21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

水瓶座賛歌24号 パート5

ユータのコンタクト記録 と クンダリニ—現象体験

 

ユータのコンタクト記録

代筆 S

 

平成2年。 清水に移リ住んでから表面化した、息子の体験です。

 

私は時々、電話でチャネ一と話しますが、そのチャネリングしている

相手はアランと言う宇宙人で、或る時、息子が私の妻(つまり息子にとっ

ては母親)に、そのアランさんとは自分も時々一緒に遊ぶのだと言いだし

た事から、この記録は始まります。

 

ユータ 「僕はアランと言うんだよ。良いアランと悪いアランがい

てね、僕は良いア.ランだよ。... 何して遊ぼうか?って、いつ

も言うんだよ。

 

アランさんは本人が現われるのではなく、テレパシーで現われる様ですが、

実体幻視とでもいうような体験もするようで、ユータには現実との区別が

はっきりつかず、要領の得ない時も有ります。

 

 

 

コンタクト初期の頃、例えばテレビを見ている時、ゲー厶をやっている時、

自転車に乗っている時、授業中に、広場で一人になって遊んでいる時、呂に入っている時等々、一人になっている時に意識の中に出てくる様です。

 

意職の中でのアランのスタイルは中学生や、28歳の子供になったりします。

尤もイメージ的なものですから、多分に本人を怖がらせない工夫なのでしよう。

 

コンタクト2年目には, UFO ( 宇宙船) に乗っけてもらって旅行する体

験もしたようです。

 

その時、何故か火星人()アランの船に乗せられて木星に行き、木星

目に飛び込んで木星(?)のアランさんに会ったとのことでした。

木星人のアランさんの船に乗せられて。。。。と、この様に太陽系の全て

に行く。

 

これらの旅行はやはり実体幻視が大半で、短い時間で一回の旅行を終える

ようですが、中には、実際に同乗しての体験も有ったようです。

 

その時には面白い乗り方を経験しています。

 

 

 

近くの広場に一人でいるとUFOが上空にやって来て搬入光線を底から出

すのです。

 

その光の中に立つと、体が回りながら船に吸いこまれるのだそうです。

船の中には8歳ぐらいで同じぐらいの身長のツルツルの頭をしたアランが

います。

( 後に聞くと、バシャール存在とそっくりなスタイルの様ですので、彼ら

が子供のおもり役なのかも知れませんね)

 

時々母船に行き、野球やバスケットに似スポーツをそこにいる子供たち

と楽しんだりしたそうです。

 

 

アランのUFOの外部や内部、スピードメータ、スクリーンの形状、操作

盤の文字や使い方も教えてもらっています。

 

外に彼らの漢字や平仮名も教えて貰いました。

 

面白い事に、ジョージアダ厶スキが金星人に返して貰ったフィルに書か

れた文字を読める棣になっていました。

 

はっきりした写真が無かったので、全ては読めませんでしたが、内容は簡

単な挨拶文の様です。

 

UFO学会で騒がれている様な飛行原理ではなく、「今度遊びに来て。。。」

か、「今度会いに来て・・・・」と書かれているとの事です。

 

また、金星人のクツ底の模様に付いても判読する事が出来ています。

 

旅行中にいろんな質問や教育を受ける様で、時には私と両方に同じ質問を

出したりします。「木は、どうして出来たのかな?

(この記事を読まれた方も考えてみてはいかがでしうか)

 

 

 

 

母船に行くと広い部屋に案内され、少し待たされた時に「話合い相手ロボ

ットが片隅に立っていたそうです。

 

何も話さなかったで、ロボットの方も何も話さずに横目で御互いチラチ

ラ見合っていたそうです。

 

ロボットのスタイルは郵便ポストに顔が付いているみたいに立っていたそ

うで、色は金色かかった銀部屋の床は銀色で、カーペットの様な感じ、

壁は金色、天井は黄色。

 

壁にドア等は無いが、ドアとして開く時は愉快に開くそうで、レーザ光線

で床から輪郭を切り抜くように隙間が出来てからパカッと開くそうです。

(予想ですが、この部屋は母船の中に入る前の殺菌室か同調室?の棣な目

的が有ると思います)

 

 

 

