21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

招かれた意識   レオナルド・ダヴィンチ

招かれた意識

 

レオナルドダヴィンチ

 

質問形式によって、彼との会話を始めます。

 

判り易い言葉で語っていただけるようにお願いしていますので、読む皆さ

んも非常に理解しやすいと思います。しかし、理解しやすい言葉ほど、実

は理解しにくい言葉であり、実行実践実証によって、彼の言わんとす

る真理のエッセンスを汲み取っていただければ、彼にとっても我々にとっ

ても、これに勝る喜びは有りません。 M

 

質問専門分野だけでなく、非常に広範囲な活動が出来たのは、何故か?

 

ダヴィンチ・

まず私の性質についてお話しましう。

 

発明家特有のものですが、エキセントリックな性質でした。違った見方で

言えば、集中力がないと言えばいいのですか・・・驚かれるかも知れませ

んが、確かに集中力のない子供であったことは間違いありません。

 

幼い頃から、観察することはとても大好きでした。ただ私が他の人々と違

っていたことは、観察する対象に対して“なぜ”という疑問府がただの一

つもつかないのです。

 

当然私は、私と他の人々も同じだと思って疑ったことは無かったのですが、

どうも違っていたようです。結果として、広範囲にわたって様々な発見を

してきましたが、結果論にすぎませんから、皆さんが私のそのような業績

に対して関心を持たれることが、私にとって謎であり、解明しなければな

らない問題かも知れませんね。(今のはジョークですが)

 

 

 

今思い出しても、子供の頃、自然というものを対象に観察していました。

ただ観察する時間は非常に短く、早い時で5秒というときもありました。

ま、一つの例をお話しましう。

 

樹を見ますね。幹が太く、 枝が細いです。これは瞬間に観察しました。

そして家に帰り樹のことをよく思い出して、1日それを続けることもあれ

ば、1週間続けることもありました。そして力学、気圧学気流学、気象

学、そのような学問のエッセンスが自然に見えてきたのです。ただそのく

り返しをしただけなのであって、皆さんを見ていると、対象に対して“な

ぜ”という疑問が非常に多すぎるように思います。

 

なぜ”という疑問は、結局否定に行きますから、否定から物事を創造し

ていくことは非常に難しいと思います。

 

私が建築の分野に進んだ時、私はそのような知識はなに一つ持ち合わせて

いませんでした。私は学校をでていませんので、ただ自然の造形美を疑問

を持たずに観察していましたので、いつの間にかそういう能力が身に付い

たのかも知れません。

 

 

 

建築のヒントは、鳥からよくもらったものです。建築と速度は非常に密接

な関係を持っています。皆さんは建築物というものを動かないものとして

みているでしう。

 

これは固定点からの流動建築と言います。しかし私は、流動性から固定点

をいつも見ていました。だから私にとっての建築とは、速度が全てでした。

そしてその学問は、私の広範囲の学問的探求を手助けしてくれました。こ

れは私にとっての晴らしい真理だったのです。

 

つまり、鳥自身を建築としてみていた訳ですね。ちょっとした着眼点の違

いなのですが。

 

 

 

質問解剖についてどんな気持ちでなさったのか

 

ダヴィンチ

私が私の中のものを見ることは出来ないでしょう。だから死んだ人の体を

通して私の体の中に何が有るのか知りたかったのです。単純な理由です。

子供のとき、当然家に食器が有った訳です。しかし気がつくと食器を叩き

壊していたり、叩いて捩じ曲げていたり、一つの食器に対して、できるこ

とは全部試みていました。

 

ただ、それだけなんですけど、そのような行動が、何を生んだのかは歴史

が証明してくれました。ただ子供の頃、私の姿を見ている大人たちの目に

は、理解不可能な子供と映ったことでしょう。

 

5歳の頃、枯れ葉を拾ってきて、いろいろな形にちぎってベットに敷き詰

めました。

 

そのまんま寝た経験が有ります。その枯れ葉が朝ベットの中でどのように

しているのかを知りたかったのです。もちろん当時5歳ですから、こ

のような疑問とか、このような考え方を持って取り組んだことは一度も有

りません。ただそうしていたのです。

 

よく判りませんね。解剖もその延長線にしか過ぎません。

 

 

 

質問今、何をしていらっしゃるのか?

 

ダヴィンチ

同じことをしています。99%ラクの山ですよ・・・私の周りは。

 

生きていたころの私の業績を評価してくださるのは有り難いのですが、私

の人生はラクという失敗の山に埋もれた人生でしたし、それが私にと

っての喜びでもあったのです。

 

ただ余りにも業績が大きかったために、ラクの山のダビンチの存在を

多くの人が忘れてしまったことは、私にとっての寂しい出来事の一つでも

ありました。

 

当時、貴方の人生に失敗という事は無かったのですかとよく聞かれたもの

ですが、約束を破る、借金は帰さない、発明をする前に、発明したとホラ

をふいて町中を周り、友人から金をせしめては関係のないことに使ってい

たり、全くロクでもないことをしてきたんですよ。ただ弁明するつもりで

はありませんよ。

 

発明もしていないのに発明したとホラをふいている時、実際手元にはその

発明品はないのですが、私の中にはそれは完成品として間違い無く有った

のです。ただ残念ながら、生存中、その心の中に有る完成品が形として出

来なかったケースが70%有ったことも事実です。ま、弁解かも知れませ

ん。

 

 

 

質問外部(人間を含む環境の全て)をどのように感じていましたか

 

ダヴィンチ

私が哲学者であったことはご存じですか? ( 質問者・少しは感じて

いました。)

 

私にとってその問題は重要な問題でした。3 0代を過ぎてから、その問題

に取り組むようになりました。ただ私にとっては、人間と言うのは特別な

ものではなく、やはり自然の一部であり、観察対象として置かれている・・・ただそれだけのものでしかありませんでしたが、私にとって最も重要な事柄でした。

 

ただ創造性を開花させることが私の仕事でしたので、そちらの方の私に対

する評価の方が髙いようです。人間を自然界の観察対象の一つとしてみな

しながら、自然の造形物、その全ての可能性が人間の中に有ることは洞察

していました。私にとって人間の苦悩という問題も、他の自然生態では決

して見られない造形美の一つだったのです。これは驚く出来事でした。私

も皆さんと同じようにしみ悩む時期は当然のようにありました。

 

ただ私にとっては、それは皆さんが当たり前のように受け取っている出来

事としてではなく、他の生態系には見られない驚くべき観察対象物であり、

そして観察対象の一つにしか過ぎなかったのであり、発明品であったのか

も知れませんね。

 

私のことを科学の父という人がいますが、それは違います。当時科学とい

う言葉は無かったのですから。

 

私にとっての人生とは、創造し得る力が、創造し得る可能性の全てを、私

はその時代に直接見ていたのでしう。

 

今日は貴重な時間をどうも有難うございました。

 

貴方の今日お話してくださった言葉の行間から、何かを掴んでくれる人が

いることを願ってやみません。貴方も我々と同じようにごく普通の人問で

あり、ただ我々と違うのは、人生に対する疑問が何も無かった人だという

とを、今日は勉強させていただきました。又、このような機会が持たれ

ることを祈っています。有難うございました。