21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

紫日記 その8

日記 その8

 

神奈川県S田むらさき

 

お久しぶりです。この1か月間は私にとって変化のきっかけとなる期間で

した。心の大掃除をする為に、現実に一か八かのカケ(ちょっと大袈裟か

)とも言える行動を次々起こし、どうなることやらの毎日でした。

 

でも終わってみれば心の中にうず高く積もっていたゴミは一掃され、目の前に

は嵐の後の青空と新しく生まれた花畑が広がっていました。私も結構や

れば出来るじゃん!なんて、自分を見直しちゃいました。自分に対する

信頼が生まれたし、自信もつきました。( 単純かな? エヘへ)

 

私は自分を信頼し、自分の感じたこと思ったことを大切にして生きていく

事に決めましたので、そのようにしていくつもりです。

 

 

 

 

自分を直視し、ごまかさないことの大切さは勿論、愛というものについて

や、男性と女性の持つ誤ったイメージとか・・・自分の性格でも今迄わざ

と隠したり、自覚していなかった部分も出てきたりで・・・いろいろあり

ましたが、誰が何と言おうと、私は私を信頼し、私を愛し、私自身に従っ

て生きていきます。そして私の持つ可能性を精一杯引出し、活用し、私自

身を目一杯活かしていくつもりです輝いて見せます!・・・クリエさん、

エリーナさん、見てて下さいね〜〜!

 

ある本で読んだ“人間達を援助する存在”について、自分ではまだ確かめ

られないけれど、直感で結局信じることに決め「援助して下さいと呼び

掛けました。「どんな変化でも受け入れます」と。

 

翌日買物に出かけたのですが、デパートで急に胃が痛くなって「もう限界

だあ〜〜となりました。でもその時、フッと思いついて「お願い地球さ

ん、私を助けて下さい! と心の中で叫びました。そうしたら・・・本当

のように、その瞬間に痛みがスッと消えたのです。そしてまるで毛布

にくるまっているような、暖かいホッと安した気持ちになっのです。

 

「え一っ、ウッソ〜〜」と思いましたが、同時に私は地球とつながってい

て守られているんだと言う想いが出てきて、すごく嬉しくなりました。

 

 

 

 

考えてみたら、私はそれ迄、地球に呼び掛けるとか、頼るとか・・・そん

なふうに意識を地球に向けた事って無かった・・・地球にしくとか、地

球を汚すなとか一応思って、洗剤など選んで使っていましたが、愛が無か

ったんです。地球と一度も心を通わせようと思ったこともなく、形だけの

行為でした。

 

私は今は地球とつながっている事がわかるし、愛されていることもよくわ

かる。私も地球を愛します。私が地球にもっともっと心を開けば、私の愛

ももっと大きくなると思います。私の中の愛は地球から頂いているからだ

と思うからです。

 

私は頂いた愛を自分の中に留まらせず、そのまま沢山の存在に流しましょう。お互い頂いた愛を流しあって分かちあうのです。

 

こう思うようになってから、好かれたい、愛されたいとばかり望んでいた

のが、逆に“愛したい”という気持ちに切り替わりました。

 

今は植物さんに興味があって、出かけた時には周りの木や草花に話しかけ

るようにしています。心が通じあえばいいなと思います。ちょっとづつ、

他の存在達と仲良くなれるよう頑張ります。

 

 

 

 

125日 編集部に伺い、昨日は夕食までごちそうになり、本当に有難

 

う御座いました。私は「手紙と実際会った時の感じが全然違う」とよく言

われます。小桜さんにも言われてしまいました。それはきっと小さい時か

らの出来事に関係あるのかな?・・・と考えています。

 

私は12歳の頃から“霊的成長”とか“心霊モノ”に興味が出てきたんで

すけど、「変な人と思われそうだったので、隠さなけりいけない感じ

でした。

 