母船の形状は葉巻形で、四角い窓が並んでついていて、二列の場所も有る。

小型船が入る場所(格納庫)は端の下部に有って四角く開いている。

 

その中に吸い込まれるように入って着睦したそうです。

 

2年間の交流の後、しばらく通信が途絶えました。

 

理由はユータが「宇宙馬鹿になるのを防ぐ為だそうで、現実の地球での

生活と、披らとの交流の狭間で昔しむことが起き、そうなると自閉症にな

ってしまうそうです。

 

 

 

平成41011日再び交流が有りました。

 

その時登場した星の人々は以下のごとしで、まるで御祭り騒ぎでした。

 

土星、てい王星(冥王星の回りを回っている月)冥王星海王星、金星

水星、クリエおじさん、エリーナおねえさん、アラン君、チャクラさん。

 

ちなみにコロポックルの神話はてい王星の住人の話だと説明されました。

 

 

 

 

ワイ島の小人は冥王星の住人で、本人(冥王星人)が自分で5年前に行

った事が有ると説明しました。

 

アランは、1週間したら又本格的に交信を始めると約束してくれました。

今日11日の会談は、清水から来た私の御客3人組に対する瞑想の指導を

バックアップしてくれる目的があった様です。

 

息子の自閉症の危険が回避出来た事のお祝いかも知れませんが、色々な星

の方々が一度に出ようとしていて、ユータがパニックになるところなど、

とっても楽しい日でした。

 

ユータは他の星の方々からも好かれる様で、アランさんも、ユータ君は特

に楽しいのですよ・・・と話されていました。

 

 

 

11月からは頻繁に交流している様で、私に対してもメッセージが有りま

す。アランさんは幼稚園児の方に忙しく、私には主にエリーナ御姉様が出

てこられ、有り難い瞑想方法の指導をしてくれます。

 

例えば、次の様な会話です。

ユータ (エリーナ)

 

瞑想は「何とは何か」で、100文字を150回やりなさい。

朝と夜に行うのです。

 

私、

朝は時間が無いので夜だけではだめかな・・・

 

ユータ (エリーナ)

原理とは何か言ってごらん?

 

私、

え?・・・ええと・・・根本のでは無くて・・・ええと・・・

( 瞑想で得た答えがとっさに出なかった)

 

ータ (エリ)

ほらご覽、忘れてしまってるでしょう。だから朝の方が良いのです。

 

ータ

エリーナさんがそう言っているよお父さん。

 

私、

? ?! はは!、はい! !朝にも始めます。

(完ぺきに見透かされていて、私の負け)

 

チャネリング中のユータは当然宇宙の人のパイプ役ですので、話の内容は

子供のものではありません。ですからこの頃は急に大人びた話に成ったり

で、どちらが親なのか判らなくなってきています。

 

まいった、まいった。

 

これからも少しづつユータとズッコケお父さんのチャネりング道中記、記

録し続けますので、楽しみ?にしていてくださいネ!

 

以上 平成4115日までの出来事です。

 

 

 

 

★★★

 

ここに掲載する文章は、これから多くの地球人が体験するであろう

宇宙エネルギーによる症状()です。既に読者のFさんの体験

話も掲載致しましたが、宇宙エネルギーによる症状は一過性のもの

であり、その事を知っていれば、かなり耐えられる心の余裕が持て

ることでしう。

 

この文章の掲載にあたり、インドへ問い合わせたところ、ゴービ

クリシュナ氏は既に亡くなっていますが、その息子さんの怏い許可

を戴き、皆様に紹介するものです。

 

★★★

 

クンダリニ—現象体験

吾、煩悩(おうのう)の始まり

 

ゴービクリシュナ

 

カシミールのスリナガにある「セントラルインステユート

クンダリニーリサーチ』の創立者で、ここに掲載するのは、

ゴービ氏自身の体験話である。

 

人間性それ自体と同じくらい広範で、同じくらい多様なクンダリニー

いうものに関して、私は、その科学的な専門事項においても、この偉大な

るエネルギーの操作方法においても、又その活動の側面においても、全く

知識を欠いていた。

 

