書くことで整理される 想念の根っこに迫る
想念観察日記 書くことで整理される
想念の観察を続けてゆくうちに、いつもお決まりの、想念パター
ンが見えてきます。場合によっては、それを認めたくないこともあ
ります。でも、目を背けないで下さい。
ノートに書き出してみましょう。書くことによって、随分と整理
されて来ます。
あなたが、自分以外のすべての人に偽りの姿を見せており、どうしてもその仮面を脱ぐ勇気がないとしても、まず、自分にだけは正直になることです。
自分だけは仮面( エゴ) の正体に気付いていることです。その矛盾した姿をつぶさにメモしてみましょう。
「お金に執着はない、と周囲には涼しい顔をしていながら、将来を
考え、どこの金融機関に預け変えようか奔走していた。」
「死の恐怖は克服した、と豪語しながら、不整脈が出たといって家族中巻き
込んで大騒ぎした。」
「私は孤独を愛する、と吹聴しながら、友人からの電話、メールが3日もとぎれると、不安感でいっぱいになる。」
想念の根っこに迫る
※重要です。ここまで深く掘り下げて観ないと真実の自分の意識の状態がわかりません。 根っこに気付くことができれば、あなたのアンバランスな意識は中和され、解決され、その想念はこなくなります。
逆にまだ同じ想念が来る場合は、その想念の根っこに辿り着いていないことになります。
そして、次のステップとして、何を優先しているから・・・何を
大事だと思っているから・・・そのような想念が生じるのか、少し
掘り下げて見ます。
「いつも、人前ではいい顔をしている」
本当は好きでもない相手に、思わせぶりなことを言ったり、でき
もしない口約束を乱発したりして、相手を喜ばせようとする。優しい
人、善人を演じている。そうすることによって人に好かれるから、
逆をいえば、そうしないと嫌われてしまうという恐怖があるから。
「アニメやドラマのヒロイン/モテモテの色男/名ギタリスト/英
雄/人格者となって自分が活躍する白昼夢に浸るのが好きだ」
現実がそうでないこと、正反対であることを直視し、認めたくな
いから、そういう夢に浸ってバランスをとっている。
自分は足リないところだらけと信じているから、つまリ劣等感の塊であるから、夢の世界でなんとか優位に立ちたい。
自分は見えないくせに、他人のあら捜しは得意、という人もいま
す。そんな自分に嫌気がさす前に、これすら有効利用してみましょ
う。他人の嫌な点を自分に置き換えて考えればいいだけのことです
から。
「あいつは、本当におせっかいで、煩わしいことこの上ない」
おせっかい、奉仕好きの人は、それが自己満足に過ぎないことを、
よく忘れる。そうされるのが実は好きな人でもある。つまリ、「積
極的おせっかい」は自分に利益が返ってくることを期待している
(→だから、そうでないと落胆する)し、「消極的おせっかい」は、
自分が傷つかないよう防衛手段を講じることに終始する。
※自分が本当に愛でやっているのかどうか、観て下さい。
観ていることで、想念との隔たリができる
観ていることで、想念との隔たリができる
泣きたかったリ、怒りたかったりすると、それを我慢するのが美
徳であるかのように一般には考えられています。でも、自分が自分
に嘘をつく必要はありません。
その感情を否定することなく、流してやれば良いのです。その際、流れを止めることなく、かといって意図的に、想念をふくらますベくエネルギーを注がず、ただ観ていることです。
怒りに狂いそうになったら、心の片隅でいいですから、
「私は怒っているな」と気付いている目を残しておいて下さい。
怒りの想念に思い切り浸ってしまい、しばらく経ってからそのことに気付いた・・・そんないつも後手後手に廻る自分が嫌だ、という人。
それまでは、後になって気付くことすらなかったのですから、
大きな進歩ですよ。落ち込まないで!
