観ていることで、想念との隔たリができる
観ていることで、想念との隔たリができる
泣きたかったリ、怒りたかったりすると、それを我慢するのが美
徳であるかのように一般には考えられています。でも、自分が自分
に嘘をつく必要はありません。
その感情を否定することなく、流してやれば良いのです。その際、流れを止めることなく、かといって意図的に、想念をふくらますベくエネルギーを注がず、ただ観ていることです。
怒りに狂いそうになったら、心の片隅でいいですから、
「私は怒っているな」と気付いている目を残しておいて下さい。
怒りの想念に思い切り浸ってしまい、しばらく経ってからそのことに気付いた・・・そんないつも後手後手に廻る自分が嫌だ、という人。
それまでは、後になって気付くことすらなかったのですから、
大きな進歩ですよ。落ち込まないで!
「あんな奴、死ねばいいんだ」という想念に取りつかれている時、
そういう自分を醜く感じ、「あっ、シマッタ。こんなこと考えちゃ
いけない」と、必死にこれを打ち消そうとします。
しかし、止められたエネルギーは益々圧力を増してゆき、いずれ爆発するか、
病気を生み出すかのどちらかです。いつまでたっても、その想念から抜けきらない訳です。
「死んでしまえ」という想念に判断を加えずに観ていることは、こ
れを対象化することになりますので、自分から離れ、影響を受けな
い、捕われていない状態になります。
ところが、これを打ち消そうとすることで捕われてしまうのです。
怒清の如く押し寄せる想念をせき止めるバワーがあるのなら、
「奴が死なないでいる」ことで、自分のエゴにどのような影響が出
るかを掘り下げてみる方向でそれを使ってみてはどうでしょう。
傷つきたくない、という防衛本能が、その源泉にあるかもしれません。
ところで、こんな質問をする人がいます。
『想念観察していると、自分のエゴばかり見えて困るんです・・・』
ちょっと待って!目標設定を誤っていませんか。エゴの正体を見るのが想念観察です。もっともっと自分のエゴに気付いて下さい。