族が必要なとき、家族のつながりがしっかりしていれば、何つ不安の

材料はないわけで、周囲の状況の変化は全く関係ないんですよね。

 

 

 

 

ただ無鉄砲に不必要な変化を求める訳にはゆきませんので、よく考えるこ

とは必要でしょう。私の今の生活は収入や将来のことは普通に考えると何

も不安は無いのですが、どうも自分自身にしっくりこないのです。でも具

体的にどうするかという答えはなかなか出てきません。けれども「奉仕に

ついて」を読んでいて、何か方向が見えてきたような感じがします。

 

自分では喜びを感じる事の出来る仕事を追い求めていたのすが、「奉仕

は貴方のエゴ体の為に在るものではない。それは「当然為されるべき貴方

の仕事なのであるという文を読んで「ああ、そうだったのか。自分は魂

の声を聞いているつもりで、エゴの声をきいていたのか!と大変シ

クを受けました。

 

宇宙の人々は仕事に喜びを感じるというより、創造そのものからのみ喜びを感じているのであり、奉仕はその結果として生まれてくるごく自然な行為なのだと理解しました。これは私には大変な収穫でした。さっき自分で述べたように、この理解を本物にするためには、自分の行動にそれを表現出来なければいけません。実際なかなか大変ですが、きっとこの事を自分のものにする事が出来ると思います。その為にもやはり想念観察は大切ですね。

 

 

 

 

アランメッセージを送ってもらう前に、「セ厶ヤーゼ1 . 2 . 3 . 4

「瞑想「タルムードイマヌエルと機関誌を読み、想念観察を始めま

した。まだ感情に意識の座を明け渡している事がよくありますが、でも力

ッとなった時には「今こそ想念観察の絶好のチャンス!、これをさせてく

れる為に今の状況はあるのだ」と思い、じっと自分の感情の流れを見てい

ますと、次第に感情が意識の座から離れて、客観視に席を譲ってくれるよ

うになりました。それまで自分の子供が弟や自分の友人に対してすぐ感情

的になり、怒鳴ったり泣いたりして分を制御出来なかったのですが、そ

れは子供たちを怒るときの自分にそっくりだったのです。

 

 

それでお前達は何も分からないから、大人の真似をしていろいろ覚えていく訳だけれど、我々親でも間違えることはあり、すぐに怒鳴ったり怒ったりするのは間違っている事なのだ。相手の話はよくかなければならない。お父さんが間違っていた。これからいきなり怒鳴ったりしないから、お前も皆にしく

してあげなさい。これからもお父さん達が間違ったことをしていたら教え

ておくれとその子と話をしました。眠いこともあり、何を言っているの

か全部は理解出来なかったようですが、それからはその子も余り感情的に

ならなくなりました。

 

 

こちらも子供に約束した以上、意地でも言った事貫き通すつもりですが、きっとそんなに意地にならなくても約束を果たし続けることは出来るようになると思います。この事では子供達に本当に感謝しています。

 

 

 

 

前の手紙にも書きましたが、存在することって素晴らしいですよね。

 

自分の存在が奇跡ならば、他の存在も全て奇跡ですよね。ただ単なる存在

同志として見ていると全てが素敵に思えます。(戦争や殺人、その他あら

ゆる犯罪も含めて、全てと言うにはまだ修業が足りませんか・・・)

 

愛媛県O

 

 

 

 

初めまして。

 

僕は今髙校1年の普通の生徒です。僕は「新生宇宙人へのパスポート

読み気付いたことがありました。それは「宇宙エネルギーについてです

が、僕も小学校の6年生の時まで、宙エネルギーを感じ、意識していた

ような気がしたのです。そして本を読んだ時、自分の目で見える景色に、

小学校のときのような光が見えなくなっていることに気付きました。本当

です。

 

その光が見えていたとき、当時は何をしても楽しく、そして「次は何をし

ようか「なんて言ってあの人を楽しませようかといつも考えながら生

活し、クラスでも常に人を楽しませ、自分もそれでいつも最髙の気分でし

た。ところが不良の多い、恐ろしいというイメージしかなかった中学校に

入り、僕は変わりました。それまではいつも人をリードする立場だったの

ですが、いつの間にか暗く静かな男になっていました。それからは人前で

は厶リをして話をして、の中はいつも寂しい自分になっていました。

そして気付くと周りが暗くなっているのにも気付きました。今では小学校

のころの光は、宇宙パワーを受けて成長しようとする人へ送られてくるエ

ネルギーであったのだと信じています。ですが今の僕はどうすれば昔に戻

れるのか分かりません。

 