「あんな奴、死ねばいいんだ」という想念に取りつかれている時、
そういう自分を醜く感じ、「あっ、シマッタ。こんなこと考えちゃ
いけない」と、必死にこれを打ち消そうとします。
しかし、止められたエネルギーは益々圧力を増してゆき、いずれ爆発するか、
病気を生み出すかのどちらかです。いつまでたっても、その想念から抜けきらない訳です。
「死んでしまえ」という想念に判断を加えずに観ていることは、こ
れを対象化することになりますので、自分から離れ、影響を受けな
い、捕われていない状態になります。
ところが、これを打ち消そうとすることで捕われてしまうのです。
怒清の如く押し寄せる想念をせき止めるバワーがあるのなら、
「奴が死なないでいる」ことで、自分のエゴにどのような影響が出
るかを掘り下げてみる方向でそれを使ってみてはどうでしょう。
傷つきたくない、という防衛本能が、その源泉にあるかもしれません。
ところで、こんな質問をする人がいます。
『想念観察していると、自分のエゴばかり見えて困るんです・・・』
ちょっと待って!目標設定を誤っていませんか。エゴの正体を見るのが想念観察です。もっともっと自分のエゴに気付いて下さい。
頭の中のガラクタを点検・整理する 「ソーーネン流し!」の要領
頭の中のガラクタを点検・整理する
「ソーーネン流し!」の要領
ガラクタというのは表現が悪いのですが、瞑想して、冷静に心の
動きを追って見ると、次から次へと、よくもまあ、普段何も気付か
ずに、これだけの想念を垂れ流していたものかと、呆れるかもしれません。
自分の子供の素行に腹をたて、次の瞬間には子供を感情に任せて叱
り付けたことを後侮してみたり、かと思えば、3時のおやつで食べ
たケーキの美味しさがよみがえってきたり、そろそろ買い物に行か
なきゃと焦りだしたり、といった具合に、おかしくなるくらい多様
な思いが浮かんできます。
大事なことは、次々に浮かんでくる想念を押さえつけないことで
す。
人に悪口を言ってしまったとき、意地悪をしてしまったとき、もの
すごく反省するか、自分を正当化する材料を必死で探そうとするで
しょう。
今までは、そういう想念に気付きもせず、振り回されていた訳で
すが、観察の結果、振り回されている自分に気付いた、エゴの正体
が見えはじめたことが大事なのです。
今までは、そのエゴが自分そのものだと思っていた訳ですが、想念観察を通じて、そのエゴを観ている自分、冷静な自分が存在することを知るのです。
想念観察を日常生活の中でやってみる
日常生活の中でやってみる
実況中継方式
「瞑想」という形で特定の時間、空間を設けて想念観察を行なう
のは、ひとつの方法にすぎません。慣れてきたら、目覚めているす
ベての時間、あらゆる場所で想念観察してみて下さい。
朝、食事の際、昼の仕事中、買物の際、同僚や近所の人とおしゃべり
している時、夜、テレビを見ている時・・・周囲の刺激に反応して、どのよ
うな想念が流れているのか、常に覚めた目で、第三者的に自分を観察してみましょう。
ビデオカメラの中に自分を映し出し、実況中継している様子をイメージしてもいいかもしれません。その際、彼/彼女の心の動きをつぶさにリポートします。
「〇山X子は、友人のイヤミに今、ムッとしています。お返しに逆
襲の材料を、考えています。おっと、友人は『シマッタ』と感じた
らしく、謝ってきました。X子は大人気ないと思われたくないため
に、鉾(ほこ)をおさめることにし、余裕のあるところを見せて、ファッシ
ョンの話題に転じようとしています・・・」
頭の中でのことですから、実際はこのようにいちいち言語化する
ことなく、すばやく状況を把握してゆくことになるでしょう。冷静
に自分( の想念) を見つめる格好の機会として、次の2 つの例を考
えて見ます。
場面1・車の運転
車の運転というのは、よくも悪くもその人の性格があらわれるものです。
車に乗っているとき、無意識にやっている言動の多いこと・・・エゴに関しては解放される傾向にあるようです。
*右折車に強引に横切られると、狂ったようにクラクションを嗚ら
すくせに、自分がやるときは平気。
* 回りのあらゆる存在が自分の進路を邪魔している、と言わんばか
りにいつもブツブツ士毒づいている。
*特にどこかに急いで向かう必要もないのに、追い越しを繰り返し、
前方のトロい車に、始終いらついている。
*暇さえあればカラオケの練習をしている/お化粧している。
*前方車両と信号以外、真っ先に目を向けるのはいつも、道行くキ
レイなお姉さん。
* スタイルのイイ( カッコいい) 女性( 男性) が前方を歩いている
と、追い抜いたとき、振り返って顔を見ないと気が済まない。
事故を起こす一歩手前なら別ですが、ともかく、その自分をただ
観ていて下さい。自分を貴めなくていいのです。まず、気付いてい
ることです。そして、その背景にはどのような価値観があるのかを