ヨガに興味を抱いている多くの人々と同じように、人間に潜んでいるこの

潜在的な可能力や高貴な資質を向上させるためのシステ厶が、全く思いも

及ばず制御不可能な心の状態をひき起し、その現実的な重圧が、時には正

気を破壊してしまったり、自分の人生をめちくちにしてしまうほどの

危険を伴うものだということを、私は全く知らなかった。

 

 

 

 

クンダリニーが覚醒しはじめて三日目、私は全く瞑想する気になれなく

て、長い間ベッドの上に寝ころんでいた。

 

しかし心の異常な状態や肉体の疲弊しきった状態はいっこうによくならな

かった。ほとんど一睡もできなかったその夜が明けて、私は再び瞑想しよ

うと思い、あらためて座っでみた。

 

しかし私はいかなる対象にも、ほんの一瞬たりとも精神を集中することが

できないほど気力を失っていることに気がついた。また、最初の二回目ま

では活き活きと髙揚させるような感じて脳に打ち寄せていた光のようなか

すかな流れが、いまや髙揚どころか、きわめて陰うつにさせる気味の悪い

光を伴って、自動的に頭の中に注ぎ込まれているのに驚いた。

 

 

 

このような状態が何日もつづいている間、私はずっと悪夢を見つづけて

いた。それはあたかも自分が確固とした岩の上から、

 

突然狂人の渦中につき落されてしまったかのようなありさまだった。

 

行法を行っていた間はいつも感じた、座って瞑想したいという強烈な要求は不意に消え去り、超自然的なものにする恐怖が自分の心を占領するよう

になっていた。

 

私は心底このような想念から逃げ出したいと思った。

同時にまた私は動いたり話したりするのも嫌になった。

 

当然の結果として、この陰うつな精神状態はいつまでもダラダラと続いた。

 

 

 

私の目の前には時間が重々しくだらりとぶら下がっていた。私の狂気じ

みた心の状態がそれをよりいっそう増長させた。

 

夜は夜でまたどうしようもなく恐ろしかった。

 

ベッドに入った後、部屋に明かりをつけておくことはどうしてもできなか

った。枕に頭を沈めるやいなや、巨大な炎の舌のようなものが脊髄の中を

頭の方へ駆けぬけた。

 

 

 

 

それはまるで生きもののような光の流れだった。

 

それがまっ暗な部屋の中にいる間中、ごうごうと勢いを増しながら、私の

脊髄の中を通って頭蓋骨へ駆けぬけ続けた。

 

目を閉じると、いつでも奇妙な光のを見ることができた。それはこうこ

うと輝き、グルグルとのようにまわっている光の輪で、部屋の中を端か

ら端まですごい速度で動きまわっていた。

 

それは一見魅感的な光景であったが、同時に畏怖の念を起こさせるよう

な凄味もあり、ときとして骨の髄までゾクッとするような、そんな怪しい

気持ちにさせる雰囲気をもっていた。

 

 

 

ほんの数日前まで、夜ッドに入って楽しい想念をどんどん広げていくの

は、眠リを誘うための私のいつもの習慣だった。そしてこの習慣を開始する

目の醒めている状態から空想的な夢の世界に、あっという間に落ち込ん

でしまうのが常だった。

 

しかしいまはもう、あらゆることが変わってしまった。

 

今は自分の興奮した心を、眠るのに必要な一定の心の安らぎのレベルまで

もってゆくことがどうしてもできず、何時間もベッドの中で寝返りを打ち続

けるようになってしまった。

 

明かりを消した後、暗闇の中で次第に眠りへ落ち込んでいくときの、えも

いわれぬ安らぎにかわって、今は始終不安をかき立て、脅迫的な雰囲気を

漂わせている内的な白熱光に、むりやり対面せざるを得ないようになって

しまった。

 

その光は霊的な発光物質のようで、大そうな速さで飛び交っていた。

 

 

 

 

それはちょうど絶え間なく激しく滝壺に落ち込む水の飛沫が、階の光を受

けて煤然と輝く様子によく似ていた。

 

ときとしてそれは厚くどろどろに溶けた銅の噴射が背骨を走り抜け、頭

頂めがけて上昇し、そしてそれが自分のまわりのあらゆる方向に飛び散り

ながら落下していく様子に似ていた。

 

