21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

水瓶座讃歌31 パート8

[目次]

・無言の言についての解説

 

宇宙は波動とバイブレーションから成り立っている訳だが、判り易く説明

すると、波の動きになるわけだね。

 

心が動く。感情が動く。人間はつねに何かが動き、止まること無く動き続

けているね。

 

その波の動きと君達は同調出来なくて困っている訳だね。

波の動きを安定さそうなどとは土台無理な話なのである。

 

雨が降れば傘をさすだろうし、大雨ならば外に出なければいいだろうし、

又一方、水不足で悩んでいるところならば、大雨が降れば外に出て行きた

い心境にもなるだろうし・・・しかし、雨が降り続ければ又違った問題が

出てくるであろうし、このようにプラス面とマイナス面が一つの現象に対

して同時に現われ、複雑なパターンを刻々と行いつづけている訳である。

それに成りきることによって、その刻々と移り変わりゆく現象の本意を我

が実感とし生きていくことが、人間の成すべき生命活動である。

 

 

 

交通事故で一年に一万人死ぬらしいが、十年で十万人である。全世界を卜

ータルすると、どれ程の人間が死亡しているのだろう。

 

一つの創造は一つの破壊を生む。死についての尊厳を論じる前に、創造は

破壊を生むと言う真理を理解しなければならないだろう。

 

君達が心の中で未だにかたくなに手放し切れない、消滅されることの恐怖

心、冷静に考えてみれば、死がなければ生は繁殖しすぎてしまう。

 

その繁殖の中で争いが起こる。しかし人は、人の命の尊厳を守り切ろうと

し、創造と破壊のバランスを崩してしまう。

 

自然淘汰という言葉があるが、宇宙とはそのようなものである。

 

生まれたら死ぬのであり、死んだら生まれるのであり、形在るものは滅び

るのであり、滅びたものは形を創造するのである。

 

 

 

宇宙のダイナミズ厶に包まれた生き方をするには、死を受け入れることで

ある。どのような死ではなく、どんな死でも、それは当然しごくの事であ

るというように。

 

だったら放ったらかしでいいのですか?・・という声が聞こえてきそうだ

が、いま自殺しようとする人を止めなくてもいいんですか?・・・という

声も聞こえてくるし、病気になったらなったで、ただ死ぬのを待つんです

かと言う声も聞こえてくるし・・・・・・

 

わしの答えは一つしかない。それは無言の言ーーーーこれがわしが君達に対す

る最髙の贈り物だ。

 

宇宙は波の動きであるがゆえに、その波の動きから離れていかないと波に

のまれ、波に振り回され、自滅する。

 

観察とは、波の動きの正体が何であるかを知るすばらしい方法である。

波の動きとは、君達を導きつづけるゾーハールの光である。

 

無限の進化を行いつづけてきた君達の意識には、無限の波の動きが経験と

して刻印されている。その経験は新しい生命を表わそうと虎視眈々と出番

を待っている。

 

 

 

 

今私は敢えて抽象的な表現を取りつづけているのだが、そこには又深い意

図があるのである。それは無言の言である。

 

石に熱を与えると、どの様な石もいずれ溶けてしまう。熱とは命の源泉で

ある。

 

波動を観察することによって、霊の熱は必ず形として君達のもとに届けら

れるようになっている。君達に欠けていることは、その熱が心の中で発電

していないことである。

 

宇宙は完全な計算のもとに成り立っている。君達の生きている波の世界に

飽きが来ているならば、新しい人生を選択することである。しかしそれは

今の君達には、どの様に創造してもし切れない人生であることは間違い無

いのである。なぜならば真理を我ものにしようとした瞬間から、苦悩が始

まるからである。それ以前の苦悩はまだ苦悩とはいえない。

 

そしてその苦悩を経験して、超越した世界観に人間はいずれ導かれていく

ことになる。その導かれゆく世界を、どうして言葉に表現出来ようか。

それを理解しようとする思考も波の動きであり、幻想である。

 

