21世紀人になるために

宇宙の方々の仲間に入るには「想念観察」は必須条件です!!

紫日記 その5

日記 その5  神奈川県S田むらさき  水瓶座讃歌NO.34より

 

 

皆様お元気ですか?

 

暖かくて、春って感じですね。この間、家族で梅を見に行ってきました。

 

ゆったりと自然を見るって、いいですね。

 

ハテナカード、目の前において瞑想をしてみました。実はFUJ I日本に

出会ってから瞑想をしたのは、今回が初めてです。と言うのは、以前二回

ほど、あまりよくない霊体を呼び寄せてしまったことがあるからです。

二回とも呼吸法の訓練と瞑想をやっている最中だったもので、どうも恐く

てなかなか瞑想をやる気になれなかったのです。

 

1回目の時は、呼吸法の訓練の第1日目から、おかしな現象が起き始め、

4日目にして、凄まじい霊気が部屋中に満ちてしまいました。次の日から

妨害され、呼吸法は1週間ほどでブアップしました。

 

 

 

2回目の時は3年前で、祝詞を唱えながら行うやり方でしたが、確か6

目に部屋の天井の隅に黒い雲のようなものが漂っているのに気付き、(

ちろん肉眼じゃ見えませんが)これはヤバイなあ〜〜と思って、次

の日、義母に相談している最中、その霊体がやってきてしまいました。

 

その重たいエネルギーに、頭は痛いし、気持ち悪くて吐き気はするし、義

母も肩や首が痛いと訴え始めるし、もう二度と精神を集中するようなマ

ネはやめようと思いました。この時のは恐らく、何体かの動物霊が集ま

って、大きな一つの霊体となっているという感じでした。

 

そういう訳で、ずっと瞑想をやるのはちょっと気が向かなかったのですが、

ハテナカードなら大丈夫かなと思い、やってみたのです。

 

最初のうちは意識が散漫で、いろんな想念が飛び交っていたので想念観察

をしていました。少し経った時、スウッとすきま風が吹いてきて「寒いな

と思いました。その瞬間「私が今寒いと感じたのは、私とすきま風を別々

に分けてしまったからであるという考えが浮かびました。

 

私はすきま風であり、区別なく本当は一つなのに・・・という思いが同時

に湧いてきて、「自分すきま風が分かれていることに凄く違和感

を覚えました。これがS田むらさき意識か・・・と思いました。

 

 

 

私はS田むらさきだけど、すきま風でもあると両方の意識を確かに持てた

のです。不思議な感覚でした。

 

それからなかなか忙しくて、2回目の瞑想をやる時間が与えられないので、

とりあえずこの認識を少しでも広げてみることにしました。そしてさっき

思い出したことがあります。

 

3年前、私は息子を出産しましたが、その子をめぐって数か月、義母と冷

戦状態になりました。義母にとっては初孫であり、可愛さの余り、私から

母親の座を奪おうというような言動が目立ち始めました。

 

義母にしてみれば、2 0歳のまだ子供のような私には、とても大事な孫を

任せられないという気持ちだったのでしう。毎日のように遠回しに「あ

んたより私の方が、この子の母親にふさわしい」と言うような言葉や態度

をとられ、私は自信をなくし、子供を奪われるのではないかという不安で、

だんだんノイローゼ君味になってきました。

 

 

同時に、何かというとライバル意識むき出しで私に張り合ってくる義母に、怒りも積み重なり、一触即発の状態でした。それでも私は意気地が無いというか、何も言えずにニコニコしているしかなかったのです。

 

 

でも子供が8か月頃、好い加減に疲れが最高潮に達し「もう限界だ・・・」

と感じ始めました。その頃私は『日月神示』を読んでおり、外にあるも

のは内にあるという言葉を思いだし、必死に自分自身に何か原因がない

か考え始めました。そして判ったのです。

 

始めての育児が不安で「自分に母親がつとまるだろうか?という気持ち

が、義母にあの様な言動をとらせていたことに。

 

義母に逆恨みしていたことを心の中で謝りました。そして「誰が何と言お

うと、この子の母親は私だと自信を持つようにしました。そうしたら気

持ちが軽くなって、義母のことも「孫が可愛いいのは当然だ。いっぱい遊

んでもらって喜んでもらおうと思えるようになりました。

 

すると3日目後のあるできごとがきっかけで、義母の態度がすっかり変り、

「祖母として息子に接する様になり、以来うまくいっています。

 

 

 

この頃の事を時たま思い出したりしていたのですが、さっき「アラッ? !

