21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

想念観察によせて  武山勝弘 編 はじめに

想念観察によせて

 

武山勝弘 編  

地球のお隣さんからのメッセージ 

澤田みょう編集の本を出しています

 

はじめに

 

この案内は、あなたが既に大高良哉の著書や精神世界の本を読ま

れて、少なくともこの世界の全ては創造( 創造主、宇宙意識) と呼

ばれる根源的な存在によって成り立っているとの知識があリ、それ

らに興味を持たれているところから始まります。

 

私たちはFUJI本(現在は樹海の館)を中心に集まった有志で、長くは十数年前から自己の探求を目的として、「宇宙の人」と呼んでいる宇宙連合の方

々のアドバイスを受けながら交流を重ねてきました。

 

当初緩やかだった活動ですが、約10年前に宇宙の人のメッセージやアドバイスを受けた頃から活発になって、特にここ1 2 年は宇宙の人や霊的

存在と交流する人が急増することにより、ますますにぎやかになっ

てきました。

 

この案内を作るということは、探求の途上にある私たちにとって

も願ってもない確認、再学習のチャンスとなっています。

 

 

 

これから私たちの体験を披露しますが、これは一例に過ぎません。

あくまであなたが許したペースとやり方で自己を探求されますよう、

この案内がスムーズなアプローチのいくばくかの助けになれば幸い

です。

 

また、私たちの体験を踏み台にして、さらに飛躍されんこと

を願って止みません。もちろん私たちも協力を惜しみませんが、そ

の時はありのままに申し出て頂き、私たちの今後の探求の課題とさ

せて頂きたい。

 

文中◇・・・・・・◇と マ ー ク の あ る 区 分 は 、 見 え な い

存 在 た ち 、 つまり宇宙の人や霊的存在から助言として頂いたものです。

個意識の強い人は、全体を考える事が出来ません。つまり、 調和の反対の行動を取ります。

スポット

** 今の時期、各人の験しが、きつくなっています。

 

成長すればするほど・・・高学年になればなるほど、その験

しは厳しく、合格者は少なくなリます。

 

とんど個意識の強さが落第の原因を作っています

 

個意識 執着につながっています。

 

自分の立場・プラドの執着。所有欲・(家族や物質)等です。

 

個意識の強い人は、全体を考える事が出来ません。つまり、

調和の反対の行動を取ります。

 

自我の主張が強いために、全体と歩調を合わせる事が出来なくなるのです。そして事ある毎に、不平不満をつのらせ、やがて分裂していきます。

 

 

 

 

人間一人の力は本当に微々たるものです。毛利元就の三本の

矢の教えのごとく、力を合わせる事で、大きな事を成就させ

る事が出来るのは自明の事ですが、個意識の人にとっては、

全体の幸せよりも、個の幸せが無意識の内に優先されます。

 

想念観察をすればはっきりと判るのですが、この作業をしなと、個意識もっともらしい倫理武装して、完全に支配してします。

 

しかし、 その理論は三次元的なもので、 まったく高次の視点を欠いている事に気付かないでしょう。気付かない人々だからこそ、支配が可能となる悪循環です。

 

大変な時期になりました。

 

無知である事を常に忘れず、(私たちは真実を知らない)素直な気持ちを失わず、自分の生きる目的を何時も確認しながらいけば、あまり回り道ないですむと思います。手に手を取り合って、励まし合いながら、皆で心一つに進みましよう。 編集部

 

楽しんで自分を育ててゆこう

楽しんで自分を育ててゆこ

 

なんとか消し去ろうとした恐怖心、越意識といったエゴが、振

り返って見ると、自分を目覚めさせる原動力になっていました。

 

そのおかげで成長できたのですから。エゴにすら感謝出来る日がい

ずれくるはずです。何も無理に排したり、忌み嫌うようなもので

はなく、必要あって備わっているということが自然に判ります。

 

私」の本体は光であり、様々な色のついた薄い膜(エゴ)がそれ

を包むように守ってきました。この薄い膜の正体を知り、本来の光

を取り戻そうというのが想念観察の目的でした。

 

それをたいそうなものにしてしまうかどうかは、本人次第なのです。

 

長い道のりかけて、この自分をどう育てていくか、という自分自身の

「育児日記」だと思って、楽しく、真剣に実践していってはど

うでしょうか。

 

人から得た知識はなるほどステキに見え、きらめき輝く美しさを持

ち、それに深い共感と納得を覚えることでしょう。

 

でも、自分自身の体験は、その千倍の価値があります。人の人生を追体験するのでなく、何百、何千という生まれ変わりの中での、今、この時しかできない、足りないところだらけの、ミスばかりしている可愛い幼児である自分を、自分自身で育てていくことに大きな喜び、楽しみを感じるならば、今、

この瞬間の「私」の1バージョンを精一杯味わおうという気になります。

 