私は恐怖で心臓が締め村けられるような気持ちで、ただただそれをじっと

見詰めていた。ときどきそれはまるで花火が炸裂したときのように巨大に

広がった。

 

私が自分の内なる目で見ることができたのはただキラキラした光の洪水

か、拡大してゆく光の海だけだった。私を包んでいた巨大な光輝に比べて、

私自身は萎縮してしまったように思われた。

 

 

 

その光は、の中でもありありと見える赤銅色のうねる波となって、あ

らゆる方向に広がっていた。

 

まるで脳の中の視覚中枢が、網膜や視神経の仲介なしにかぎりなく

で、絶え間なく動く光彩に満ちた実体に直接触れ、それが脳や神経組織の

中に流れまわっているかのようだった。

 

私は、人間の体の中でも飛びきり複雑で、まだ全く探り当てられていな

い神経構造の、その未知のメカニズムのあるレバーを偶然触れてしまった

ようだった。それによって、これまでほとばしりを拒んでいたものが外さ

れて、音感と視覚の領域に衝き当たり、そこからガンガンと鳴り響くよう

な音の感覚や不思議な光の運動が生み出されてきていた。

 

そしてこれにともなって、私の正常な心の働きの中に、全く新規で、未知

なものが引き起こされ、それが私のあらゆる思考や行動を、非現実的で異

常なものにしてしまってもいた。

 

 

 

数日間、私は、自分はこれまで幻覚を見ていたのかもしれない、それな

らもうしばらくすればコンディションも回復し、元の正常な状態に戻れる

かも知れないと考え、そのように期待することにした。

 

しかし日が進むにつれて、これまでの現象は弱まったり立ち消えになった

りするどころか、逆に一層その異常さを増し、徐々に強固な脅迫観念と化

していった。

 

その光り輝く様相はますます荒々しく空想的になってゆき、そのガンガ

ンと鳴り響く音響もさらに一層度を強め、より不可思議な感を強めていっ

た。そして自分はもう、自分自身さえ救うことの出来ない決定的な災難に

はまり込んでしまったという、どうしようもない思いに取りつかれ始めた。

 

クンダリニーの秘儀的な科学の手ほどきを受けていない者は、私の場合

が正にそうだったのだが、異常で不自然な現象がどんどん露見してくるに

つれて、その現象の推移や展開に対して極度に神経質になってゆくもので

ある。

 

 

 

私は一秒一秒を極度の苦痛と緊張をもってすごし、一体自分に何が起こって

いるのか、まなぜこれほどまでに自分の機能が狂ってしまったのか考え、ほとぼと当感してしまった。

 

私には、自分が消耗し衰弱していくのがよく分かった。

 

この体験が始まった翌日から、私は食欲の減退を覚え,食物は私のロには

まるで灰のようだった。

 

私の舌の表面は白くザラザラになってしまい、目もかつてないぼど赤く

なっていた。また私の顔もやつれ、苦悩の色を露わにしていた。

 

更に、消化と排泄の気管も完全に狂ってしまっていた。

 

私はことごとく規則性を失い、自分のまったく知らない力の出現に、た

だただ身を任せている以外にすべがなかった。

 

それは暴風雨のひと荒れが静かな湖面をたちまち凄まじい状態に変えてし

まうように、私のをも、手のほどこしようもないほどの荒波に変えてし

まった。

 

 

 

クンダリニーの住処から昇ってくる剌激の流れはいっこうに弱まらなか

った。

 

私はその剌激が背中じうの神経を飛びまわり、さらに腰のあたりから徐

々に身体の全面にまで広がってくるのを感じていた。

 

しかしもっとも切実な問題はこのような現象自体にあったのではなく、む

しろこの現象によって引き起こされる自分の心の働きや動きの対処のし

かたにあった。

 

私は、かて自分が登ったことのある一番髙いところよりも、さらにも

っと髙いところからただ呆然とまわりの世界を眺めているような気分に浸

っていた。この時の心の状態を正確に表現するのは非常に難しい。

 

 

 

ただ言えることは、私の認識能力が変容してしまったかのようであり、私

はいわば心的に拡大した状態にあったということである。

 

さらにもっと驚き、もっと恐ろしかったことは、私の中の意識の中心が

まったく流動的になってしまい、いまだかってないほどにその恒常性を失

ってしまったということである。

 