掘り起こしてみて下さい。
場面2・飲み会、お食事会
あなたは会社の係長。今日は飲み会です。部下はあなたのご機嫌
を取ろうと、あなたの大好きなパソコンの話題を振ります(別に、
釣りでもゴルフでもなんでもイイのですが)。
舞い上がったあなたはここぞとばかりに、面白かったインターネットのホームページの話題を次から次へと、得意げに披露します。もうその話題ヤメテと
いうサインであるのにも気付かずに、「ほんとにお詳しいんですね」
という女子社員の声に勝手に勇気づけられ、最新機種の性能の違い
などをさらにべらぺらしゃべり続けます。
うんざりした周りの人は話題を変えようと努力しているのに、いつ
までもあなたはその話題にこだわろうとします。
いつも同じ話題ばかりする人はいるものです。そして自分の得意
でない話題になると、周囲に背を向けて雑誌を読みはじめたりして・・・
逆に、その場を丸くおさめることに終始するあまり、当たりさわ
りのない話題でソツなく乗り切る、宴席慣れした人もいるでしょう。
無事乗り切った、という安堵感にあなたが浸っている一方、方々に
気を使っているけど、話してみてちっとも面白くない人だ、と周囲
は評価しているかもしれません。
思い当るフシがあるからといって、別に反省しなくてもいいので
隣で嫌そうにしている0Lだって、会社の愚痴、ファッション、男関
係と、話題の幅が狭い点で、大差ないかもしれません。
話題が豊富だからいいというのでなく、自分の住む狭い世界の価値観、世間一
般で良しとされる( と信じている) 価値観を振りかざしてモノをし
やべっていることを自覚しているか、ということなのです。
まずは自分が心地良い場でリラックスすることから始めてください
・「瞑想」タイムを設ける
・第三者的に見る
・力まない
「瞑想」タイムを設ける
*リラックスできる雰囲気をつくる
まず、瞑想から始めてみましょう。といっても「座禅」のように、
難しい足の組み方など必要ありません。腰掛けていようが、寝そベ
っていようが、自分が楽であれば、姿勢など関係ありません。
家事が一段落して、仕事から帰って、一人でくつろいでいる時、
部屋を暗くして、周りを静かにしてみます。
別にそうする必要はないのですが、自分の心の動きに集中できると感じるなら、そのような演出もよし、ということです。時間は、10分でも1時間でも、好きなだけで結構です。
目が冴えて眠れないときなど、チヤンスかもしれません。どうせ眠
れないのなら、しばらく有効に使ってみてはどうでしょう。
第三者的に見る
目を閉じて、心の中の動きを追ってみます。第三者的な立場から
観ていて下さい。
窓の外の音に対する反応・判断、今日起こった出来事( 友人の冗談に大笑いしたこと、上司に怒られ、しばらく落ちこんでいたこと、さっき見たニュースの残酷な映像に恐怖したこと等々) の再現、入浴後の満ち足りた気分、孤独感などが、まるで雲のように浮かんでは消えてゆきます。
(1) 第三者的に、というのを無理に意識しないこと。
初めのうちは、観察する側とされる側が完全に同化しているので、
これを切り離せるようになるまでには、実際には辛抱強い作業が続
きます。その姿勢は忘れずに、・・・・でも気楽にやって下さい。
(2) 浮かんでくる想念に判断を加えず、淡々と見ること。ただ観
ていたはずなのに、気付くと頭の中で葛藤したリ、議論したリして
いる場合があります。エネルギーを注いでふくらまさないで下さい。
何も浮かんでこない、と思っても、もう少し深く観察して見ると、
「何も浮かんでこない」と感じている想念や「何か浮かんでこない
だろうか」と期待している想念、などに気がつきます。
力まない
神経質な人は、観察に集中しようと思っているのに、次のような
理由で集中できません。鼻の頭がかゆくなった、肩が凝り出した、
隣で夫が下らないテレビ番組に爆笑していて、頭にくる→冷静にな
ろうと押さえる→でも、やっぱり気になり、これでは先に進まない
と焦リ出す・・・
「無になろう」とリキんではいませんか? そうやってもがけば
もがくほど、無の状態から遠ざかってしまいます。
この瞑想の目的は、想念観察です。
『無』になろうと努力したり、その結果光が見えたり、特別の感覚を体験したりすることではなく、上記のような様々な心の状態に気付くことです。
「光はいつ見えるのか」ではなく、いつ見えるのかと結果を期待し、打算的に行動している自分に気付いていよう、ということなのです。
冷静になろうと焦っている自分を観察していればいいのです。
でも、なかなか初めのうちはそんなことに気付きません。焦らず、
根気よく、という以外に適切なアドバイスはありません。何でも完
璧にこなそうとする人は、無理をしがちです。ひとつひとつ、ゆっ
くりであっても着実に気付いてゆきましょう。
観察の実際と留意点 初歩の初歩 編 ?