一瞬一瞬自分が生きているんだ、生かされているんだという実感を、

想念観察を通じて存分に味わって下さい。

「精神世界」「スピリチュアル」は駆込み寺か?  現実逃避の軟弱者たち

「精神世界」「スピリチュアル」駆込み寺

「オ〇ム真理教は未来のなた・・・

 

あなたは、ニューエイジに関する本や、従来の価値観を否定し、

新時代をリードするような書物の信奉者、あるいは「精神世界

探求するグループに属している人だとします。

 

周りの人は『何だか変な人という目であなたを見ています。

 

どうせ反論しても無駄だ、自分の境地など判ろうはずがないと、

あなたは半ばあきらめています。

 

場合によっては、『変人』扱いされることにある種の歪んだ快

感、越感を感じ、そのことに何の疑いも持っていません。

 

ある新興の宗教団体が、世間を騒がす大事件を引き起こしました。

嫌悪感と軽蔑のまなざしで、あなたは彼らを見ています。「ふん、

『真理』を曲解したトンデモナイ連中だと。

 

さて、そういうあなたはどうでしょうか。

 

自分の意にそぐわない人たち()は退け、自分にとって心地

好い人やモノにだけ取り巻かれ、特定の価値観()固執し、自

分たちだけがいずれ救われると信じ、隔離されたバリア(教団施設)

の中に安住する人の集まり・・・あなたが彼らとどれだけ違うとい

うのですか?

 

 

 

 

現実逃避の軟弱者たち

 

ゲーム/ アニメオタクといった、虚構の世界に本拠地を持つような人たちも、同様の傾向にあります。

 

自分が打たれ弱く、もろく傷つきやすいのを棚に上げ、差別意識を持って世間に任をなすりつけ、来てもいない未来や、異次元空間、宇宙、霊界に逃げ場を求めているだけではないのでしょうか。

 

自分の周囲に、友と呼べる人は、慰め役の妖精、守護霊、宇宙人しかいないというなら、なんのために精神世界の学びをやっているのでしょう。

 

あなたが環境に不満を持ち、周りが変わらないと嘆くなら、自分自身、何一つ変わってないと宣言しているようなものです。

 

せっかくの教え」が実生活で生かされていないわけです。

 

世の中に不平不満をいう前に、身近なところで、何か地道な努力を

しているんでしょうか。

 

苦しい現実から逃げない   自分を責めたがる人

苦し現実ら逃げない

 

人生上の大きな試練、ショックだった出来事が、自分の成長にと

ってまたとない刺激剤となります。たしかに、失恋や失業、家族の

不幸などは、誰でもできれば早く忘れたい出来事でしょう。

 

酒や旅行、音楽などの気分転換によって、一時的にそこから逃避すること

は出来ますが、正面からこれに立ち向かうことを避けていると、い

ずれ別の形で降りかかってくることになります。

 

宇宙の法則に照らせば、このような出来事はすべて必然があって起こされます。

 

自分の周りで生じている、一見困難な出来事はすべて、あなたの成長、

学びのために故あって用意された、必要なものなのです;

 

この視点を忘れないでいることにより、多くのものに対する観方が

変わってきます。みんながお互い、何らかの形で支え合い、影響し

合って生きていることが判れば、すべての出会いに感謝の念を感じ

るようになります。

 

 

 

 

これを押し進めてゆくと、社会的規模で起こされるマイナス現象

に対しても、被害者意識にどっぷり浸かって一方的に非難糾弾を

繰り返す、自分の姿にも気付くようになります。

 

おいしい汁ばかり吸っている官僚、特定の人たちの利益だけを優先してきた金融業界と大同小異のことを、身近なところでやってきた自分、子供がダイ

オキシンの被害を受けると怒りに震える一方で、ゴミを減らすよう

な努力は何もせず、ペットボトル入りの飲料などゴミのもとを増や

すだけの品々をほいほい買いあさっている矛盾だらけの自分、に気

付くようになるでしょう。

 

 

 

 

自分を責めたがる人

 

想念観察をやっていると、とくに今まであげた例がそうでしたが、

自分のアラばかり目立ち、落ち込むことがしばしばあります。

 

自分の「足りないところ」にばかり目がいって、これをひたすら攻

擎したり、無理に変えようとしたりすることにエネルギーを注いで

いると、「その状態を認めたくない、許さない」ということになり

ますから、いつまでもその状態から脱却できません。

 

そんな時は、ちょっと冷静になって見て下さい。

 

「君、そんなに完璧な人だったんですか」と。

足りないところがあったっていいのです。まず、それを認めて下さい。

悪いことだと思わないで下さい。

 

なかなかそう出来ないないなら、そうできるまで、その想念を観察していて下さい。第一、完璧な人だったら、この世にまれてくる意味がないではありませんか。

 

自分を責めることは、他人を責めることにもつながります。

他人と自分を比べた時、人はギャップを感じます。自分と他人の

位がいつ逆転した( と信じた) かによって、流れる想念が変化する訳です

 