私の意職は、最下位のセンターから噴き上げてくる光の流れによって、

不可思議な規則性を与えられながらその範囲の拡大と縮小を繰り返して

いた。この拡大と縮小は私には大変な恐怖だった。

 

ときどき私は一時的で気味の悪いものではあったが、幸福感と満足感を

ともなったある種のかすかな髙揚感を味わうこともあった。そのとき自分

は時間を忘れた異様な状態の中にいた。しかしそのすぐ後には、また切実

な不快感がぶり返してきて、恐怖と苦痛の塊に圧しぶされそうになった。

 

 

 

長い沈うな発作状態の後には、間歇的に、ほんのかすかな心的な髙揚

感が繰り返された。しかし発作はきわめて激烈なものだったので、それに

負けずに自分を守り通すには、自分の中のあらんかぎりの勇気と意志力を

奮い立たせなければならなかった。

 

ときどき私は発作的に叫ぶことがないように自分のロにさるぐつわをは

めねばならなかったし、何かとんでもないことをしでかさないようにと、

部屋の中の孤独から逃れて人混みの中飛び出したこともあった。

 

この数週間というもの、私には休息というものがなかった。

 

 

 

 

思いもよらない恐怖、すでに狂ってしまった自分の生体内の新たな混乱、

深刻な憂うつ症の発作,あるいは異常なまでの心の過敏性といったものが、

毎朝毎朝私をおびやかした

 

一睡もできない夜が明けた後はいつも、これらが公然と自分に襲いかか

ってくるのから必死になって身を守り、身構えなければならなかった。

そしてこの耐えがたい苦痛に何とかして耐えた一日が終わると、今度はま

たさらに一層恐ろしい悪に満ちた夜を迎えるために再び備えなければな

らなかった。

 

人間が圧倒的な困難にも果敢に挑戦し、それを打ち負かし、そして勇ま

しく勝ち誇ることができるのは、自分の心や自分の肉体的なコンディシヨ

ンに自信をもてるときだけなのである。

 

 

 

しかし私は、自分の心と肉体に対してまったく自信を失ってしまい、まる

で幽霊のようにして生きていた。そして自分の肉体の中に他人のように怯

えきって閉じこもり、絶え間無い不安感に苛まれつづけていた。

 

私の意識は次の瞬間に自分がどう振る舞えばよいのかさえ全く判断つか

ないような、そんな転変きわまリない状況に閉じ込められてしまっていた。

その恐ろしい変化は波のように強まったり弱まったしながら、あるとき

は一瞬恐怖の枠外を垣間見られるような気持ちにさせたが、しかし次の瞬

間には再び落胆の深みへ私を落としめてしまった。

 

背骨を通って自分の頭の中へ噴き上がってくる生命の奔流のようなもの

が、これは脊髄の基底部に神秘的な形で接続し、とどまっているが、私の

想像力を勝手にいじくりまわしているようだった。

 

 

 

また私は、自分の思考を翻弄するその影響を止めることも、逆らうこと

もできなかった。

 

自分は心を失ってしまったのだろうか。

 

それともこれらは心の混乱のんの序曲にすぎないのだろうか。

 

このような想いが絶えず自分を捨てばちにした。しかしそのこと自体はさ

して私に不思議な感を与えなかった。なぜなら、初めのころの狂気に満ち

た恐怖心や、神経組織の重大な不調がすでに私の心を鈍摩させていたから

である。

 

 

 

私は自分の妻や子供に対する愛情も失ってしまった。

 

私は、かつて彼らを心の底から愛していた。しかしいまでは私の中の愛の

泉は完全に干上がってしまったようだった。

 

私の全身の毛孔から激しい突風が吹き抜けていって、愛のあらゆる痕跡を

消し去ってしまったかのようだった。

 

私は子供を何度も見つめ、以前抱いていた深い慈しみの情をなんとかし

て呼び戻そうと自分を挑発してみた。しかし無駄だった。私の披らに対す

る愛は、記憶を飛び越えて滅びてしまったかのようだった。

 

私にとって、彼らは見知らぬ他人と変わりなかった。

 

 

 