髙校時代もほとんどそういう事に無縁の友達しか出来なかったし、

私自身、霊がどうとか、精神的成長がどうとか言って友達に敬遠されるよ

り、沢山の友達とワイワイ楽しくやっている方がいいや!と思うように

なっていました。でも短大の頃、たまたま瞑想をやったら、自分の中から

ある知識が得られたのです。

 

 

 

本当に驚きの体験でした。それは過去、現在、未来は、今、存在する。》私は存在そのものであり、死とは、永遠の存在である私にとって、終わりを意味するものではない》《宇宙とは、始まりも終わりも無く、ただ存在する存在という内容の知識でしたが、常識としては聞いたことの無いものでした。

 

でもそれが確かな事であるという確信があったので、それを証明してくれるものを探し始めたのですが、バシャールも日月神示も信じ切れませんでした、その時は・・・その後FUJI日本を知って、自分の求めたい事を純粋に追及して手紙に書いても受け入れてえるんだと、今迄溜めていた分、せきを切ったように真理の道を進むようになったのです。

 

義母は「あんた、そんなことばかり言って宇宙人なんじゃないの? 急に

消えたりしないでよね。子供育てなきゃならないんだから」とか言うし・・・以来、家ではこの種の話はタブーなのです。だから編集部に伺ったとき、

瞑想”とか“宇宙人”とか“過去世”とかの言葉をスラスラ交わしてい

るのを聞いて、あっそうか!ここはそういう場所なんだ!」・・・でも

やっぱりそういう言葉を口にするのは勇気がいります。

 

 

 

 

でもFUJI本にあるものが、皆すごく気持ちよさそうなんですよね。家具

でもなんでも。ハテナちゃん達がすっごく活き活きと嬉々として働いてい

るのがよくわかったんです。我が家のハテナちゃんは息苦るしそう・・・

 

それは私が霊的世界を拒否していたからです・・・現実生活とのバランスを

壊すのが怖かったから。主人にさえも一般向けの私しか見せませんでした。

まずはその壁を突破することだと思い、少しづつ壊しつつあります。

 

酵素温浴、すご一っく気持ち良かったです。肌はつるつるだし、身体の中

がきれいになった感じで・・・温浴中、こんな映像が出ました。

 

最初は海の中で自分も魚になってあちこち動き回ったり、自分が海になっ

て、その中を魚が泳いでいたり・・・その内、大きな魚に飲み込まれました。

やがて広い空間に出て「あれ一? !と思っていたら、目の前に炎で燃え

盛る太陽が出てきて、私のから身体の中へ入っていきました。

 

 

 

次々と45個くらい、そうやって太陽を飲み込んだら、今度は青、黄、緑、紫などの球が次々現われては私の中に入っていきました。すると龍が現われて、その龍も私のに飛び込んで身体の中に入ると、今度はグルグル回りなが

ら上に登っていって頭の上から出て行きました。それを何度か繰り返すと、次は逆に私を飲み込む動作を繰返し・・・

 

後は私の中に光りが入ってきたり、逆に私が光りを吐き出したり、光りに包まれたり・・・龍がグルグル私の周りを回ったり、そんな事が続きました。最後の方で又燃える太陽が現われて私の上に降りてきて、そのまま一体になったところで終わりました。すご一く楽しかったです。

 

 

 

 

過去世についてですが、私は中学生の頃から「他の星(世界)の記憶が

ありました。私はある目的があってこの地球に来たと知っていました。

 

その目的そのものは思い出せないのですが、自分がもともとこの世界の人

間じゃあない事はわかっていたので、時々強烈に元の世界と仲間の所に帰

りたくなる衝動がありました。でも“目的”を果たさなければ帰れないと

いうこともわかっていました。

 

でも普通、こんな記憶、本当だとは思いませんよね? ・・・で、髙校に入ってからはきれいさっぱり忘れてしまったんです。そのままズーッときて、たまたま「新生宇宙人へのパスポート2年前に読むことになった訳です。読みおわった直後、びっくりしました。

 