 

 

 

次ぎの話は全く違う話ですが、僕が中学2年生の時、寝ていたら突然周り

4人くらいの人が自分を囲っているのに気付いて、見ると下に寝ている

自分が見えました。そして急に何かに引っ張られてぐんぐん上界して宇宙

へ出ました。その時見た地球がとても青かったのをよく覚えています。

 

そのあと、いきなり人々の意識がとても進化している所へ行って、そこに

いる僕を含める地球人に地球へ戻りたい者は?と問われました。僕を

含めて5人が地球に帰ることを希望しました。その後、何か5人でずさ

んでそれぞれ地球に戻ったのを覚えています。その時、その中の一人と話

し、その人が「イサク」と言う名であることを聞きました。だれもこの話

を信じてくれません。でもあれは単なる夢では絶対にありません。はっき

りと細かく覚えています。出来ればアドバイスをお願いします。

 

新潟県I

 

** アドバイスと言っても、ウ〜〜〜ン、何も出てきません。

その内、自分で全てが理解できる意識になるまで、楽しみは先に伸

ばしましょうか? 編集部

 

 

 

 

FUJI日本の皆さん、こんにちは。

お寒い日が続きますが、お元気ですか?

 

こちら北陸の石川県は近年にない大雪で、除雪のスノーダンプやスコップ

が売り切れ状態になっています。

 

あちこちで、今年も暖冬と言われていた矢先だったので、ビックリ・・・

雪国、北陸でさえ久しぶりの雪で、雪でガタガタの道路を運転する感覚を

やっと思い出したりして。

 

機関誌も楽しく読ませて頂き、みなさんのお話しを励みにしながら、時々

弱気になりながらもがんばっています。FUJ I日本から、想念観察の事

などを教えて頂きましたが、その時は、それぼど気にならず何事もない日

々に満足していたのでした。

 

 

 

 

11月の半ば、私にとっては生涯の中で一番ショックなでき事が起こった

のです。今になって思えば、あの時想念観察できていれば、多分さけられ

たのではないかと・・・

 

ピアノが仕事である私が、手の指を骨折! ! ・・・主人の暴力で。

原因はささいな事でした。夕方とっても疲れている時に、下の子がふざけ

ていてジュースの入ったコップをひっくりかえしてしまったんです。

 

私はカーとなって「なんでこぼすのと怒ってしまったんです。主人は横

にいて「ジュースぐらい、いいがいや。お前拭けばいい事やろ。と私に

怒りました。

 

 

 

 

私は今迄も「お前の気持ちなんかどうでもいい。お前さえ我慢すれば、丸

くおさまるんや。と言われて来たのを思い出し、「あんたが甘やすから、

私の言う事、何も聞いてくれんと言ってしまったのです。その一言が命

とりでした。

 

私は心の中で主人に「今度から気をつけんなんぞ。お母さんに拭いてもら

えや。と、子供達に言ってもらいたかったのだと思います。

 

私のその一言に、カーとなった主人は、私をその場で殴ろうとしましたが、

子供達が「お父さん、お母さん暄曄しないで一と泣いて叫んだので、子

供達の見えない家の外に、そのまま私をひきずって行き、玄関の外で顔を

殴りました。そのひきずられて行った時に指をねじったのか、打ったかし

て骨折したのです。指がボンボンに腫れ、痛みで夜寝れませんでした。

次の日人で医者に行ったら、骨折全治2力月、毎日病院通いです。

 

 

 

 

それから心の葛藤が始まったのです。

 

主人を許せないという気持ち・・・痛みと、元の様にピアノが弾けるように

なるのかという不安との戦い

 

ピアノの仕事も、何とか片手で続け、家事も主人に少し手伝ってもらいな

がら、なんとか・・・主人を憎みきれない自分がイヤになって。

 

情けなくって・・・拒絶できたら、どんなに楽だろうと思って。

 

悪口をいいながらも、すべてを拒否できない自分・・・でも、許せないと

いう強い気持ち。

 

 

 

 

そんな或る日、お風呂につかっている時「情けないけど、許しちゃう自分

でもいいじゃない!と思った瞬間、フワーとなんともいえない充実した

気持ちになったのです。とっても幸せで、言葉では言い表わせない・・・

まるで私とは別の人格でした。

 

それからですーー 今感じている自分が幸せだと思う事と、本当の自分が幸

せだと思う事は違うんじゃないかと・・・うまく言えませんが。

 