自分の心の中にもう一度愛の感情をよび起そうと彼らを愛撫したり、抱擁

したり、気持ちをこめて語りかけてみたりしたが、真の愛着からくる自然

さや温かさを、そのような行為からはどうしても引き出せなかった。

 

彼らは私の血であり肉であり、自分が彼らに対して義務を負っているこ

とも自覚していた。

 

私の批判的な判断力まで損なわれていなかったが、しかし愛は死んでい

た。

 

そこで、いつも深い慈しみと愛情を抱いている私の死んだ母のことを想い

出してみた。

 

 

 

しかし、彼女を想えば必ず湧きあがってきたはずのあの深い愛情の髙まり

さえ、今はまったく湧いてこなかった。私は大いなる落胆をもって、この

根深い感情の不自然な形の消失を眺めることになってしまった。

 

そして自分がまったく別の人間になってゆき、人生の豊かな潤いを与えて

 

くれていたものを奪われて、不幸がどんどん加速されていくのを、私はた

だ呆然と見つめているかなかった。

 

私は自分の心の状態を、恐ろしくはあったが、じっくり分析してみた。

まず、自分の新しい意識の性格を以前のそれと比べてみると、そこには決

 

 

 

 

定的なまでの本質的変化があった。そこには間違いようのない新しい要素が加わった

 

それは炎のように光る生命エネルギーが、明瞭な視覚性をともなって、自分の頭の中へ注ぎ込んできているということであった。これは以前にはまったくなかったことであった。

 

しかしその光はきわめて不純な色をしていて、絶え間なく変化していた。

 

炎は普通の意識のように純粋で、目に見えず、安定した輝きをともなって燃えているわけでは決してなかった。

 

炎はぱっと輝いたり、暗くぼけたりするのを交互に繰り返していた。

 

確かにその輝きは大きな円を描いて広がってはいたが、以前のように澄

んではいなかったし、透明でもなかった。

 

 

 

それはまるで霞を通して景色を見ているような感じだった。

 

私が空を見上げても、以前のように素晴らしい青色を認めることができ

なかった。

 

私の視力は昔からよい方で、今も何の悪い兆候もないはずだった。

 

私は相当小さな字でもたやすく読むことができたし、ずっと遠くのもので

もはっきり見分けることができた。

 

確かに私の視力自体は損なわれていなかった。しかし認識能力に関する何

かがおかしくなった。記録する機能自体は何の問題もなく正常だったが、

観察に関する何かがおかしくなっていた。

 

 

 

普通の人間にとって、意識の流れは常に理想的な形で規則的に流れ続け

るものであり、子供のときから死ぬまで、何らその変化に注意を払う必要

はない。

 

普通の人間は自分を意識的な存在として自覚しており、その広がりのな

い意識の中心が、胴体や手足をぼんやりと包み込む形で自分の頭の中に存

在していることを自覚している。

 

実際、目を閉じて注意深く考えてみれば、自分の頭のまわりに意識が存

在していることはすぐに分かるはずである。

 

心的に混乱した状態にありながら、私はものごとを容易に識別できたの

は、自分の中の意識の領域が大きく拡大されていたからであろう。

 

 

 

しかしこれは、私が視覚的な体験をもっても、初めてそれを見たときのよ

うな、いろいろな喜びの感情をもてなくなった事実に関係している。

 

それどころかハツラツとし気持ちの代わりに、沈うつさや恐怖が、明朗

な快活さの代わりに暗然たる陰うっさが心を支配していた。

 

長期にわたる集中が、生殖のところから絶え間なく激しく上昇するエ

ネルギーの流れを燃料源としている脳の髙度なセンターを、部分的にでは

あるがこじ開けたかのように思われた。

 

 

 

意識の拡大された領域は、つまりこれまで閉じられていた部屋がこのよう

な形でこじ開けられたその結果であった。しかし今はまだ、この部屋は不

完全にしか機能していなかった。

 

その理由の一つは、この部屋が未熟な段階で無理矢理こじ開けられてしま

ったからであり、二つ目には、その新しい展開に対して自分がどう対応す

ればよいのか、その対応のしかたをまったく知らなかったからである。

 

ここ数週間というもの、私は自分の異常な状態によって創り出された心的な憂うつとがっぷり四つに取り組みつづけてきた。

 