つまリ、自分を責めたがる人は「自惚れ屋」さんであるのです。これは「 優劣意識 という価値観が自分から離れないことによります。

 

日常生活のあらゆるところに、この価値観は転がっています。自分がいかに、このモノサシを大事にしているか、ていねいに観察して下さい。

実践こそ命・苦言に耳を傾けよう  ムカつく時は収穫の時

実生活ら学ぶ・・・・

実践こそ命苦言耳を傾よう

 

あなたが社会人、そして三十過ぎの人だとしますと、周りは「守りに入った」人ばかり。お互い波風を立てずにゆこうという、打算的「大人の配慮のもと、正面切って人に苦言を呈することが無くなってきます。

 

エゴに振り回されて生きてきた人は、気がつくと周りに誰もいなくなり、残ったのは利害だけで結ばれた人のみ・・・

往々にしてそれを友人だと錯覚しています( 自分が「友人」だと思っている、その数少ない人との関係も、一度あらためて観察して見ると良いでしょう)。手遅れになって癌だとわかるのです。

 

あなたが、人の上に立つような地位の人だすると、裸の王様になっている可能性は髙いかもしれません。

 

厳しい指摘、苦い意見をぶつけてくれる真の友こそ、最も大切にすべき医者であり、想念観察とは悲しい結末を避けるための健康診断である、ともいえます。

 

 

 

 

ですから、あなたに文句をいってくれる人のいうことには、とりあえず耳を傾けてみる謙虚な姿勢をもつことです。そんな人がいるだけ有り難いではありませんか。

 

自分で目をつぶってきた自分のエゴを掘り起こしてもらい、観察を徹底させるきっかけとしてみるのです。反論、自己正当化したくなる時こそがチャス。

 

触れら、傷つけられたくない、守い、エゴの正体が浮き彫りにされます。無理にお互い、気まずい思いになる必要はありません。

 

後に尾を引かない、気心知れた仲間うちで互いにいやってみるといいかもしれません。

 

 

 

 

ムカつく時は収穫の時

 

身近にそういう人がいないなら、手っ取り早い手段としては、ムカつく/出来事、苦手なものにあえて目を向け、そこに自分のエゴの正体を見ることです。

 

「周囲の全ての現実は自分が想像したものという、宇宙の法則があります。

 

/夫が浮気ばかりして困る、という時、自分に問題はないのか、

冷静に観察してみて下さい。

 

あなたの嫉妬心、不信感というマイナス想念が現実化していることがあるでしうし、また、あなたの強い独占欲が、彼の反発という形で、確固としたバランスを作っているのかもしれません。

 

いずれにせよ、無意識に、彼はあなたのエゴを見せてくれているのです。そんな時、力づくで相手を変えようとしても、逆の結果を招くだけです。

 

それよりも自分自身が変わることの方が、手っ取り早く現実を変えることが出来ます。膠着状態を作っているバランスの一方がくずれることにより、他方は変わらざるを得なくなるからです。

価値観は、単なる 「こだわり」 書いたものは捨てる

価値観は、単なる 「こだわり

 

「価値観」は、人(社会)から、それがいいものだと言われて受

け入れたものか、自分自身の体験から得られたものであり、これが

ヨロイのように私たちの周りにまとわリついています。

 

本来は持っていなかったずの、ただの「こだわり」なのですが、

私たちは、これをなかなか手放しません。

 

「新しい仕事/ お金/ 素敵な恋人を手に入れたい」という欲求が

あったとします。

 

しかしすぐに、「でも、あれがない、これがダメ」「どうせ自分は〜だ」と、次々にマイナスの材料を用意し、フタをしてしまう人がいます。

 

「想いは実現する」のが宇宙の法則ですので、マイナス方向に注がれたエネルギーは、失敗という、マイナスの現実を生み出してしまいます。

 

結局あなたは「世の中、どうせそんなもんよ」と冷めたことを周囲につぶやきつつ、ネガティブな価値観を手放すことなく、満たされない生涯を送ることになります。

 

そんなもの、さっさと捨てて、新しいバージョンの自分を今から始

めればいいだけのことなのですが・・・

 

 

 

 

書いたものは捨てる

 

書いたものに、いつまでも執着しないで下さい。自分の矛盾に満

ちた姿に気付いたことが大事です。流してしまえばいいのです。

 

だからといって、「書いた」ということで満足もしないで下さい。

 

その「矛盾した姿の背景には、本来の自分が持っていなかった、

どこからか呼び込んで来た「価値観がひそんでいました。

 

それごと手放せないのであれば、また同じことの繰り返しになります。

 

英語の勉強で、丁寧な字で全訳を書き、3色刷りの美しいノート

を書くような学生に限って、「一所懸命やっているのに力がつきま

せん。なぜでしょうなどと言ったりします。

 

その学生は、学んでいるのでなく、 「作業をしているのであって、作業をしたことによる満足に終始しているから、先に進まないのです。

 

予習したこと( 知識) を授業( 実生活) で検証してみて、初めて学びといえます。