まずは自分が心地良い場でリラックスすることから始めてください
・「瞑想」タイムを設ける
・第三者的に見る
・力まない
「瞑想」タイムを設ける
*リラックスできる雰囲気をつくる
まず、瞑想から始めてみましょう。といっても「座禅」のように、
難しい足の組み方など必要ありません。腰掛けていようが、寝そベ
っていようが、自分が楽であれば、姿勢など関係ありません。
家事が一段落して、仕事から帰って、一人でくつろいでいる時、
部屋を暗くして、周りを静かにしてみます。
別にそうする必要はないのですが、自分の心の動きに集中できると感じるなら、そのような演出もよし、ということです。時間は、10分でも1時間でも、好きなだけで結構です。
目が冴えて眠れないときなど、チヤンスかもしれません。どうせ眠
れないのなら、しばらく有効に使ってみてはどうでしょう。
第三者的に見る
目を閉じて、心の中の動きを追ってみます。第三者的な立場から
観ていて下さい。
窓の外の音に対する反応・判断、今日起こった出来事( 友人の冗談に大笑いしたこと、上司に怒られ、しばらく落ちこんでいたこと、さっき見たニュースの残酷な映像に恐怖したこと等々) の再現、入浴後の満ち足りた気分、孤独感などが、まるで雲のように浮かんでは消えてゆきます。
(1) 第三者的に、というのを無理に意識しないこと。
初めのうちは、観察する側とされる側が完全に同化しているので、
これを切り離せるようになるまでには、実際には辛抱強い作業が続
きます。その姿勢は忘れずに、・・・・でも気楽にやって下さい。
(2) 浮かんでくる想念に判断を加えず、淡々と見ること。ただ観
ていたはずなのに、気付くと頭の中で葛藤したリ、議論したリして
いる場合があります。エネルギーを注いでふくらまさないで下さい。
何も浮かんでこない、と思っても、もう少し深く観察して見ると、
「何も浮かんでこない」と感じている想念や「何か浮かんでこない
だろうか」と期待している想念、などに気がつきます。
力まない
神経質な人は、観察に集中しようと思っているのに、次のような
理由で集中できません。鼻の頭がかゆくなった、肩が凝り出した、
隣で夫が下らないテレビ番組に爆笑していて、頭にくる→冷静にな
ろうと押さえる→でも、やっぱり気になり、これでは先に進まない
と焦リ出す・・・
「無になろう」とリキんではいませんか? そうやってもがけば
もがくほど、無の状態から遠ざかってしまいます。
この瞑想の目的は、想念観察です。
『無』になろうと努力したり、その結果光が見えたり、特別の感覚を体験したりすることではなく、上記のような様々な心の状態に気付くことです。
「光はいつ見えるのか」ではなく、いつ見えるのかと結果を期待し、打算的に行動している自分に気付いていよう、ということなのです。
冷静になろうと焦っている自分を観察していればいいのです。
でも、なかなか初めのうちはそんなことに気付きません。焦らず、
根気よく、という以外に適切なアドバイスはありません。何でも完
璧にこなそうとする人は、無理をしがちです。ひとつひとつ、ゆっ
くりであっても着実に気付いてゆきましょう。