そして日一日と、その暗然たる気持ちは増してきた。

 

私の顔は真っ青に変わり、体もやせ細り、弱ってきた。

 

 

 

また食物が疎ましくなり、何かを呑み込むと、そのとたん私の心臓は恐怖

で縮みあがった。しばしば皿に手をつけずじまいになることもあった。

私のロはほんの一、二杯のミルクと、ごく少量のオレンジですぐ一杯にな

ってしまった。もうそれ以上はどうしても食べられなかった。

 

こんな不十分な食事ではとうてい長く生きられないことを知ってはいたが、

しかし自分ではどうしようもなかった。

 

身体の内部がボウボウと燃えていても、その炎をおさえる術はなかった。

 

身体が一日に消するエネルギーはどんどん髙まっているのに、私の食物

の摂取量はそれに対して極端に少なくなっていった。

 

そして三十分として椅子に座っていられないほどに、私はんどん落ち着

きを失っていった。

 

 

 

そんな状態のとき、私の関心は抗いようもなく自分の心の奇妙な動きに

引きつけられていった。するとそのとたんに、今までの恐怖感が倍加して、

私の心臓はドクドクと音を立てて早鳴りを始めた。

 

私は何とかしてその恐怖から自分の注意をそらさなければならなかった。

 

心がどんどん沈潜していかないように私は散歩をしてみた。

 

暗い部屋の中でただ横になっていたときは、自分の内部の世界で繰り広げ

られる、奇怪で恐怖に満ちたありさまを、ただ恐れおののいて傍観してい

る以外になかった。が、私がそれをするだけの気力をもっていられた間は、

朝早く陽が昇ると同時に、抑圧された眠れぬ夜の余爆を消すため、ゆっく

りとした散歩に出かけた。

 

 

 

その道すがら、大勢の知人が談笑しながら、やはり健康のために散歩して

いるのに出会った。

 

私は彼らの楽のしげな雰囲気にあずかることができず、言葉も交わさず、

挨拶の身振りだけして黙って通り過ぎてしまった。

 

私はこの世の誰に対しても、何に対しても、一切興味を持つことができ

なかった。

 

私の異常性は、私の心からありとあらゆるものを消し去ってしまったよ

うだった。

その日は一日中部屋の中を歩きまわったり、屋敷の中を歩きまわったり

していた。そして心が一つの対象に据えられてしまわないように、注意を

いろいろなものに、次から次へと移していった。

 

 

 

自分の歩数を数えたり、天井を見上げたり、壁を見たり、床を見たり、自

分を取りまいているもののひとつひとつを見まわしていった。

 

しかしその一つ一つに対しては、ごくごく短い時間しか固執しなかった。

このようにしてかろうじて心の底から絞り出した意志の力によって、頭が

特定の対象に止まってしまわないように努力した。

 

私はこうして死物狂いで、始末におえない自分の心闘っていた。

 

しかし、自分は一体あとどれくらい対抗し続けられるのだろうか。

 

私にとり憑こうとしている狂気から、私はいったい逃げおおせるのだろうか。

 

私の飢えた身体は日に日に弱くなっていった。私の脚はちょっと歩いただ

けで、もうフラフラした。しかし心が沈み始めるとすぐに自分の心にとり

憑く恐怖を除くために、私は歩きださねばならなかった。

 

 

 

私の記憶力は衰えてきて、また口ごもるようにもなってきた。

 

そして私の顔には昔悩の色が染みついてきた。最悪の状態のときは、苦悩

のあまり眉もよって、額に深いしわができ、暗澹たるその目の色が狂気に

満ちた相貌を作り出していた。

 

そのような日には何度も鏡を見つめたり、自分の脈をとりつづけたりし

て、恐怖がとめどもなく髙まっていくのを、ただただ呆然と見守っている

しかなかった。

 

しかしこのような異常なほどの狂気の真っ只中にあってさえ、何かがも

う一歩のところで自分の行為や行動をコントロール心を支えつづけて

いたのだが、それが一体何なのか分からない。

 

 

 

 

私の中で一体何が起こっていたのか、それは誰も窺い知りえなかた。

 