 

 

 

貴方がこれを幻想だと認識した瞬間、貴方は大きな間違いを犯す。何故な

らば、幻想も又無限からの愛であるからである。

 

貴方の中の真なるものを、貴方が感じるには、感じようとする波の動きを

ただ、ただ観察することである。

 

もう終わりにしたい・・・いつまで続くんだろうか・・・これかも知れな

い・・・様々な思考が波の様に動く。

 

たった13時間でいい。たった13分でいい。波の動きを真剣に観察して

ご覧、何かが見えてくるはずである。

 

 

 

 

しかし理解したことは掴むことであり、かえって廻り道をするものである。

なぜならば、理解は常に期待感と背中合せであるからである。

 

悦びを持って生きるには、その様な人生をイメージし続けることも大切な

方法ではあるのだが、それは他の存在に任せるとして、いま私が説いてい

る道は、それとは異なる道なのである。その道とは無言の言である。

 

読者のパニックしている様子が目に浮かぶようじゃね。

 

しかし私の説く道は最初は苦しいのだが、実は一番優しい道なのであると

自負しているのだが、私が勝手にそう思い込んでいるのかも知れんのう。

 

無限と一つになるということは、80年の人生で物を考えるなと言うのに

尽きるのである。短い人生経験で物事を語るなと言っているのである。

 

1999年、地球は破滅すると言っている面白い人間がいるが、千年で

20回くらいはそういう時があった。目先でものを見れば、常に目先でし

か動けん。長い時間でものを見れば、たた暇つぶしの話であるとしか言い

ようが無い。

 

 

 

 

君達の頭の中によぎる様々な思いは、所詮目先の思いでしかないのだ。

だから私は何度も何度もロ酸っぱく言っているのじゃよ・・・目先の事柄

から早く離れろと。

 

いいかね。判っているのかね?・・・本当に、悲しくなってくるときがあ

るよ。

 

もう一度言うが、君達の心の思いは、しょせん目先の思いにしか過ぎんと

言うことを、なんとしてでも実感して欲しい。

 

実感出来ない理由は一つしかない。目先の欲で生きているということが全

く判っておらんのじゃよ。

 

想念観察の偉大さとは、目先の欲で生きている、たかだか80年の経験で

しかものを見ていないことが判ってくるのじゃ。

 

 

 

 

そんな小さな世界観でしか生きていないということを、真理を求める人た

ちは真剣に考えなければならないと思うのじゃが、どうなんじゃろうか。

 

海は広い。大きい。

 

宇宙も広く果てしなく、人間の霊性さらに果てなく、無限である。

 

簡単に理解できることを散々語ってきたのだが、観察者のデータを調べて

も、目先の欲でしか動いてないなあという素直な理解を得ている人が、実

際問題、非常に少ないのである。

 

簡単なことなんだが、興味の対象が他のところに行き過ぎてしまい、なか

なか見えんのじゃなあ。

 

 

 

 

誤解せんで欲しいのは、目先の欲で動くことを悪いと言っているのではな

いよ。ただ君達の心がどこに向いているかを知ってもらいたい訳じゃね。

ただ無限をみつめると言っても、有限の自分自身の力の無さ、限界を知ら

なければ、どうして無限をみつめることが出来るんだ。

 

有限の自分に限界を感ずるからこそ、無限を意識せざるを得なくなるわけ

だ。しかしなかなか君達は、有限の自分に対する限界を理解しようとはし

てくれん。

 

限界を理解せんと、広々とした世界に連れていけんのじゃよ。まあ、頑張

ってくれ。

 

もう会うこともないが、まあ死ぬ前にクリエの言っていることを思い出し

てくれればいいよ。

 

最後に一言、目先の欲で生きている有限の自分を理解するということは、

恥ずかしいことではなく、むしろ肉体の限界を悟り、本来の永遠なる霊性

である自分自身に出会うパスポートを手に入れたことになる。

 

これが宇宙人へのパスポートである。御機嫌よう。