◇観察の実際と留意点
(初歩の初歩 編 ?)
埼玉県 F本啓助
想念観察のガイドを読んでみて、その重要性は判ったけれども、
いざやってみようとするとなかなか、という人は多いと思います。
車の運転でも、仕事でも、スタートの時は、要領がつかめずに苦労
するものです。
「やり方は人それぞれだから、とても語り尽くせない」・・・ど
の執筆者も、皆このように書いておられます。確かにそうですが、
最初の一歩が踏み出せずにいる人にとっては、もどかしいことこの
上ないでしょう。
ここでは、そんな人たちのために、想念観察を軌道に乗せ、生活
の一部( いや、生活そのもの) にしてしまう方法を、例題として考
えてみたいと思います。
以下にあげるのは、あくまでも、波に乗るまでの「参考例」です。
すべてのパターンを語り尽くすことなど不可能です。「方便」もい
っぱい入っています。
これをステップとして、まったく違った視点から、あなた自身のやり方を見つけて、あなたと、その周りの全ての全てを、客観的に観察する習慣を身につけて下さい。
想念観察の深みは底無しですので、次々に新たな発見があります。終着点はありません。
想念観察は、ひたすら自己の内面を見つめ、かすかな促しもキャッチして生かし切る事が主になって来ます
初級コースと中級コースにはっきりとして壁がある訳ではありませ
んので、興味をもったら実験してみて下さい。もし、応答や反応が
無く、つまらなくなって自然とやらなくなった時は、まだ時期尚早
と言う事かも知れません。後日試す時が来るでしょう。
なんども諦めずに挑戦すると、目覚めの時期が早まります。
髙級コースは言葉で説明出来ない認識状態を体感するコースとなり
ますので・・・ 当人の実践のみが扉を開けていく事になり、独学独
歩が多くなります。
本からの知識は殆ど役に立ちません。
ひたすら自己の内面を見つめ、かすかな促しもキャッチして生かし切る事が主になって来ます。
全体を通して、初級コースも中級コースも、高級コースも、教科書
はありますが、全て他人の体験談ですから、あまり役に立ちません。
自らの毎日の積み重ね・・・日常生活の現象と、想念観察と、真理
の言葉をバランスよく検証しながらいくと、目覚ましい変化が見ら
れるでしょう。
スポット
他人に間違いを指摘された時、自分でチャネリングして聞く人
がありますが、その答えは、エゴチャネリング(自分の望む答え)
がきますので、厳重注意を要します。
キツネ・タヌキのような集合動物霊や低級霊でも、人間をだま
すのは簡単に致します。特に、いわゆる堕ちた・・・といわれた
人は注意して下さい。光、恍惚感( 至福感?) などで幻惑させ
ながら信用させ支配してきます。
高級な事もチャネルして来ますから見抜くのは至難の技となります。ですが全体的に検討してみれば、おかしな事に気付きます。しかし、このような状態
に入りますと、ほとんど全体的な視点から判断するエネルギーはすっかり抜き取られていますので(つまり、中立的判断が出来ません) ほとんど絶望的です。
根底に、不安感から来る自己防衛本能、被害者意識、優劣意識があリます。
例
FUJI日本では、4回の分裂騒動を体験していますが、3回目の時、いつものようにその人達はFUJI日本の批判から始めました。
そして活動拠点を長野に作ったのですが、その家を光で輝かせ
るのです。訪問者はすっかり魅了され、信者になりました。
1年半後、当人はぼんやりとFUJI日本にやって来ました。
そして「この1年、なんかキツネにつつまれていたような生活
だった」と述懐し、今は実家の手伝いに勤しんでいます。