私は自分が狂気とんの紙一重のところにいるのを知りつつも決して

それを他人に漏らさなかった。

 

私はただただこの耐えがたい苦痛をじっと耐えていた。そしてこの悲しむ

べき状況にひそかに心の中で泣いていた。

 

私は、この問題に関する本格的な知識を何も持ち得ないうちに、またこ

の現象にともなう危険や危難に関して何ら備える間もないうちに、この超

自然的な現象に首を突っ込んでしまったことに対して、自分自身を何度も

うらんだ。

 

 

 

憂うつのもっともひどい状態にあっても、またそれが限界点に達しよう

としていたときでも、しかし私の中の何かが私が顧問医のところに行く

のを拒んでいた。

 

そのころジャムには精神科医はいなかったし、たとえいたとしても、私

はそこへは行かなかっただろう。それは間違いのないことだった。

 

このような症状に関して何の知識も無い私でさえ、自分のこの異常性が

たぐい稀なものであることは分かっていた。

 

これは純粋に霊的なものでも、純粋に肉体的なものでもなく、自分の身体

の中の神経の活動の変質によって引き起こされたものであり、この世の如

何なる精神療法家であろうと、診断も治療もできないだろう。

 

それどころか、身体のあらゆるシステ厶が狂ってしまって、コントロー

不能に陥っているときのこの髙度に危険な状態においては、ほんの小さ

な誤診によっても致命的なものになってしまう可能性が充分にあった。

 

 

 

病気自体が不明瞭で、その性質をはっきりと確認できない状況にあって

は、誤診はつきものである。

 

熟練した医者というのは、それがいかなる病気であれ、その時のその症状

の観察に主眼をおくものであり、またその治療の成果を、普通の人間の病

理学的な諸状態の一様性との比較に求めるものである。

 

種々の生理学的なプロセスは、普通の環境下で体が維持してきた固有の

リズ厶に従うものである。しかし私の場合は、生体のリズやその一様性

のもっとも基礎的な要素自体が瞬時に混乱してしまったことによって、そ

の全き混乱状態が、生理学的な諸システのみにとどまらず、思考の側面

にまで、いや私の存在性のもっとも奧深いところにまで広がってしまった

のであり、これは詳細に描写されるよりも、トータルなイメージとして理

解される以外ないような状況だったのである。

 

 

 

これは、私が瞑想を実行しことによって、突如自律的なメカニズムが

働きだし、心がより髙次でより広範な意識を体現できるように、おのずと

心の改造が始まった現象だったのだが、このときの自分にはそれが分から

ずっと後になってそれを知るようになったのである。

 

これは種の進化や、子供の誕生や成長と本質的に結び付いた自然で、

神聖な法則に支配された生物学的プロセスによるものだったのである。

 

かし私自身の大いなる不運によって、このときはこのことを知らなか

った

 

そして私の知るかぎり、この偉大なる自然の秘密は今日でも全く知られ

ていない。

 

ハタヨーガの実習によって突然引き起こされるような状態をいかに扱

えばよいかというその具体的方法は、古の先逹によってとっくの昔に完全

に知りつくされているにもかかわらずである。

 

 

 

自分が体験しているのは現実であって、決して想像ではないということ

を確認するために、私は毎日毎日撒底的に自分の状態を観察した。

 

ちょうど人間が信じられないような境遇に陥った場合、自分をつねって夢

か現実かを確認するのと同じように、私は自分の心の状態の確証を掴むた

めに、自分の身体的な兆候を絶え間なく分析しつづけた。

 

私が旬覚の犠牲者だと考えるのは誤った考え方だろう。

 

その後の出来事や、現在の自分の状態から考えても、それは絶対にありえ

ない

 

私が通り抜けてきた危機は、断じて自分の想像力が生み出したものではい。

 

 

 

それは明らかに生理学的な基盤をもっていたし、自分の身体の全組織が現

実に折り込まれたものであった。脳からもっと小さな器官に至るまで、身

体の機構全体がそれに関わっていた。

 

そして私には、夜昼の別なく吹き荒れていた神経の暴力の嵐から、自分の

力で思いがけなくでも開放されるような、そんな逃げ道など全くなかった

のである。

 

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19 9 2113水瓶座讚歌 24

 

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