急に心の中から、『ああ、やっと帰る道が見つかった。これで帰ることが

出来る。長い旅だったが、それもようやく終わるという男の人の声が聞

こえてきて、ものすごい喜びの感情が涌いてきたのです。が流れる程で

した。それでFUJI日本に手紙を書こうと決心した訳です。

 

今、果たして地球に来た目的が“紫日記”なのか何なのかわかりませんが、

ま、その内わかると思います。

 

 

 

 

127日 おとといハテナちゃんに今迄のこと謝って、それから感謝

して下に座りました。特に何もしなかったのですが、その後、心の中で

「これからは霊的世界への関心を隠したりしないで、のびのびするんだ

と改めて思っていたら、“波動に乗って生きなさい”と言う言葉が浮かん

できたので、気持ちを落ち着かせてみると、すごく清らかなキラキラとし

た喜びに満ちた波動が感じられました。

 

それはくるくると螺旋状に上に登っていたので、私もそれに合わせると、一緒にスウーッと引き上げられていきました。ちょっとドキドキしましたが、フト、この感覚には覚えがある事に気付きました。

 

12才頃に霊的世界に関心を持ち始めた頃体験した感覚と同じだったのです。あの頃は定期的、或いは連続してこの感覚が起きて、その後、予知、透視などの能力が少し出たと思います。懐かしい感覚が戻ってきました。純粋な好奇心、変化への意志、感じることへの集中・・・全て、ここ数年間のうちに、自分で閉じ込めて忘れていた者達です。

 

やっと解放することが出来ました。

 

昨夜、主人にも「どうやら私はどこかの世界から、ある目的の為に地球に

来たらしい」と言いました。驚いていましたけど、でもバカにしないで信

じてくれました。

 

 

 

 

目的”についてなのですが、深い部分で私は知っています。表面の意識

には出てこないのですが、完全に知っていて、ちゃんと目的を遂行してい

るようです。どうも私の中では、意識が2つに分裂しているようです。

 

でも、だから目的が遂行出来ているみたいです。だけどこの頃、イヤに気

にかかって仕方ないので、そろそろ完全に思い出す時期が来たのかなあっ

て言う気もします。

 

ところで私はお風呂に入っている時とかに、地球さんに感謝しながら入る

のですが、さっき湯船に入って感謝していたら、とてもきれいな緑色の筋

いのと紫色の菱形が現われました。3秒くらいで消えちゃったんです

けど、もしかしたら、地球さんからのお返事かなと思いました。

 

全てのものに感謝して使わせてもらうと、何か効果が違うようです。

 

 

 

 

1228日 このところ、地震が続きます。少し前から地震雲を見るよ

うになっていたので「やっぱり・・・」という感じですが、自然のことは

自然に聞くのが一番なんでしう。

 

私は最近ようやく少しのびのび出来るようになりました。自分への信頼を

少しづつ強めています。宇宙の人からのメッセージからも自由になりつつ

あります・・・と言うのは、私は宇宙の人が教えてくれる進化の過程や真理

を心の基準にしていたのですが、それがいつの間にか自分を裁く道具に変

わってしまっていたのです。

 

宇宙の人のメッセージ内容を理解したり認識したりした時、成長した気になりました。それも一つの成長かも知れません。でもそんなのは見せ掛けだけだったことに気付いたのです。おまけに自分を判断する材料にまでしていたのです。

 

 

 

 

例えば“判断するな”と言う言葉を守る為に“自分が判断していないか”

を判断するというマヌケなことをしていたのです。

 

自分の中に真理を見なさい” “自らの中に創造を見なさい”と言う言葉

にうなづきつつ、その先のメッセージを読み進めるという、思考カゼロ、

理解カゼロの状態でした。本当にその言葉を理解したなら、そこで本を閉

じるべきなのです。

 

