先輩に聞く、観察の極意 ラジニーシ
先輩に聞く、観察の極意
沼田勇人
質問
機関誌に掲載されている貴方の問答の中で、意識が自己( エゴ) に
ある時は病であり、その力点が認識にある時は健康だ・・・との
言葉がありますが、確かに想念の殆どがエゴ反応、=防衛反応だと
思います。
そしてこのエゴは主語、例えば自分が嫌だとかいう風には表現せずに、
この“自分”の部分を省略して、ただ述語のみで反応してきます。
私は今、様々な想念に対して、“誰が”と質問する様にしています。
すると殆ど“私が、俺が”という答えが帰ってきます。この場合、
エゴ反応と判定して別の答えを見付ける様にしていますが?
論理的思考、これは殆どがエゴの産物のはずだ。人間は誰でも自
分の存在理由を求める・・・これは不健康な事では無い。しかし、
その答えの殆どが言語の繰り返しであり、何等進歩をもたらさない。
理論武装とも言える。そして人生の大半を浪費してしまう。自己認
識とはこの言語の世界に依存せずに、その進化を模索する事だ。求
める者には答えが与えられる。自分の想念を見て、それ以外の答え
を求め続ければ良い。
想念の自己同化とは、想念に対する依存の事だ。そしてそこに喜び
や安らぎは無いはずだ。この自分自身に“涼しさ”をもたらしてく
れる意識を発見する事、求め続ける事、これが瞑想の何たるかだ。