と不思議に思いました。

 

あの時の義母が、私の「不安と言う想念を映しだしたものだとしたら、

あの時の義母は、「義母の意識」・・・自我があったのだろうか? ・・・

と言うことです。もちろん、義母は自分の意志であの様な言動をとったと

思っているかも知れない。でも私の考えが変った途端に、義母の考えも変

ってしまったということは・・・やっぱり 自我 は幻と云うこと? ・・・

想念を自分だと思っている意識が自我なんだと思いました。

 

をつくりあげている想念の数々だって、もしかしたら誰かさんの想

念を反映しているだけなのかも知れない。

 

「私の考え、私の想いは、実は「誰かの考え誰かの想いなのかも知

れない。

 

じやあ、この私は何? ・・・となると、やはり幻なのだと思います。

 

私と義母の内にある創造から与えられた想念によって、動かされていただ

けなんですね。

 

 

 

私の不安は義母によって示され、そして私の不安を消すことが出来、そし

て義母も役目がわったので、私の不安を示す態度が消えたのでしょう。

 

動かしている存在が創造という同一の存在だから、これは当たり前なんで

すね。全部お芝居だったというわけですね。

 

リアルに存在しているように見える私も義母も、本当は存在しない・・・

ぞくぞくするような事実です!・・・なーーんて云いながらも、まだしっ

かり自分という意識が存在しているワタシ・・・個意識にもっと違和

感を感じたいと思います。アッ、これも自我か・・・きりがな い!

 

「与えられることに感謝してですね。でもこの感謝している自分って、

一体、何?・・・「感謝させていただいてってことですね

 

自我がとれて、空っぽの器になって、創造から「感謝の気持ちを一杯一

杯与えていただいて、感謝で一杯の私・・・の状態

 

 

 

私自身が感謝になって・・・感謝そのものになれたらいいなあ。

 

感謝している自分なんて存在しない。すてきですね

2回目の瞑想の時間が、今与えられたようです。では又。

 

PS ・2日後、あのあと、2回目の瞑想をやりました。なかなか意識を集

中出来なくて、うまくいきませんでしたが、やっている内に頭がスッキリ

して体がポカポカ暖かくなりました。霊が来たらその時はその時。

 

アランさんに見守っていて下さいってお願いしてから、やるようにします。

 

 

 

丹田と呼吸に意識を集中して、4回目の瞑想を今日しました。そして判っ

たことは、当たり前なんですけど、吸って吐いてを繰り返すことで、私は

生きているんですよね。吸わなきゃ吐けない、吐かなきゃ吸えない・・・

一杯吐くと、一杯吸える。

 

呼吸っていうと吸う方が大事みたいな感じがしますけど、どっちもお互い

のために必要で、呼吸をすることで産まれるものは生きるってこと。

吸うことは吐くことを産んで、吐くことは吸うことを産んで、二つが共同

して産み出すのは生命力ですね。

 

機関誌32 号に載っている納得を超越した人生について光真人さんの

内容が少し判りかけように思います。

 

 

汚れたら洗って、洗ったら汚れて、その繰返しが生きるってこと。つまり、

きれいになった状態や汚れた状態が大事なのではなくて、きれいにする行

為、汚している行為、その繰返しと、それによって産まれてくるものが大

事なんですね。

 

息は吸いつづけたら苦しくなって死んでしまう。吐きつづけても苦しくな

って死んでしまう。きれいな状態でい続けていても苦しい。汚れたままの

状態でも苦しい。生きられない。きれいにすることばかりに気を取られて

いては駄目なんですね。これからも瞑想を出来るかぎりやっていきます。

 

** きれいな状態にい続けることも出来ませんし、汚いまんまい続ける

ことも出来ないようになっている不思議!

 

身体一つとっても、風呂できれいにしても、健康ならもかきます

し、動けば汚れます。又汚れたままにしていたら、皮膚も呼吸が出

来なくなって死んでしまうことでしう。

 

«無常»の意味深さ・・・無限なんですね・・・ 編集部