それから機関に出合って、想念観察は必要だと確信し、この事件も創造

のたまものだと思ったりして、いや応もなくひっぱりこまれる私。(感謝

しています。)それから想念観察しなくちと思ってはいましたが、娘達

が次々に風疹、おたふくかぜ・・・できないと言うのは言い訳か

 

最近になって、ようやく少しこれが想念観察と言えるのかどうかわかりま

せんが、しています。

 

 

 

 

長々と恥ずかしい家庭の事をしゃべってしまいましたが、 まだまだきちん

と想念観察できず、認識を深める為にも【はてなちゃん】 に導いてもらお

うと思い決心を固めて、一応、主人にも【はてなちゃん】を吊るす事の承

諾を得ようと話しましたが、拒否され意識をあげる為や、中和作用の事な

どを説明しましたが、主人言わく 宗教に入って行く時って、こんなんや

ろなあ。とかおまえが変な事、言い出すかもしれん。と、そんな物

 

吊るしたら、ドブに捨ててやると。(なんか笑ってしまう)まあ一主人の

気持ちも、わからないでもないので、【はてなちゃん】は、とっても、と

っても残念ですが、しばらくはあきらめて。・・・

 

今、子供のしつけについて、どうしたら良いのかわからないのです。

 

紙くを部屋じうにバラまいて、後片付けもしない子供をみて、いらい

らし始めた私に、他の意識が怒るのと教えるのは違うよ! !想念観察、想

念観察!!と言っている。 ありがとうございました。石川県 O野伸子

 

 

 

 

拝啓

 

エリーナメッセージは理解できそうです。だんだん実感がわいてきていま

す。いつもながら、これ以上の表現はみあたらないようです。

 

創造を形や言葉で表現しようとすればするほど、あまりにも巨大であまり

にも大きなため、深い迷路に入りこむみたいに感じていましたが、こない

だ別の件でお電話したところ、創造は形容しがたいものだというようなア

バイスをいただき一つ肩の荷がおりました。

 

機関誌2 8号では沈黙の黄金という表現をもちいていますが、まだ表現し

きれないそうです。しかし、表現ばかりにこだわっては、ほんとに身近に

ある創造は、又目隠しをして悪戯してくるでしょう。(本当はいたずらで

はないんでしょうけど、しかしこれも愛だと感じています)。乱筆ですい

ません。 長崎県M

 

 

 

 

FUJI日本様、

 

こんにちは、孤独であることに対しとても素直になれる。いつこの肉体を

離れても不思議ではない。

 

光明に至る道が遠く果てしなくても、必ず大海の一滴になれるという強い

確信を疑いません。

 

精神病院に初めて入院して以来15年がすぎた。自殺者もいた。

 

いろんな人生を背負って生きていく人々と共に、これからも共存共栄でき

る社会にしたい。あらゆる人々に『ありがとうございました。』と言いた

い。 今後ともよろしく。 鳥取県 S

 

 

 

FUJI日本の皆様へ、

 

機関誌No 28が届きました。どうもありがとうございました。

 

想念観察は、たいへんむづかしいですね。自分の集中力の無さを思い知ら

されました。今は主に感謝暝想を実践して居ります。

 

この前の手紙で彼女が3月に亡くなったと書きましたが、生前の披女に対

してはずっと感謝していたのですが(亡くなってからも)最近では、亡く

なったという現象そのものに対しても感謝できる様になりました。

 

又、今年の5月か6月から仕事が変わって、新しい職場にいたのですが転

職して早や半年でささいな事でもめ事が起こり、現在は無職の状態です。

でも誤解された事、職を失った事などにも感謝出来て居ります。

 

世間一般での悪いこと、不幸な事に対して、どれだけその現象を受け入れ、

なおかつ感謝出来る様になれるか楽しみでもあります。

 

機関誌NO.28 レベルの詩についての感想を少し書きたいと思います。

P4 9の外に見えるもの・・・以下の文章で感じた事は、創造の大きさを、

たかが人問の考えれる範囲内で表現するな!表現したその瞬間に創造の

大きさを人間が限定しているのだから、そこに創造性は無くなる・・・

理であると受け取りました。

 

 

又その次の、貴方がヒーラーであるならば・・・以下の文章では、病気で

あっても、それは創造からの愛であるのだから、治療を行うのは、その創

造の愛を拒否している事になると受け取りました。 すなわち“お前達人

間は何もするな、でもそれはボーッとするのではなく、創造の愛を感じな

がら、創造の愛という大海に浮かんで、その波の流れに全てをゆだねなさ

い”と言っている様に思えました。書いてある言葉は大変きびしいけれど

も、その内容は愛に満ち溢れたものであると思いました。でもむづかしい

ですね。 大阪府 F西