私は自分を愛し、信頼出来るようになってきたせいか、段々自分で自分を

導きたいという気持ちが強くなってきました。それで今書いたような事に

気付くようになったんだと思います。そうしたらまず自分は未熟で、未完

成で、霊性も低いから、そんな自分の声に従ったら、真理への道程が遠く

なるかも知れない!・・・なんて気持ちが出てきました。FUJI日本や他の

多くの人々から置いていかれるような気持ちになったのです。

 

 

 

 

例えて言えば、宇宙の人をブランドのような感じで依存していたことに気

付きました。自分は大したことがないから、髙価そうなブランド(宇宙の

)を身につけて安していたのです。で、自分の気持ちをよく見詰め直

してみました。すると私は“自分”を“自分のもの”と考えていたことが

はっきりわかりました。とんでもなく図々しかったのです。

 

この“自分”は創造のものなのです。創造は無限の存在で偉大なのです。

それを私は勝手に自分の所有物にした上に、無能よばわりして、しかも信

頼出来ないなんて、これ以上創造に対する侮辱はありません。

 

勿論“自我”であるこの自分は無知無力です。でも二つの“自分”を混同し、自我が勝っていたのですね。やっとその事がはっきりわかりました。それからは自分の“感覚”や“衝動”や“思い”に注意を向け、自分がどうしたいのか、どうすればいいと言っているのか、よく聞いて行動するようになりました。

 

判断基準は“心地良さ”や“すっきり感”です。

 

 

 

 

自分の本当の要求から逸れると、途端に居心地の悪さやモヤモヤした不満

や、ストレスを感じるものですね。私、もっと自分を大切にして、いっぱ

い、いっぱい心地良さや喜びを与えてあげてもいいと思えるようになった

んです。

 

何故か「楽しみや心地良さに満足するのは悪いことと言う観念がありました。でも下の一歳の娘を見ているうちに変われたのです。

 

彼女は生まれた時からニコニコ機嫌良く笑っている子でした。何も無くて

も、ただ紙片を握っているだけでも、ベターっとうつぶせになってノビて

いるだけでも、ものすご一っく幸せそうな顔をしているんですよね。

 

赤ちゃんて皆そうなんですけど、どうでもいいようなことで、すっごく嬉

しそうにするんです。例えば、フトンの端から端を、何度もハイハイで往

復しているだけだったりしても、その姿は本当に眩しいんです・・・羨まし

くなるくらい・・・それで私も赤ちゃんみたいになろうと決めました。

 

 

 

 

あらゆる状態に楽しみを見つける事を心掛けて、今もそうしています。

案外簡単に楽しめるものですね。ただ座っていたって、風の音を聞いて、

お日様の光りを見て楽しくなるのです。

 

急ぎの用事で走っている時も、例えば足もとに枯れ葉が飛んできたら「わ一い、枯葉とダンスだんて喜んじゃうし・・・ 快楽主義だと言われようが、私はもっと自分を喜ばせたいのです。身体だって、毎日私を維持するために働いて頑張ってくれています。

 

体だって喜びを受ける権利がある。肉体より精神が大事なんて、物質より霊的なことが大事なんて、そんな観念はゴミ箱にポイです。

 

全部が喜んで、嬉しい嬉しいでいられたら、いいじゃあないですか。

 

喜んでいけなかったら、好きなことをしてはいけなかったら、赤ちゃんは

悪の権化です。

 

楽しむさって、自分で楽しめる状況を造り出したり選んだりすること

ではなくて、どんな状況でも与えられている中で楽しむ事の出来る感性の

さなのだと思います。私は娘のお陰でそれを知り、実際に少しですけ

ど出来るようになりました。座っているなら、ただその“座ったている”

こと、そのものの地良さを味わえばいい。座って心配ごとをゴチャゴチ

考えずに。

 

 

 

 

今していることを、そのまま楽しく受け入れればいいんですよね。

 

進化成長は、どうせ創造さんに任せるしかないんですから、創造である自

分を喜びで満たすことは、創造さんが喜ぶことだと思うのです。

 

以上のことを学ばせてくれ娘や宇宙の人々、その他多くの存在に感謝し

ます。有難う御座いました。